第18話 推薦人
返却の期日は、評議会の受領書に書かれていた。資料室の床に三つの箱が並び、ミロが目録の写しを膝に載せている。
「一つ目は、評議会から借りた分です。封緘は無傷、目録と点数が合っています」
「二つ目は」
「軍から貸与された分。こちらも合いました。問題は三つ目です」
ミロは箱の側面の札を指した。
「『任用・昇進関係綴』とだけある。貸与元の欄が、評議会とも軍とも読めるんです。借りたときの書面では、どちらから受けたのか、僕の控えにも書いていません」
「返す先を間違えれば、紛失扱いになる」
「はい。封緘は一度、こちらで解いています。ですから、中身を読むのではなく、表紙と目録で帰属だけ確定したい」
クラウスは頷いた。
「閲覧は、帰属の確認に要る範囲まで。表紙、目録、推薦者欄の記載の有無。本文は読まない」
綴じ紐を解いたのは、ミロだった。表紙に氏名があった。ヴァルター・グレン。
「軍の人事簿から出た写しのようです。ただ、評議会の受付印も押してある。両方を通っていますね。返却は、受付印の押された側、評議会へ」
「目録を」
目録は三行で、ヴァルターの登用の際の推薦状、評価書、辞令の控え、とあった。今の地位に進む前の、古い綴りだ。
推薦状の頁は、表紙の次にあった。閲覧は帰属の確認までのはずだった。だが、返却の欄に『推薦状:原本/写し』を記す必要がある。ミロはその一枚だけを、卓の上に開いた。
末尾に、推薦者欄があった。
肩書と、氏名。
クラウスの目が、その一行で止まった。
ミロは、紙ではなくクラウスの顔を見ていた。
「……ご存じの方ですか」
「見覚えがある。それだけだ」
「同じ名の人は、いくらでもいます」
ミロは慎重に言った。
「名前だけなら、同名異人かもしれません。肩書が違えば別人ですし、同じ肩書でも時期がずれていれば別の任期の人かもしれない。転記の際に写し間違えた可能性も、ゼロではない」
「そうだ。僕も、記憶だけで同じ人物とは言わない」
言いながら、クラウスは手を伸ばさなかった。推薦状から目を離し、しばらく卓の縁を見ていた。
「ミロ。調査所の保管庫に、僕の採用控えがあるはずだ。五年前の」
「あります。ただ、他の方の採用綴りを開くのは禁じられていますし、本人分でも所長の確認が」
「聞いてくる」
*
オスカーは、書き物から顔を上げずに答えた。
「お前自身の採用控えか。閲覧は、お前の分だけだ。他の採用者の綴りと、並べて写すな。取り出しはミロが立ち会え」
「ありがとうございます」
「理由は聞かない。ただし」
ペンが止まった。
「見つけたものを、先に結論にするな。調査所の外へ出す前に、私に言え」
クラウスは一礼して出た。オスカーは、それ以上は何も言わなかった。
*
採用控えは、薄い綴りだった。経歴書、面接の記録、辞令の写し。そして、推薦状。
クラウスは五年前、これを読んでいない。受け取った側として、封をされた推薦状の存在を聞いただけだった。強い推薦だったと、当時の所員が言った。それで十分だと思い、それ以上を確かめたことはなかった。
二つの綴りを、資料室の卓に並べて置いた。ミロが、確認の項目を紙に書いていく。
「氏名。これは一致しています」
「名だけでは足りない。同名の別人を除くには、氏名のほかに、人物の経歴が両方の綴りで噛み合う必要がある。推薦状の自称ではなく、手続き側の記載で見る」
ミロはまず、ヴァルターの綴りの評価書を開いた。推薦者の氏名と肩書は、推薦状とは別に、評価書の署名欄にも書き込まれている。その余白に、事務方の朱書きがあった。
「評価書の推薦者の肩書は、旧い呼称です。そして朱書きに、『当該職は任期満了、以後は上位の職へ移る』とある。辞令の控えにも、同じ氏名の人物の昇任が、評価書の日付の翌期に記されています。登用の時点では前の職、その後に次の職へ。順序まで書いてある」
「クラウスさんの分は」
クラウスが面接記録を開いた。五年前の、自分の面接だ。推薦者の欄が別にある。
「こちらの肩書は、新しい呼称だ。そして氏名の脇に、前歴の記載がある。『旧職在任、満了後に現職』。在任の年数も書いてある」
ミロが、二つの記載を並べて数えた。
「ヴァルター殿の評価書が書かれた時期は、この前歴の在任期間の中に入ります。評価書では旧職の任期満了が示され、面接記録ではその旧職の満了後に現職へ移ったとされる。同じ氏名というだけでなく、旧職から現職へ移った経歴が、二つの綴りで食い違わず続いています」
「同名の別人なら、旧職の満了と同じ時期に、同じ氏名の別の人物が現職へ移った、ということになる」
「ありえなくはないですが、氏名、旧職、満了の時期、移った先の職。四つが重なります。しかも、二つの綴りはそれぞれ別の手続きで作られた別の文書です。片方がもう片方を写した形跡もない」
ミロは続けて、調査所が持つ受付簿の写しを開いた。
「受付簿は、推薦状がいつ受理されたかを残すだけです。人物の同一性を示すものではありません。ただ、ヴァルター殿の推薦状は登用の決定より前に受付され、クラウスさんの分も、採用決定の前に受付されている。手続きの順序は、どちらも筋が通ります」
クラウスは二枚の推薦状を、同じ向きに置いた。
推薦の趣旨は三行。その下に肩書。次に、改行せず氏名。氏名の綴りの末尾が、公文書の通例より一字詰めてある。
「この書式の揃いと、詰め方は、補助でしかない」
ミロが言った。
「筆跡の鑑定はできません。僕らにはその権限も道具もない。それに、推薦状が本人の自筆とは限らない。代筆かもしれません。揃い方は、同じ事務を通った印にはなっても、誰が書いたかの根拠にはならない」
「そうだ。書いたのが誰かは、言えない。言えるのは、二つの手続きが、推薦者として誰を記録しているかだ」
クラウスは、確認項目を書き並べた紙の一番上の行に目を落とした。そこには最初、『推薦状の筆者は同一』と書いてあった。
彼はそれを線で消し、書き直した。
『二つの手続きは、経歴の連続する同一人物を、推薦者として記録している』
ペンの先が、少し止まった。
「……間違いありません。二つが示す推薦者は、同じ人物です」
ミロの声は、それまでより低かった。
*
日が傾いて、資料室の窓の光が長くなっていた。
紙は、二つの欄に分けた。
確認できたこと。ヴァルター・グレンの登用の際、推薦者として記録された人物がいる。五年前、クラウス・フェインの採用の際、推薦者として記録された人物がいる。氏名に加え、旧職の任期満了と現職への移行が、評価書・辞令の控えと面接記録の前歴の双方で連続しており、二つの手続きが記録した推薦者は同一人物と判断できる。
確認できていないこと。その人物が、ヴァルターの八年前の判断や記録の改ざんを知っていたか。竜災の記録に関与したか。リディアへの認定に関わったか。マティアス殿の評価に影響を与えたか。二人を、同じ目的で選んだのか。なぜクラウスを推したのか。今回の調査が、この推薦と関係しているのか。
二つ目の欄は、ずっと長かった。
「二人とも推薦された。それだけで、何かを仕組んだことにはなりません」
ミロが言った。
「一人の人間が、複数の人を推薦するのは、普通のことです」
「普通だ。その通りだ」
クラウスは、紙から目を離さなかった。
「三年前の僕は、推薦状と公式記録を読んで、『問題なし』と書いた。今回は、マティアスの推薦状だけで結論を出さず、記録を追った。その先で、ヴァルターの二重記録に行き着いた。その二つが、今日、同じ人の名前の上で並んだ。それが何を意味するのかは、まだ分からない。意味がないのかもしれない」
「次に、調べられることは」
「三つ。この人物が、推薦状を書いた経路。受付から決定まで、どこを通ったのか。他に、この人物が推薦した人間がいるかどうか。そして、今どこにいるのか」
「どれも、調査所の権限の内で追えるのは、一部だけです」
「追えるところまでだ。それ以上は、所長に聞く」
ミロは、封緘をやり直す手を止めて、少しだけ笑った。
「僕に、一つだけ言わせてください」
「ああ」
「クラウスさんが調査所に入ったこと、無駄だったとは思いません。推薦した人がどういう人でも」
クラウスは答えなかった。ただ、採用控えの頁を、元の順に閉じた。
三つ目の箱の表紙に、『返却先:評議会』と、ミロが書き入れる。封緘の蝋が冷えるまで、二人とも黙っていた。
誰もいない資料室で、クラウスは一人、推薦者欄の一行を、もう一度だけ見た。
「……なぜ、この人が僕を?」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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