第17話 本当の功績
報告書の清書が、資料室の卓に積まれていた。ミロが最終頁に番号を振り、クラウスは巻末の「求める手続き」の欄を読み直している。
「四つの柱は、このままでいい。問題は宛先だ」
「分けてあります」
ミロが三通の送付状を並べた。
「人事評議会には二件。マティアス殿の功績評価の訂正審査と、副団長任用審査の継続。軍には、リディア・セルンの敵前逃亡・無断離隊認定の正式な再審査。財務庁には、遺族給付を別の根拠へ移せるかどうかの、世帯ごとの審査。ヴァルター殿の供述は、処分を判断できる軍内部の側へ、写しを回します」
「各項の末尾は揃える。『調査所はこれを求める。決定は貴機関に属する』」
「くどくありませんか」
「くどくていい。こちらが決めたと読まれる余地は、一行も残さない」
*
所長室で、オスカーは報告書を頭から読み、三箇所で指を止めた。
「マティアス殿の項。単独で救ったとは書いていないな」
「搬送した者、荷馬車を回した者、手当をした者の働きは消えません。数も、確定した範囲と幅のある範囲を分けました」
「竜が斃れた時刻、谷にはいなかった。本人も竜殺しを名乗っていない。そして八年、評価を訂正しなかった。この三つは別の項だな」
「はい。功績と沈黙の責任は相殺しません。遺族給付への懸念は動機として記しましたが、免責の理由にはしていません」
「リディア・セルン」
「付属書の十一名、現場責任者、行動は竜迎撃。ヴァルター・グレン名義の承認追記。敵前逃亡の記録と両立しない。そこまでです。唯一の竜殺しとも、致命傷の主とも書いていません。十一人の個別の行動も、確認していません」
「警告を読んだ時刻は」
「未確認です。進軍命令の文言も、改変の指示の経路全体も」
オスカーは報告書を閉じた。
「軍の上からは、声が来る。それは私が受ける。お前は、書いたことの射程だけを答えられるようにしておけ」
一拍置いて、続けた。
「我々が決めるのは、誰を採るべきかではない。何が事実かだけだ。承認する。出せ」
*
提出のあとは、待つ時間だった。
七日ごとの進捗報告は、期日どおりに出した。受理を確認、回答は未着。それだけを書いた一枚だ。ミロは評議会へ返す任用審査の資料を、箱ごとに目録と突き合わせている。封を解いていない箱が、まだ三つ残っていた。
最初に来たのは、軍の書面だった。
再審査の担当は、人事簿、懲戒録、財務庁保存原本の付属書、発送簿を照合していた。敵前逃亡・無断離隊の認定は、提出された記録の範囲で根拠となる事実が確認できず、付属書の記載とも両立しない。よって取り消す。人事簿の該当行は、『現場判断による迎撃行動に従事した者』と訂正する。
末尾には一行あった。関係者の処分は、別の手続きで扱う。調査所へは通知しない。
ミロが読み終えても、クラウスはしばらく紙を見ていた。
「取り消したのは軍だ。我々は、材料を出しただけだ」
評議会の書面は、それから数日後だった。
マティアス・レーマンの功績の記載から、《北境の竜殺し》の称を除く。改めて記す。『後方における撤収・再編の指揮により、約三百人の後方到達に寄与』。付記として、現場で搬送、誘導、治療に当たった者の働きを含む、とあった。
「評価を訂正しなかった点は」
「任用審査で、独立して審議するそうです。結論は本人と依頼元へ、別に通知すると」
三百人の記載は残った。竜の一語だけが、消えた。
財務庁は最後だった。特別加算は、審査の間、従前どおり支給する。停止も返還も、現時点では行わない。世帯ごとの個別審査を経て、生活保障の目的を維持できる場合に限り、災害時の扶助へ根拠を移す手続きを開始する。結果は世帯により異なり得る。通常の補償は別の層であり、この審査では動かさない。
「全員が移れる、とは書いていませんね」
「書けない。書かない書面が、誠実なんだ」
*
リディアは、自分宛に届いた軍の通知を持って来た。扉は開けてある。
「調査所の写しと、私の通知。同じ文面ですか」
「あなたの記録に関わる箇所だけ、お見せします。ほかは伏せます」
「それでいいです」
二枚を並べ、彼女は行を指で追った。止まったのは一行だった。
「『現場判断による迎撃行動に従事した者』。……『唯一の』も、『致命の』も、ついていない」
「ついていない。確認できたのは、十一名の臨時隊が竜の迎撃に当たり、あなたが現場責任者として記録されていたこと。ヴァルター・グレン名義の承認が残っていること。それが敵前逃亡と両立しないこと。そこまでです。あなたが致命傷を与えたかどうかは、記録から確認していません。十一人の一人ひとりの行動も」
「一人の英雄に置き換えられていたら、私は受け取りませんでした」
リディアは顔を上げた。
「消されたのは十一人の迎撃です。直すのは、そこ」
「そのつもりで書いた。ただ、これはあなたへの恩として渡すものではない。受け取るかどうかも、これからの使い方も、あなたが決める」
「財務庁の手続きを、聞かせてください」
質問の仕方が、確認になっていた。クラウスは答えた。
「訂正の前に、前例と事前見解を取った。正式な回答は、先ほど言った通りです。加算は審査の間も続く。ただ、移れるかどうかは世帯ごとの審査で、全員の継続は保証されていません。通知は財務庁が世帯ごとに出します」
「ご遺族に、誰が先に知らせますか」
「財務庁が決めることで、調査所は関与できない。ただ、当事者から先に知らされたい遺族がいる可能性は、照会として問える」
「問うてください。条件があります。十一人のご遺族に話すのは、私が先です。同意のあった方の名前だけ、私が選んで、提出します」
「その条件を添えて照会する。あなたが話す場に、調査所は同席しない」
リディアはしばらく黙っていた。
「聞き方が変わりましたね」
「ある遺族に、聞く順序を誤った。記録の上では要る質問でも、置く場所を違えると、人の最後の時間を踏む。それ以来、先に、答えなくていい範囲を言うことにしている」
「分かった、とは言わないんですね」
「言えない。変えられたのは、手順だけだ」
「手順なら、守れます」
彼女は通知を畳み、鞄に戻した。
「八年前、私が見たかったのはこれでした。訂正より先に、暮らしを確かめる。前回、足りなければ話さないと言いましたが、今回は足りていました」
立ち上がる前に、一言添えた。
「帳簿の上の質問は、あなたのほうが速い。でも、相手の手が止まるのを先に見るのは、私です。あなたの正しさが人を傷つける前に、指せます」
クラウスは否定しなかった。
「調査所の外の人間に、同行を頼む権限はない」
「頼まれるのを待つつもりはありません」
リディアは扉の前で、一度だけ振り返った。
「次に現場へ行くなら呼びなさい」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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