第15話 真実で誰が幸せになる
面談室の卓には、茶が三つ出ていた。手をつけたのは、ミロだけだった。
ヴァルター・グレンは、約束の刻限ちょうどに来た。五十七。背筋が伸びている。供は連れていなかった。
「先に、決まりを言います」
クラウスは、椅子に掛ける前に言った。
「調査所には、あなたを処罰する権限も、拘束する権限もありません。任意の聴取です。答えたくない問いには、答えなくていい。席を立つのも自由です。ミロが控えを取ります。あなたが述べたことと、記録で確かめたことは、分けて書きます。読み直して、違う箇所は直してもらいます」
「承知している」
ヴァルターは椅子を引いた。
「拒む気なら、来ていない」
*
「八年前の竜災の日について、まず記録から」
クラウスは手控えを一枚だけ出した。
「北の監視所から司令部へ、臨時の通報が送られています。宿駅を経て、司令部で受領処理され、第二係へ回付された。ここまでは、帳簿で確認済みです。同じ日、谷方面の現地指揮の席には、あなたの名がありました」
ヴァルターは紙を見たが、手は伸ばさなかった。
「確認できていないのは、その先です。あなたがその通報を読んだか。読んだうえで、進軍の維持を命じたか。記録の上では、どちらも未確認です。今日は、それを尋ねています」
「一通ずつの紙について問われても、今は措く」
声は平らだった。
「司令部には、あの日に限らず、確度のばらばらな報せが山のように届く。竜の影、と一行あっても、本物か、見張りの見間違いか、仕分ける暇はない。現地の指揮は、限られた情報で、軍全体を動かさねばならん。後から一通だけ取り出して、読んだはずだと言うのは、たやすい」
「その話は、一般論として控えます。事実の認定には使いません」
クラウスは言った。
「警告が届いていたことは、記録で確認済みです。あなたが読んだかどうかは、今、尋ねています」
「措く、と言った」
「では、回答なし、と控えます」
ミロの筆が動いた。ヴァルターは、止めなかった。
*
「別の件を」
クラウスは、控えの束から二枚目を抜いた。
「竜災の七日目、損耗の整理について回覧が回っています。当時の記録担当者が、こう述べました。上位から回った方針に従い、参加や損耗との結びつきを弱め、戦傷死を病没等に改めた、と」
ヴァルターの目が、わずかに動いた。
「担当者は、命じられた、と述べただけです。命じた者が誰か、実在したかは、確認できていません。あなたがその方針を知っていたか。必要だと考えたか。伺います」
「経路について、私が答えられることは、今はない」
ヴァルターは、そう言って間を置いた。
「だが、必要だったか、と問うなら答えられる。必要だった。私は、そう考えている」
「知っていたか、とは別に、必要だと考える、と述べた。そう控えます」
「構わん」
ヴァルターは、背もたれから体を起こした。
「あの竜災の直後、軍は崩れていた。指揮は寸断され、名簿は合わず、誰が生きて誰が死んだかを、兵自身が知らなかった。北の境は開いたままだ。次が来ない保証もない。要ったのは、士気を保ち、指揮を立て直し、民が受け止められる説明だ」
クラウスは、遮らなかった。
「マティアスは、後方で撤収と再編をやった。三百人近くが、それで帰ってきた。事実だ。あの男を中心にした英雄の像が、部隊も民も支えた。像に結びついた特別加算が、八年、遺族の暮らしを支えている。混乱を収める責任は、国にも軍にもあった。それを、帳簿の一行ごとに咎められる筋合いは、私にはない」
「どれも、事実だと思います」
クラウスは言った。
「マティアス殿の、三百人の生還への寄与は、報告書で正しく評価します。竜殺しとは別の、確かな功績として。特別加算については、認定の訂正だけで停止や返還が直ちに決まるものではない、という財務庁の限定的な事前見解を得ています。生活保障を別の根拠へ移した前例もある。継続を保証するものではなく、決めるのは私どもでもありません。正式な審査を、関係の機関に求められる形にします」
「今だから言える話だ」
ヴァルターの声が、初めて低くなった。
「八年前に、そんな道は見えなかった。事実を揃える余裕も、制度を調える時間もなかった。真相を出せば、士気も、遺族の給付も、国への信頼も、同時に折れる。私は、それを恐れた。今の物差しを、八年前の人間に当てるな」
「当てません」
クラウスは、即座に言った。
「当時のあなたが、そう恐れていた可能性を、否定する材料は私にはありません。本心からそう信じていたのかもしれない。それは、控えに残します」
ミロが、筆を止めずに頷いた。
「ただ、混乱を収める必要と、事実と違う記録を残すことは、別の問いです。英雄の像が要ったとしても。現場で竜へ向かった者の記録を薄め、死因を変え、ある人物を敵前逃亡・無断離隊として残す。像を保つのに、それがなぜ要ったのか」
「現場の独断を公認すれば、指揮系統が崩れる」
ヴァルターは、間を置かずに答えた。
「持ち場を動いた者が正しかったと軍が認めれば、次の戦で、誰が命令を聞く。一人の異議が、軍全体の説明を壊す。生き残った者の話を、そのまま表に出せる状況でもなかった」
「そのまま出せなかった、とは」
「言った通りだ」
それ以上は、出てこなかった。クラウスは、続きを促さなかった。
*
茶は、とうに冷めていた。
「クラウス殿」
ヴァルターが、卓の上で指を組んだ。
「真実を出して、誰が幸せになる。遺族か、軍か、国か。八年保たれた秩序を壊して、何を救う」
部屋が静かになった。ミロの筆先が、紙の上で止まっている。
「幸せを決める権限は、私にはありません」
クラウスは答えた。
「調査所が決めるのは、誰を採るべきかでも、何を良しとするかでもない。何が事実かです。ただ、報告書は分けて書けます。虚偽を事実として残すかどうか。遺族の暮らしを、どう守るか。この二つは、別々に審査できる。暴くか救うかの二者択一には、しません。そのための準備を、先に整えました」
ヴァルターは、答えなかった。目は、クラウスの手元にある。
沈黙は沈黙として、ミロが一行だけ空けた。
「あなたの挙げた大義は、認めます」
クラウスは、卓の端の封筒に指を置いた。
「士気も、遺族の暮らしも、国の秩序も。それを守る必要が、あの時にあったことも。それでも、一つだけ、その大義では説明のつかない記録があります」
封筒は、まだ開けない。
「同じ人物が、一方では敵前逃亡の者として、もう一方では現場責任者として扱われている。二つの記録は、同じ時期に、別々の機関に残っている」
ヴァルターの指が、組んだ手の上で止まった。
クラウスは、封筒から指を離さずに言った。
「では次に、あなたが財務庁へ出した記録について伺います。」
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次回は明日19:10に更新予定です。
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