第13話 真実で生活を壊さない
面会の控えは、その夜のうちに清書した。
資料室の灯りの下で、クラウスは手帳の頁を一枚ずつ机に並べた。借家の居間、湯の器、止まった手。書いてある事実は少ない。夫の死んだ日が区分変更の日付と合うこと。命令のことは知らないこと。それだけだ。
「これは、報告書の根拠には使わない」
ミロが顔を上げた。
「日付の一致は、受入記録で取れます。あの方の口から取ったものじゃない」
「だから使わない。控えは、面会があった事実として残す。それ以上には使わない。あの家へ改めて話を聞くなら、本人の同意を取り直してからだ。こちらから手紙を出す前に、先方が望むかどうかを確かめる。断られれば、それで終わる」
「はい」
筆を置いて、クラウスは付け足した。
「必要な確認だった。それは今も変わらない。だが、聞く順序を誤れば、必要な確認でも、人の最後の三日を踏む」
自己弁護と反省が、まだ並んでいる。並べたまま、調査の順序だけを書き直した。
「訂正より先に、訂正が暮らしに何をするかを調べる。先にだ」
*
翌朝、財務庁の閲覧室で、ミロは目録の綴りを三冊、机に積んだ。
確認する層は二つに分かれている。竜災の死傷に対する通常の補償は、兵籍と支給簿の食い違いを追ったところから確認してきた。戦闘の状況を根拠にした支給で、英雄認定とは関係がない。今日調べるのは、マティアスの聴取で存在が分かった上乗せの側だ。公式の評価が訂正されたとき、そちらがどう扱われ得るか。
「名前で引きます。《竜殺し》、《英雄認定》、取消、訂正」
一冊目が空振りした。二冊目も同じだった。該当なし。
「称号の取消なんて、そもそも前例が少ないのか」
「少ないのかもしれません。でも、変だな。評価が間違っていた案件がゼロとは思えないんです」
ミロは目録の頁をめくる手を止め、閲覧室の係を呼んだ。
「ここの目録は、事由で引くんですか。それとも、処理の種類で」
「支給根拠の区分です。事由は、件によって書き方が揃いませんので」
ミロは頷いて、綴りを閉じた。
「クラウスさん。引き方が逆でした。評価が変わった案件ではなく、支給の根拠が切り替わった案件を引きます。評価の理由はどうでもいい。払う目的が同じで、根拠だけが替わっていればいい」
「それなら、区分の変更欄だ」
「はい。件数は多くないはずです」
索引の『根拠区分変更』の欄には、十数件が並んでいた。ミロは決裁の控えを請求し、順に開いた。
一件目は、書式の誤りの訂正だった。二件目は、受給者の転居に伴う窓口の変更。どちらも根拠は動いていない。
「三件目。根拠区分が、褒賞関連から、災害時の扶助に移っています」
クラウスは身を乗り出した。
「理由は」
「控えには、決裁の結論しかありません。ただ、欄外に旧処理の番号と、新処理の番号が書いてあります」
「相互参照だな。新処理の側を引け」
新しい処理の綴りには、移行の経緯が数行あった。支給の目的は、生活の維持。目的は変更せず、根拠のみを改める。再審査を経た上で。
「再審査を、挟んでいます」
「当然だ。自動では移っていない」
ミロが旧処理の綴りと突き合わせた。旧側の最終頁に、支給停止の記載はない。新処理への移行日まで、旧処理のまま、支給が続いていた。
「移るまで、空白が出ていません」
「この一件の話だ」
クラウスは言った。
「道があった。それは確かだ。だが、今回使える、とは別の話になる。この件は、褒賞の認定が変わった場合だ。竜災の特別加算とは、対象の条件も、予算の区分も違う可能性がある。申請が要るのか、再審査が要るのかも」
「前例があるだけで、支給が続くと言ってはいけない、ですよね」
「そうだ。報告書には、前例があったこと。それだけを書く」
*
所長室で、オスカーは照会の文面に目を通した。
「個別の遺族名は、一つもないな」
「仮定の質問に絞りました。リディア・セルンの記録も、出していません」
「範囲は、この通りでいい。我々が頼めるのは、見解を聞くところまでだ。支給を続けさせることも、制度を変えさせることもできない。向こうが断れば、それも一つの回答として受ける」
「承知しています」
照会は三点。公式の功績認定が訂正された場合、既に支給された上乗せ分を、直ちに停止または返還の扱いとするのか。生活保障の目的を維持して、別の根拠へ移した前例はあるか。正式な再審査の前に、受給者へ不利益を生じさせない手続きはあり得るか。
返事は、二日後に来た。財務庁の職員が、閲覧室の隣の小部屋で、紙を持たずに口頭で告げた。
「あくまで、事前の見解です。決定ではありません」
職員は、そう前置きした。
「認定の訂正だけで、停止や返還が自動的に、即時に決まるものではありません。個別の審査が必要になります。過去には、生活保障の目的を維持したまま、別の根拠へ移した例があります。今回も、正式な資料が揃えば、検討の対象にはなり得ます」
「継続されると、考えてよいのですか」
クラウスが聞いた。
「いいえ。それは申し上げられません。審査をしてみないと、結論は出ません」
ミロが筆を走らせる音だけが、小部屋に響いた。クラウスは頷いた。
「それで十分です。控えます」
*
庁舎を出たところで、ミロが言った。
「マティアス殿の心配は、的外れじゃなかったんですね」
「的外れだったとも、当たっていたとも言えない」
クラウスは歩きながら答えた。
「あの人が見ていたのは、数通の礼状と通知の写しだけだった。その範囲では、恐れるのも無理はない。だが、調べようと思えば調べられた。調べなかった責任は残る。見解が出たからといって、あの人の恐れが無駄になったわけでも、嘘になったわけでもない」
「リディアさんも、ですか」
クラウスは、少し間を置いた。
「八年前の彼女に、この道は見えなかっただろう。見えていたとしても、動けば十一人と遺族が、再調査の場に引き出される。黙ったのは、知らなかったからだけではない。その判断には、理由があった」
ミロは、手控えの最後に、書き足した。
「報告書は、どう組むんですか」
クラウスは歩を止めずに、骨子を口にした。
「事実認定。評価の訂正。生活保障への影響。移行の可能性。四つに分ける。訂正だけを、前へ出さない。前例と見解を添えて、正式な審査を関係の機関に求められる形にする。決めるのは、我々ではない」
資料室へ戻って、クラウスは骨子を書き直した。三番目と四番目の項に、空欄の見出しだけが残った。
これで、遺族の暮らしを、すぐに壊さずに済むという保証はない。ただ、訂正を出す前に、審査を求められるだけの材料は、揃い始めた。
「次は、付属書ですね」
ミロが言った。
「ああ。文書の経路。受領の日。軍の内部の日付。追記と署名、認証。一つずつ、突き合わせる」
クラウスは骨子の余白に、一行だけ書いた。
――真実を出す準備ではない。真実を出しても、暮らしを壊さない準備だった。
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次回は明日19:10に更新予定です。
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