第11話 保護施設(2)
朝の光が、白い壁を窓の形に照らしている。
光の筋に、埃がちらちらと反射して漂っていた。
まぶしくて、サクラは目を細めた。
震えるようなため息がこぼれ、それから肺の中に自分の知らない冷たい匂いが満たされていく。
そうやって、ぼうっと壁を眺めていると、隣にしがみついていた子が小さく身じろぎをした。
昨夜は子どもたちとぎゅうぎゅうに詰まって眠った。一人で寝ることしか知らなかったサクラは、誰かの隣で縮こまって寝れば、こんなに体が固くなるんだなと、強張った背中を伸ばしながら思った。
横を見れば、まだ子どもたちはすやすやと眠っている。
涙の跡が幾筋も残った子どもたちを起こす気にはなれなかった。
体を動かさないように、サクラは視線だけ向けて部屋の中を見回す。
部屋は白い壁に囲まれていた。
つるつるとした白い壁は、岩にも、木にも見えず、知らない素材だった。
朝日があたる壁の半分は白い壁で、もう半分は床から天井まで鉄格子がはめ込まれていた。
中央から左右に開く扉になっているようで、その先にはどこかへとつながる通路があった。サクラの位置からはその奥までは見通せなかった。
昨夜、獣人達がやってきた扉は閉まっている。
扉の横にある大きな窓も、向こう側が見えるが、小さな部屋があるだけで、壁の他には何も見えなかった。
鉄格子も、その扉も、きっと開けられないのだろうとサクラは思う。
外に繋がる唯一の窓を、サクラは見上げた。
――あの窓から。
一瞬そう考えたが、つるつるの白い壁を登って、あの窓を壊しても、この小さい子どもたちを全員連れて行くことはできないだろう。
一人だけ、自分だけ逃げだすのなら、できるのかもしれない。
子どもたちを踏み台にして、あの白い壁を登り切れば。
そんなこと、できるわけがなかった。
向こうの小さな部屋が見えるあの内窓を壊せば、この部屋からは出られるだろうか。
壊した途端、きっと昨夜の獣人達がやってくる。
「……トナ?」
小さな声が聞こえて、サクラは振り返った。
隣にいた子が起きていた。
ぼうっとした表情で瞼をこすりながら、母親の姿を探している。
「……おはよう」
サクラが声をかけると、その子はサクラを見て、顔がゆがんでいく。みるみる涙が眦に溜まり、泣き声が出始めて、その声で周りの子どもたちも起き始めた。
ざわざわと、子どもたちの動揺が広がっていく。
起きて、もう群れの中にいないのだという現実。
ここにいるのは、サクラだけ。
親たちは、ここにはいない。きっと別の部屋。
――私が、不安になっちゃダメだ。
ぐっと、何かを飲み込んだ。
喉を掻きむしりたい衝動をこらえて、サクラが安心させようと何か呼びかけようとした時だった。
大きな音が響き渡った。
何かを吹き鳴らしたような音が、短く二度鳴り、その後、鉄格子がガシャンと音を立てて左右に開いた。
『朝早くからごめんなさいね。来てくれてありがとう』
獣人語が聞こえ、サクラは振り返る。
ガチャリと扉が開いて、再び獣人達がやってきた。
今日は二人。
子どもたちが鋭い悲鳴をあげた。
『所長一人じゃいくら何でも無理ですよ。時間もありませんしパパっとやっちゃいましょう』
ウサギの獣人と、昨夜もその隣にいた獣人。たぶん、タヌキだろうか。丸く黒い縁取りの耳が頭にあるのが見えた。目の周りが黒い毛でおおわれていて、こげ茶色のつぶらな瞳がきらりと光った。
あぐあぐと細い鼻筋が動くたびに、その口から笛の音が重なったような声がする。獣の顔をした生き物が、そうやって言葉を紡ぐのがなんとも奇妙だった。
サクラは、ロダから教わった言葉で、その意味を推測できるようになっていた。そうでなければ、ただ獣が吠えているようにしか聞こえなかっただろう。
『おはよう。さあ、向こうに行きましょうねー』
そう呼びかけながら、両手を広げてウサギの獣人が追い立てる。
子どもたちが悲鳴をあげて逃げ惑い、次々とその手から逃れようと格子の向こうへと出ていく。サクラも、子どもたちが慌てて転ばないように手を差し伸べながら、部屋から廊下へと出た。
明るくて少し狭い、清潔な廊下。
先には、右側に同じように格子のある部屋が二つ並んでいた。
サクラは格子の先を覗き込んだ。
一つは空で、もう一つにはサクラたちと同じような年齢の子どもたちが部屋に閉じ込められていた。部屋の端で固まって震えている。
どの子も真っ白の見慣れない服を着ていたが、山向こうの別の群れの子どもたちだろうと察しがついた。
獣人たちに捕まって、ここに連れてこられたのだろう。
廊下の先に扉の開いた新たな部屋があった。
子どもたちを置いていかないように目を配らせながら、サクラも扉の開いた部屋に入る。
扉の先も、格子で囲われていた。
格子の先にも部屋が広がり、棚や机があり、様々な器具が雑多に置かれていた。
背後で、今来た扉が閉じられて、子どもたちがさらに短く悲鳴をあげる。
「大丈夫。大丈夫だからみんな落ち着いて」
恐怖で暴れだしたりしないように、サクラは大きな子どもたちにはそう呼びかけ、小さな子どもたちには腕を伸ばして落ち着かせる。
格子の向こうにある扉から、あのウサギの獣人が部屋に入ってきた。
すこしして、タヌキの獣人も現れる。
『よし、じゃあ、服をはがそうか。傷つけないように、丁寧にね』
『はい所長』
タヌキの獣人が、格子の扉を開ける。
長く毛むくじゃらの大きな腕がぬっと伸びてきて、小さな子の腕を掴み、引きずるように格子の外へと出す。
恐怖で硬直した、小さな子の瞳と目が合う。
何とかしてあげたいのに、どうしようもない。
タヌキの獣人が机の上から巨大な鋏を取り出した。
子どもたちは鋏なんて見たことがないだろう。それでも、獣人が手に取った物が鋭い歯先のついたものだと気がついて、何人かが悲鳴をあげた。
ウサギの獣人が同じように子どもを一人掴み出して、鋏を手に取った。
サクラの目の前で、子どもの服がザクザクと切られていく。
真っ裸にされて、壁の隅にあるガラス張りの部屋に入れられる。
タヌキの獣人も子どもの服をザクザクと切っていく。切った服は何かの緑色の大きな容器にポイポイと放り込んでいった。
ウサギとタヌキの獣人が、もう数人ほどそれを繰り返すと、ガラス張りの部屋が子どもたちでぎゅうぎゅうになる。
『うへえ、蚤だらけ。床掃いておきますね』
『そうね。お願い』
ウサギの獣人が、壁にはめられた青い水晶に手をかざした。
風が起こり、中に入れられた子どもたちの髪がふわりと浮き上がる。部屋の中が水色に染まる。子どもたちの泣き声が一瞬聞こえなくなり、それからまた聞こえるようになった。風が止まって、子どもたちの髪がすとんと落ちるのが見えた。
ウサギの獣人が、慣れた手つきで子どもを取り出し、片手で抑え込む。もう片方の手で籠の中から真っ白い服を取り出して、それを子どもに着せていった。それは、あの格子の先で見たほかの群れの子が着ていた服と同じだった。
『終わった子は廊下に出しときますね』
『ありがとう』
床を掃き終わったタヌキの獣人が子どもたちを扉の先へと連れて行く。
たぶんさっき歩いてきた廊下に出る扉なのだろう。
机のある壁のほうに大きなガラス窓があった。廊下がちらりと見え、子どもたちの頭がかろうじて窓から見えた。
『はーい、次の子おいで―』
床に落ちた虫や土くれを時折掃きながら、獣人たちはてきぱきと動いていく。服を切り、ガラスの部屋に押し込んで、なぜかきれいになり、そして白い服を着せて、廊下へと出していく。
サクラが最後の一人になった。
『……ありがとうね。静かにしてくれて』
腕を伸ばして、サクラを掴んだウサギの獣人が、サクラにそう声をかける。
『あ、あの、私たち、森に帰りたいんです』
サクラは獣人語で、ウサギの獣人に声をかけた。
だが、ウサギの獣人は、何も言わず、檻から出したサクラの服を鋏で裂いていく。
冷たい鋏の峰が肌の上をすべる。
重ねて着けていた首飾りもじゃきりと切られ、床にジャラジャラと音を立てて落ちた。
ただ、腕輪や足飾りはそこまで気に留めていないようで、そのままガラスの部屋に押し込められた。
ふわりと風が吹いて、髪が巻き上がる。暖かい空気が体を包む。
そして青い光が全身を包むと、一瞬息ができなくなった。
音が消え、まるで水の中に落ちたように感じた。
とっさにもがきそうになったが、それは一瞬のことで、すぐに光は消え、風も止まった。
一瞬だけでも、おぼれたように感じたサクラは、息が切れたわけでもないのに荒く呼吸を繰り返した。
『はーい、服着てね』
サクラの様子は気にも留めず、ウサギの獣人はサクラに白い服を着せた。
両脇を抱えて、扉の先へと連れて行く。
廊下へと出た先で、格子の扉が開いていた。
そこは、別の群れの子たちが入っている部屋の、隣にある部屋だった。
『さあさあこっち。はいってはいって』
タヌキの獣人が追い立てて、子どもたちを全員その開いた格子の先の部屋へと押し込んでいく。
サクラも部屋へと入る。
格子の向こうには、さらに広い空間の部屋があった。天井も高く、煌々と明かりが灯り、木目の美しい床や梁が部屋を彩っている。
広い空間を、いくつかの円形の区画に仕切る高い柵があった。
木材で作られたそれは、サクラの身長ほどの高さがあり、登って逃げるには時間がかかりそうだった。
『群れ別でいいかしら。攻撃的な子がいたら、別に避けといてね』
『はい所長』
タヌキの獣人が、白い服をまくり上げ、性別を確かめて男の子、女の子と分けていく。
長い脚で柵の間をまたぎながら、仕分けした子どもたちを柵の中へと置いていく。
『この子は、女の子だったわね』
いつの間にか目の前に立っていたウサギの獣人が、そう言って、サクラのことも抱え上げて格子の部屋から出し、丸い柵の中に置いていく。
「なにすんだよ! 離せ!」
大きな声が聞こえて、サクラは振り返る。
違う群れの男の子が、タヌキの獣人の腕から逃れようと必死に抵抗していた。
その男の子はどこか別の部屋へと連れて行かれた。
他にも、噛みついたり、大きな声を出している子は連れて行かれるようだった。
――こんなのって。
あまりの扱いに、サクラは白い服の裾を両手でぎゅっと握りしめ、足を隠すように引き下げた。
――人間、なのに。
どこかで、獣人も自分たちを受け入れてくれると、そう思っていた。
同じ言語を理解できれば、どうにか通じれば、わかってもらえる。
思い描いていた幻想はばらばらに砕け、自分が、この世界ではただの獣なのだと、まざまざと突き付けられていく。
『そろそろ時間? 準備できた?』
『大丈夫そうです。じゃあ俺、案内してきますね』
柵を乗り越えて、タヌキの獣人が両開きの扉の向こうへと消えた。
少しして、がやがやと音がし始めて、扉の向こうに何人もいる気配がした。
『人間は非常に臆病な生き物です。大きな音を出したり、牙や爪を見せないように気を付けてください。走ったり、急に動いたりもしないように。連れて行く子を決めたら、受付で手続きをお願いします』
扉の向こうで獣人語が聞こえる。
両開きの扉が開いた。
そこから、獣人達がわっと声を上げて入ってくる。
子どもたちの悲鳴が、部屋中にこだました。




