第11話 保護施設(1)
夜が更けていく。
しとしとと降り始めた雨は、檻の格子から垂れ落ちて、体を濡らした。
サクラは、子どもたちに寄り添って、なるべく体温を下げないようにしていた。けれど、速度を上げ始めたトラックの上では、檻の中にごうごうと風が入り、わずかに残った体温を根こそぎ奪っていく。
トラックの動きが止まって、中にいた獣人が降りてくる音が聞こえた。
『おい、なんだ? 忘れ物か?』
『……雨が降ってきたからな』
獣人語が聞こえ、バサバサと音がして、檻の上に何かが被された。
厚い布のようなものが掛けられると、檻の中が途端に暖かくなった。
見た目は普通の布なのに、雨もしみ込んでこない。
怯えと寒さで固まっていた子どもたちの体が、ほんの少し緩むのをサクラは腕の中で感じた。
『優しいねえ? 俺にももう少し優しくしてくれてもいいんだぞ?』
『……うるさい』
バタンと扉が閉じられる音がして、何かが動き出す細かい振動が伝わる。
トラックはまた、動き始めたようだった。
暖かくはなったが、外は見えなくなった。
暗闇の中、外の音も聞こえにくい。
しくしくと子どもたちのすすり泣く声だけが、閉ざされた檻の中にこもっていた。
―――
どれほど時が経ったのだろうか。
トラックは車体を揺らしながらずっと走り続け、檻に入ったサクラたちを運んでいく。
――帰り道、……わからなくなっちゃった。
暗闇を見つめながら、そんな思いがよぎる。
せめて道さえわかれば。
どこかで逃げて歩いてくれば。
子どもたちを連れて、帰れたのかもしれない。
外が見えなくなってしまえば、トラックの揺れだけで道を覚えることは不可能だった。
――……ロダ、レイ、おばば。
ひとりひとり。
最後に見た姿が、サクラの脳裏に何度も何度もよみがえる。
――どうして、どうしてこんなことに……。
(“愛想”よくするんだよ)
ロダの言葉が耳に残って離れない。
――“愛想”。愛想って、なんでそんな。
こんなことをされて、群れを壊され引き離されて。
大事な人たちをたくさん傷つけられて。
なぜ、そんなことをしなければならないのか、まるでわからなかった。
サクラの腕の中で、子どもが一人、身じろぎをする。
長い時間、揺られているうちに、泣き声はひとつずつ減っていき、一人、また一人と疲れから眠ってしまった。
後続車の照らす光が、檻に掛けられた布の隙間からちらちらと漏れるのをサクラはじっと見つめていた。
どこか平らな場所に出たのか、車体はほとんど揺れなくなっていた。
体感で、信じられないくらい速く走っているのがわかる。
漏れてくる光が、ちらちらと色を持ち始め、少し様子が変わってくる。
――どこに、向かっているんだろう。
サクラがそう、ふと思った時だった。
車体が、ぐんと大きく曲がり、右に体が強く引っ張られた。
そして、トラックの速度がゆっくりになっていく。
聞きなれない音が突然大きく鳴り始め、トラックが前ではなく後ろへと下がり始めた。
甲高い音で起きた子どもたちが、小さく悲鳴をあげながらサクラにしがみついてくる。
何が起きているのかまるで分からない。
サクラは子どもたちを両腕でかばった。
トラックの前方で、バンと扉の閉まる音が聞こえる。
『檻はぴったりつけろよ? 前に隙間開けていたせいで逃げようとしたのが挟まっちまって面倒なことになったからな』
『……わかった』
『いいぞー、ゆっくり。オーライオーライ』
ガシャンと大きな音が鳴って檻の向こうに何かがぶつかった。
『いっけね。布かけてたの忘れてた。引っこ抜くから少し前に出ろ』
車体ががくんと動き、布がばっと取り払われた。
煌々と光が差し込み、悲鳴が上がる。
突然の明るさに目が眩み、サクラはとっさに子どもたちを抱き寄せた。
「……っ」
目を細めながら、恐る恐る顔をあげる。
白い崖のようなものが目の前にあった。
いや、崖ではない。これは建物だとサクラは理解する。
大きな倉庫のような場所に、サクラの乗っていたのと同じトラックが五台ほど、同じように並んでいる。
同じように檻に入れられていた群れの仲間が、こちらを見ていた。
「あ! トナだ!! トナ!! トナ!!」
「ミュカ! ミュカ!!」
サクラの隣の子がそう声を上げた。檻の向こう、同じように檻に入れられた大人がこちらに手を伸ばしていた。
「ここから出して!」
「ラガ! ラガ!」
「あの子を返して!」
その声を皮切りに、子どもたちが格子の向こうに自分の親を探し、見つけて声を上げ始める。自分を呼ぶ声で気づいた親が同じように子どもに呼びかけて格子の隙間から腕を伸ばす。
『ゆっくり傾けろよー』
どこからか獣人の声が聞こえ、檻が突然、後方に向かって傾き始めた。
大きな悲鳴が上がる。
檻にしがみついて耐える大人。動きに抗えずに檻から滑り落ちていく子どもたち。
恐慌の中、サクラは片腕で子供たちを抱き寄せ、もう片方の腕で檻にしがみつき、耐えようとした。
「サクラ!! サクラちゃん!!!」
誰かが、自分の名前を呼んでいる。
サクラは視線だけを向けた。
そこには、同じように檻にしがみつく女性。
隣にいた子の母親だった。
「おねがい、私の子をお願い!!」
そう言って、耐えきれなくなって檻から手を離し、落ちていった。
返事をすることもできず、檻はさらに角度が深くなった。
サクラも、とうとう手を離してしまい、まばゆい明かりの中に落ちていった。
――
つるつるの床を子どもたちと滑り落ちる。
滑り落ちたのは一瞬で、すぐにどこか柔らかいところに落ちた。
「……っ!」
「痛い!!」
滑り落ちた先に、先に落ちていた子どもたちが倒れていて、サクラたちはぶつかった。
慌てて身をよじって、サクラは子どもたちの上から退ける。
ふんわりと、サクラの体が沈む。
何か、柔らかいものが床に敷き詰められていた。
ちかちかするほど眩しい室内。
夜のはずなのに、ロダの作ったランプよりも強く白い光が、目を焼くようだった。
「ごめんね! 大丈夫?」
サクラは柔らかいところから這い出て立ち上がり、近くにいた子どもたちに手を伸ばす。
落ちたところにあったのは、巨大な布をあわせたものに綿をこれでもかと詰め込んだものだった。
もふもふのそれの上で、恐怖で動けずにいる子どもたちが泣いている。
全員をとりあえずその上から出そうと、さらに手を伸ばそうとした時だった。
ガチャリと、奥の扉が開いて誰かが入ってきた。
『今日はたくさんねー。手分けしてみていくわよ。噛みついてくるかもだから、気を付けて』
白い服を着て、手には厚い革で作った手袋をはめている。
長い耳が頭部からぴょこんと伸びていて、ウサギのように見える。
その後ろからも、二人ほど獣人がやってきた。
毛深く、獣の耳があり、サクラたちの倍は大きい存在が、ぞろぞろと入ってくる。
子どもたちが悲鳴をあげて壁際に逃げ、何人かは泣きじゃくっていた。
サクラは壁際に子どもたちを集め、その前に立ってかばった。
『怪我している子がいたら別にしてね。あんまり小さい子は親のほうへ持っていくから。暴れるときだけ拘束装置を使って』
ウサギの獣人に指示されて、獣人たちが動き出す。
サクラから遠いほうの男の子が、獣人に腕を掴まれる。
「ち、ちかよるな。やめろ!」
叫びながら腕を掴む獣人の大きな手に噛みつこうとしている。
「だめ!! 逆らわないで!!」
サクラはとっさに大きな声を張り上げた。
何人かの子どもたちがサクラのほうを振り返る。
「逆らっちゃダメ!! 抵抗したらひどい目に遭う!!」
ロダの言葉が蘇る。
「……“愛想”」
伸ばしていた両腕を下ろし、後ろを振り返って膝をつき、子どもたちのほうを向く。
「……“愛想”。愛想よくするの。……逆らっちゃダメ」
すがるように目を向けてくる子どもたちに、サクラは精一杯、微笑んだ。
「“いい子”にしていたら、きっとお母さんたちにまた会えるから」
無責任な約束を、子どもたちにかけた。
何人かの子が、戸惑いながらも涙を流しながらじっとサクラを見つめる。
『あら、この子もう“成人”じゃない?』
サクラたちの様子をじっと見ていた獣人の一人が、そう声を出して、サクラはびくりと体が硬直した。
獣人の手がサクラの肩に伸びる。
掴まれて、そっと引っ張られて、サクラは獣人のほうを振り返る。
巨大な顔がぬっとサクラの顔を覗き込んできて、サクラは悲鳴が上がりそうになるのをぐっとこらえた。
『ほんとだ。……小柄だから間違えたのかな。どうします? 大人の部屋のほうに移動させますか?』
声をかけられたウサギの獣人が、口元に手を当てながら、じっと、こちらを見ていることに、サクラは気づいて無意識に怖気づいた。
サクラたちの様子を、行動を観察しているのだ。
『いいえ、この子がいるとほかの子も落ち着くみたい。このままでいいわ。見たところ怪我をした子はいないみたいだから、このまま洗浄室に連れて行きましょう』
獣人たちの手が伸びてくる。
子どもたちが悲鳴をあげた。
壁に爪を立てて、上に逃げようと暴れだし、部屋の中はたちまち騒然となる。
「みんな! 落ち着いて!」
皆に呼びかけるサクラの声も震える。
ロダの言葉だけが、サクラを奮い立たせる唯一の支えだった。それでも、サクラの足は今にも崩れ落ちそうだった。
ウサギの獣人と目が合った。
茶色の毛に、鼻先と耳の淵、目の周りがほんのり白いウサギ。
真っ黒なつるんとした瞳が、じっとこちらを観察している。
『……やっぱり今日はいいわ。洗浄するのは明日にしましょう』
こちらを見ながら、ウサギの獣人が隣の獣人に声をかける。
その言葉を聞いたほかの獣人が不満そうに声を上げる。
『ええ? でも公開日は明日ですよ? もう業者来るの決まってますし……』
ため息をついて、ウサギの獣人が声を上げた獣人に向き直る。
『じゃあ、明日、私が早めに来てやっておくから』
『一人じゃ無理じゃないですか? ……しょうがないですね、はぁ。私も早く来ますから、先やらないでくださいね』
何かの話し合いが終わったのか。
獣人たちが、踵を返してそれぞれ扉の向こうへと消えていく。
どこかほっとした空気が流れる。
ウサギの獣人が、口の両端を上げるのを見て、サクラは怖気を感じた。
『……いい子ね。明日はよろしくね』
そう言うと、ウサギは最後に部屋を後にしていった。
そして、まるでふいに夜のとばりが下ろされたように、部屋が暗くなった。
壁にはめられた石から発せられる青白い光だけが、サクラたちを照らしていた。
―――
子どもたちの寝息が聞こえる。
やっと、全員眠れたようだった。
サクラは、深い穴に落ちくぼんでいくような、重い重い息を吐いた。
頭が、ガンガンと痛む。
何もかもが遠くにあるようで、それでいて体中にへばりついているよう。
現実が、空気が、生きて手を握っている子どもの体温が、サクラの意識をここにとどめさせていた。
――私も、寝ないと。
明日、何が起こるのかもわからない。
それでも、子どもたちのことを守らないといけない。
たとえ、できる限りのことしかできないのだとしても。
何が起きるのだとしても、少しでも体を休めないと、明日動けなくなっても困る。
サクラは隣の子どもたちを起こさないように気を付けながら、小さく身じろぎをして、少しの隙間に身を横たえた。
かさり、と何かが服の間で擦れるのを感じた。
サクラは無意識に手を伸ばして取り出す。
それは、ロダの家で見つけた写真だった。
――持ってきちゃったな。
青白い光にかざして、サクラは写真を眺める。
熊の女の子と、人間の女の子。
どちらもかわいらしい服を着ており、熊の女の子が人間の女の子の手を取っていた。
暗いし、写真自体も黄ばんでいて、表情まではよく見えなかった。
ただ、その写真を撮っている場所は、あの廃屋の玄関前、だということはわかった。
――リリーアンヌ。
裏に書かれた文字を思い出し、サクラは裏返してその文字を再び読む。
――帰り道、わからなくなっちゃったけど、この熊の子を探せば、あの廃屋にたどり着けるかもしれない。
他にも帰る方法はあるのかもしれないが、この写真は、少なからず小さな手掛かりにはなりそうだった。
サクラは、自身の服をもぞもぞと探る。
手に取った細い皮ひも。腰につけていた水晶の飾り。
いろいろと外して、写真を小さく折りたたみ、水晶に巻き付けて破けないようにそっと皮ひもでぐるぐるに巻き付けていく。
それを編みこんで、足首に巻き付けて、きつく縛って止めた。
――……洗浄、って言ってた。これで、失くさないといいんだけど。
足首に巻いた即席の飾りをサクラは軽く引っ張る。
パッと見、飾りにしか見えないように、ところどころ水晶の飾りもつけて、それっぽくした。
――この足で、帰れますように。
祈るように、飾りを撫でる。
ロダも、レイも、無事かわからない。おばばのことも。
自分たちがどうなるのかも。
サクラは再び体を横たえて、目を閉じようとした。
その途端、瞼の裏に最後に見た二人の姿が蘇って、閉じていられなかった。
涙が、ひとりでにつうっと零れ落ちて、横顔の下にある布を濡らしていく。
それはぽろぽろと零れ落ちていくが、子どもたちを起こさないように、サクラは声を上げることすらできず、ただ深く息を吐き続けた。




