第10話 約束
森の中は荒れ放題だった。
木々はところどころなぎ倒され、下草は踏み潰され、森の中に一本の太い道ができていた。
どうして、こんなになるまで気づかなかったのか。
サクラには何もわからなかった。
檻の中で、サクラはガタガタと震えていた。
今しがた引き離された群れの方角を、ただ見つめることしかできない。
「レイっ、……やだ。……レイっ」
涙がいくつも膝に落ちる。
真っ赤に染まっていく地面が、レイの姿が、頭から離れない。
サクラは喉元を強く掴んだ。爪が皮膚を引っ掻いて、赤い線を作る。
そのまま、レイの名前を呼び続ける。
――どうして、こんなことに。
――私が、私がもっとしっかりしていれば。
同じ考えだけが、何度も頭の中を巡る。
何の答えも出せないまま、檻はいびつな山道を下っていった。
「……サクラ?」
ふいに呼ばれて視線を落とす。横に座っていた小さな子がサクラの服の裾をぎゅっと握っていた。
「サクラ、……だいじょうぶ?」
昨夜、汁物を椀に注いでくれた人の、一番下の子だった。
サクラはその子の手を取って、握り返した。
「……大丈夫、ごめんね。大丈夫だよ」
そう声をかけると、その子はサクラに身を寄せてうつむいた。
檻の中を見渡せば、小さな子どもたちがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
みんな震えながら、親を呼んで泣いていた。
サクラは外に目を向ける。
檻を連れて歩く数人の獣人。そのもっと後ろにもいくつか檻がついてきているようだったが、中までは見えなかった。
獣人達は時折談笑しながら、檻を連れて、山を下っていく。
―――
どれくらいの時間が経ったのか。
山の裾野まで降りてきたような気もするし、そんなに時間が経っていないようにも感じる。
いつの間にか森が切れ、広い道のような場所へと出ていた。
――私、ここ知ってる。
あの廃屋から、ずっと下っていけば通る道だった。
もっと、下へと歩けば、いくつかの朽ちた建物が並んだ廃村に出る。
あまり山から離れると危険なので一度しか行ったことがない。
砂利が敷かれた広い道の上で、檻が止まり、獣人達も足を止めたようだった。
それぞれが背伸びをしたり、深呼吸をしたりしていて、どこかほっとしているようだった。
『はああああ、やっと出た』
『降りてくるの大変だったな』
獣人達のそんな声が聞こえる。
「森から出ちゃった!」
「どうしよう、こわいよう」
子どもたちがよりいっそう不安そうに声を上げ始めた。
サクラの隣に座った子も、その手をさらにきゅっと握りしめてくる。
「大丈夫、大丈夫だよ。きっと、……きっと逃げられるから」
サクラは子どもたちに声をかける。
この檻の中で一番大きい子どもは、サクラだった。
子どもたちが狭い檻の中で、サクラの周りに集まってくる。
身を寄せ合いながら、サクラは檻の中を見渡した。
――どこか、開けられないかな……。
上を見れば重そうな蓋がされており、とても開きそうになかった。
檻の後方に目をやれば、格子が左右に開く扉になっており、その真ん中には閂がされていた。閂には、大きな錠が掛けられている。
――あれさえ壊せれば開けられそう。
もう一度、あたりを見渡す。
檻のそばには獣人はいないようだった。遠くで獣人語が聞こえる。どうやら、少し離れたところで休んでいるらしい。
サクラは座ったまま半身をひねり、錠に手を伸ばした。
ガシャガシャと引っ張ってみる。
――開いて、……開いてよ!!
爪が割れるほど力を入れても、錠はびくともしない。
サクラの心が、折れそうになる。
その時だった。
パン、と。
乾いた音が、辺りに大きく響いた。
獣人達がざわざわと騒ぎ始める。
パンっ!
また、大きな破裂音が鳴った。
『あいつ、銃を持っているぞ!』
誰かがそう叫んでいた。
獣人達がそこかしこに走り回る音。
にわかに慌ただしくなり、近くにいた獣人達もどこかへと行ってしまう。
外の様子におびえて、子どもたちはさらにきつく身を寄せ合っている。
サクラは立ち上がると、両手を格子の隙間から伸ばして錠を掴んだ。
無理やり動かして、何とか錠の前面を見る。
青い石がはめ込まれていて、鍵穴などは見当たらない。
――これも、……魔法で動くんだ。
力ずくで壊すしかない。
ガシャガシャと両手で引っ張る。
格子にこすれて腕に痣ができ、指先からはさらに血がにじむ。
それでもサクラは、錠を引っ張り続けた。
「サクラ」
ふいに呼びかけられ、檻の横を見る。
「ロダ……!」
そこにいたのはロダだった。
ロダの髪には葉が絡まり、服は泥だらけになっていた。
肩で荒く息をして、それでも、まっすぐサクラを見つめている。
その目は、怖いくらい冷静だった。
「ロダ、ロダ……レイがっ!」
「ロダおにいちゃんだ!」
「ここから出して!」
子どもたちも気が付いたのか、ロダを見ようと格子にわっと集まってくる。
「……サクラ、ちょっと後ろに下がって」
「う、うん」
サクラは子どもたちに呼びかけながら、みんなで後ろに下がった。
ロダは手に持っていた銃を地面に置いて、背負っていた大きな金槌を取り出した。
――あの銃、……廃屋にあった。
見覚えのある黒光りする長い筒。
それを見て、サクラは無意識に身震いした。
廃屋で感じた、あの冷たい感覚がぞくぞくと背筋を這い上がってくる。
「いくよ!」
そう声をかけて、ロダは金槌を大きく振りかぶった。
ドンッ、と鈍い音を立てて金槌は跳ね返された。
ロダがたたらを踏む。
――金属に当たったような音じゃなかった。
よく見れば、金槌は錠に当たってすらいなかった。
「……せーのっ!」
ロダがもう一度、金槌を錠に振り下ろす。
またしても鈍い音を立てて、金槌は跳ね返された。
――あの時と、同じだ。
レイの射った矢も、獣人に届く寸前で何かに弾かれた。
「……くそっ!!」
ロダが口汚く吐き捨てた。
そんな言葉をロダが言うのを、サクラは初めて聞いた。
「ロダおにいちゃん、ここからだして!」
「巣にかえりたいよう」
子どもたちが、次々と泣き始める。
『おい! あの野郎どこ行った』
『探せ! 破裂クルミなんかで脅しやがって! 誰だか知らねえが、とっ捕まえてやる!!』
獣人達の怒鳴り声が、遠くに聞こえた。
もうすぐこちらにも来るはずだ。
「ロダ逃げて!! 早く行かないと捕まっちゃう!!」
脳裏に過ぎるのは、最後に見たレイの姿。
ロダまで、あんな目に遭う。
格子を掴む手が震えた。
ロダが下を向いたまま動かない。
ぎりりと歯を食いしばる音がサクラの耳にまで聞こえた。
「ロダっ!!」
悲鳴にも近い声で、サクラはロダに呼びかけた。
ロダが、くっと顔をあげた。
ロダの瞳に浮かぶ光が、どこか歪んで見えた。
ロダが、サクラの喉元に手を伸ばす。
「……ロダ?」
なぜ今、ロダがそんなことをするのかまるで理解できない。
するりと、ロダがサクラの首元を撫でた。
「……あんまり、傷をつけないほうがいい」
こんな時に何を気にしているのか。
サクラは強く頭を振った。
「そんなこといいからっ! ロダ、早く逃げて!」
「サクラはかわいいから、大丈夫だと思うけど」
「か、かわいい……? は?」
あまりに場違いな言葉に、思わず変な声が出た。
「傷がついてると、よくないからね」
何をのんきなことを言っているんだと、サクラは檻越しにつねりたくなったが、ロダを見ればその表情は真剣そのものだった。
ますます意味が分からなかった。
「サクラに約束してほしいんだ」
「約束?」
黒曜石のようなロダの瞳が、まっすぐサクラの視線を射抜く。
時間がないはずなのに、ロダはどこか静かだった。
「絶対に、獣人達に逆らうな。……子どもたちにも伝えて」
ロダが、微笑む。
こんな状況で、にこりと、きれいに。
「 “愛想よく” するんだ」
「愛想……? え?」
何を言っているのか、わからない。
「 “愛想よく” するんだよ。……サクラ」
ロダが再び念押しする。
『あ、あそこにいたぞ!』
『人間じゃないか! すぐ捕まえろ!』
獣人たちの怒鳴り声が聞こえる。
「必ずサクラを “見つけに” 行くから」
ロダがそう言って、どこか悲しげに微笑みかけた。
サクラの返事も待たずに、ロダは置いていた銃を手に取った。
そのまま檻の横から飛び出して、獣人達の前に立つ。
『じゅ、銃を持ってるぞ!』
『だれか障壁魔法使える奴はいるか!?』
混乱する獣人に向かって、ロダは銃を構えた。
にわかに緊張が走る。
ロダが、引き金に指をかけた。
一瞬、息をのむような静寂があった。
――……何も、起こらない。
「……やっぱり、使えないんだな」
場違いに、どこか歪に笑いながら、ロダがそう呟くのが聞こえた。
銃が使えないことがわかると、たちまち獣人達がロダを取り囲んだ。
獣人の一人が、ロダの持つ銃を蹴り上げる。
「……ロダ!! ロダああ!!!」
獣人に囲まれて、ロダの姿が、見えなくなる。
鈍い音が何度かして、それから何も聞こえなくなった。
「やめてよ……お願い、やめてえ」
サクラの叫びは獣人達には届かない。
『早く移動しちまおう。ったく、散々な目に遭ったぜ』
『銃を持つ人間なんて、初めて見たな』
『大方、いかれた獣人が教え込んだんだろう』
檻がまた、ゴンゴンとうなりをあげて浮かび上がる。
サクラがどれだけ声を張り上げようと、懇願しようと、獣人達は檻を運び、進み始める。
その先に何があるのか。
廃村より先へ行ったことのないサクラには、まるでわからない。
ロダの行方を探すこともできず、サクラは檻の中でうずくまり、ただ嗚咽をこぼす。
喉元には、ロダの手の熱だけが残っていた。
サクラは喉を、ぎゅっと握りしめた。
―――
檻がトラックに乗せられて、ガタガタと山道を進んでいく。
感じたことの無い速度に、子どもたちはすっかりおびえてしまって、檻の端に身を寄せ合って震えている。
サクラは子どもたちをその身でかばいながら、ただ、ぼうっと外の景色を眺め続けた。
『お、見ろよ。エルフの爺どもがあんなところまで来ているぞ』
『……』
『専用道路の工事事業も同意の上でやっているのになあ。ご苦労なことだよなっ?』
『……』
『おーい、口どこ行ったあ?』
窓を開けているのか、運転している獣人達の声が聞こえてくる。
――エルフ?
その言葉に、サクラはぼんやりと顔をあげた。
サクラは少し身を傾けて、格子の隙間から外を覗く。
山肌を削るように造られた道の向こう。日が陰り始めた山々の裾野に、木々の緑とは違う色が見えた。
淡く発光するような水色。
目を凝らせば、木々の合間に大きな天幕のようなものが見えた。
「……エルフ」
思わず、声が漏れた。
ずっと、行こうとしていた場所。
ロダと、レイと、三人で。
――ロダが、行きたかった場所。
サクラは格子の向こうへ手を伸ばした。
届きもしないそこは、もう三日も歩けば着けそうなくらい、とても近かった。
なのに、自分はそこへは行けない。
――なにもかも、無くなっちゃった……。
ぽつりと、伸ばした手に雨が落ちた。
ひとつ、ふたつ。
やがて雨は格子の向こうの景色を白くけぶらせていく。
手をのばしたまま、サクラは遠ざかっていく山を見つめた。
三人で行くはずだった場所。
淡く発光するエルフの天幕は、やがて木々の間に隠れて見えなくなった。
それでも、サクラはじっと、見つめ続けた。
第一章 森林種族保護区域 終
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
第一章、これにて完結です。
次章も引き続きお楽しみいただけたら幸いです。
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