厳しい指導の難点
厳しい指導には、それなりのリスクがある。実施する側――教える側はもちろん、いつ告発されて事件化されるか分からないという多大なリスクを抱えることになるが、一方の実施される側――保護者、生徒も、プロに任せればそれで万事解決、とはならない。さまざまな要因で指導がうまく進まない可能性を、常に秘めている。
そのことを含めて、まず一つ、保護者と生徒には、かなりの覚悟を決めていただかなくてはならない。
これまで厳しく指導されたことがない子がいきなり厳しくされると、すぐにへこたれてしまうことがある。
そして「こんなの絶対無理、ついて行けない」と泣きつかれでもすれば、大方の保護者はその訴えを受け入れ、もう少し優しく指導してほしい、との要望を出してくる。
だが、それでは無意味なのだ。
優しい指導で伸びるのであれば、塾に通っている時点で成績が伸びているはずなのである。
そうではなくて、塾での勉強や、家で一人で、あるいは保護者と勉強しているときにどうしても出てしまう甘えや怠け癖を一掃するため、きちんとやるべきことをやらないと手ひどい目にある、という恐怖で縛りつけ、半ば強制的に勉強させるからこそ、成績は伸びるのである。
従って、生徒は、例えば「なにがなんでもあの学校に入りたい」等の目標を強くもち、どれだけ厳しくされても心折れることなく必死でついているという覚悟が必要になる。
そして保護者の方も、例え子どもが泣きついてきたとしてもそれを退け、説得し、時には体罰を加えてまでも指導を継続する覚悟が必要である。
もちろん、仮に私が指導を引き受けるとすれば、はじめにきちんと生徒・保護者と面談し、どのような態度を取ってはいけないか、どれほどの負担をかけることになるか、そして、宿題等をやらないなどの失態があれば、どのような罰を受けるかきちんと説明し、納得してもらったうえで、徐々に信頼関係を構築し、厳しい指導であっても気持ちが折れることのないよう、心を配る。だが、そういった努力が、必ず実を結ぶとは限らない。そういった場合、生徒本人は折れそうになる心を自力で立て直し、保護者には支えとなる覚悟を持っていただきたいのである。
そして、覚悟を決めて厳しい指導に立ち向かったとしても、必ず成績が伸びるとは、残念ながら確言できない。
前節では指導の結果、華々しい効果が挙がった例について書かせていただいたが、最後までがんばって指導についてきたにもかかわらず、期待したほど成績が伸びず、残念な結果に終わってしまったことも、やはりある。
教育、それも個人指導は、人間対人間、個性と個性のぶつかり合いと言う側面を強くもつ。それらを乗りこえて信頼関係を築き上げない限り、いくら厳しい指導を施したところで効果は薄い。だから、指導を引き受けるに当たり、まずは生徒本人と、そして可能であれば保護者の方から強固な信頼を得るよう努力するのだが……中にはどうしても「馬が合わず」、信頼関係を築くに至らない場合があるのだ。
一対一で指導する以上、どうしても相手に対する好悪の感情というのは出てしまうし、特にまだ理性が未発達で感情が優先しやすい生徒側は、「好き」か「嫌い」かで相手を判断しやすい。そして、勘定の振れ幅が大きい分、ずっと「好き」であった先生が、ちょっとしたきっかけて「嫌い」になることも、ままある。
こうなってしまうと、ちょっとやそっとでは信頼は回復しない。そして信頼できない相手からいくら厳しくいわれたところで、せいぜいしぶしぶ従うのが関の山。
これでは、効果は上がらない。
そして、ある程度信頼関係が築けたとしても、生徒との間の「距離感」を適切なものに保ち続けなければ、やはり指導の効果は薄い。あまりに距離が近すぎると馴れ合いが生じ、ゆるみたるみから成績が上がらなくなるし、距離が遠すぎると生徒はかたくなになり、こちらのいうことに表面上従うだけとなって、やはり効果が上がらなくなる。
信頼関係を築いていたつもりが、生徒は時折、平然とその信頼を裏切るような真似をしでかしてくれる。そうなれば、やはり腹が立つし、理不尽に怒鳴りつけてしまうことも――あえて告白するが――やはりある。
生徒は一人一人違う。その生徒にどのように接すれば、最も効果的に知識を伝授できるのか、私はかれこれ30年以上、講師としての経験を積んでいるが、まだまだ未熟で、日々手探りで指導をしている(これはおそらく、他のプロ講師の方も同じであろうと思われる。中には「生徒の心をつかむなんて簡単だ」などと豪語する方もいらっしゃるかもしれないが)。
発展途上の人間が、さらに発展途上の人間と向き合い、手探りで関係を構築していかなければならぬ以上、失敗の可能性はぬぐいきれない。従って、必ず成績が伸びるとは確言できないのである。
そのことについても、保護者と生徒の方は、あらかじめ覚悟していただかないといけないのだ。
そしてさらに、個人教授である以上、かなり指導料がかさむ。
この種の厳しい指導は、今まで述べてきたことからおわかりいただけるかと思うが、マンツーマンの指導が必須である。
人数が増え、二人一度にとか、三人一度になどとなると、学習塾での集団指導と変わらない状況になってしまうからだ(もっとも、受講する全員がほぼ同じレベルの学力であり、同じように保護者ともども覚悟を決めていて、目標達成の意欲に燃えている場合に限り、授業が成立する可能性はあるが)。
そして、マンツーマンの指導でさえあれば、指導者は誰でもよい、というわけではない。
例えば、スポーツの世界で、それまで全く力不足だった日本チームを率い、世界に通用するレベルのチームに育て上げた名コーチたちが、テレビなどで特集されることがある。彼らはほぼ例外なく、非人間的なまでに厳しい練習を選手に課し、時は体罰を加え、情け容赦なく鍛え上げる「鬼コーチ」である。だがその一方で、その競技に対する深い知識と豊富な技術とを併せ持ち、基本から応用まで、どうすれば選手の肉体と技術を伸ばすことができるのかを知り尽くした「有能な育成者」でもあったのだ。
精神面で選手を鍛え上げる厳しさと、技術と知識を効果的に教え込む合理性、その二つを備えていることこそが、選手たちの力を驚異的に伸ばし、世界レベルの実力を身につけさせるコーチの条件なのである。
これは、学習指導でも全く同じことがいえる。
厳しく指導した方がいいからといって、ただやみくもに厳しくすればいいというものではない。生徒の現在の実力を見極め、なにが足りないかを正確に見抜き、その知識をきちんと教えた上で、どう知ればその知識が定着するかを考え、実践していく。そのためには、かなりの知識と経験が必要にある。大学生のアルバイト家庭教師が付け焼き刃で真似できるようなものではないし、ましてや、保護者の方がただやみくもに子どもに厳しく接したところで、効果が出る可能性は極めて低い。
従って、成績上昇を目指して厳しい個人教授を依頼するのであれば、その相手は少なくとも10年以上は経験のあるプロ講師でないと、意味がない。しかも、これは国語の場合であるが、知識問題と読解問題、両方での得点率を大幅に伸ばすとなれば、週に一度の指導では時間的に足りない。生徒の素質とやる気にもよるが、多くの場合、最低限週に2回、2時間程度は指導時間が必要になる。
経験豊かなプロ講師に週2回、1回2時間家庭教師を依頼するとなると、指導料はかなりなものにならざるを得ない。そういう意味で、保護者の方には、かなりの経済的負担を強いることになってしまうのだ。
さらに、例えば中学受験で厳しい指導を行い、無事に志望校へ入学したからといって、それでその先ずっと、その生徒が意欲的に勉強するようになるわけではない。むしろ逆に「中学受験であんだけひどい目に遭ったんだから、これから先は気楽に楽しく生活しよう」と、それまで苦労した分を取り戻すかのように、自堕落で怠けた生活に陥ることが多い。
そして、先ほどから述べている「集団授業の限界」があるため、たとえどれほど有名な、どれほど偏差値の高い中学高校に入学できたとしても、そこの教師に「厳しい教育」を期待することはできない。
むしろ、そのように自堕落な生活、勉強態度に陥る生徒は「学校の進学実績を上げるための戦力にならない」という理由から、情け容赦なく切り捨てられる場合が多い(常に有名大学への合格実績を一定以上出し続けなければならない有名進学校は、その辺り、実に冷徹である)。さらにこれが大学附属校など、どれだけ怠けていても進路が保証される場合はもっとひどく、「自分らしく生きればよい」という美しいキャッチフレーズの下、授業をさぼろうが、宿題が未提出であろうが、テストの点がひどかろうが、小言一つ言われることなく、そのまま放っておかれる場合がほとんどである。
そのように「怠け癖がついてしまった生徒」が、大学受験や、あるいは就職活動に直面したら、どうなるか。
大方予想はつくだろうが、ことごとく失敗する。
そこではじめて、自分がいかに今まで怠惰に過ごしたか、時間を無駄にしてきたかを悟るのだが……時既に遅し。それを取り返すのに、莫大な時間と苦労をかけなければならなくなる。
おわかりだろうか。
厳しい指導によって実力を身につけた場合、目標を達成して後も、さらに厳しい指導を継続しなければ、遠くない将来、また怠け癖が再発し、元の木阿弥になってしまうのである。
これらに加え、現実問題として「出会い」の機会の少なさがある。
プロ家庭教師の中には、「生徒の成績を上げ、志望校に合格させるためならば骨身を惜しまない」という熱心な者がいる。が、その一方で「親と子どものご機嫌を取りながら、それなりに成績をあげてやればいいや」と思っているものもいる。というか、現行法の中で安穏に生きていくには、そのように割り切った方が無難である以上、後者のように考える者の方が一般的だ。「自分の仕事はあくまで生徒の成績を上げること。すこしでも上がればそれで使命は果たしたことになる。それで生徒が志望校には入れるかどうかは自分の関知するところではない」というわけだ。
こういった中で、いかに「志望校に合格させること、そのためにはどのような手段もいとわない」と覚悟を決めた数少ない講師を探すか、である。
私の場合でいえば、オファーさえいただければ、あまりにも通勤に時間がかかりすぎる場合を除いて、なるべく引き受けるようにしている。とはいえ、先ほども言ったように、教科は国語のみ、時間的制約を考えると、引き受けられるのはほぼ近畿一円に限られる。そして、先ほど申し上げたように、家庭教師派遣会社を通してお引き受けした仕事では、思い切った指導はできない。直接ご依頼いただいた方に限らせていただいている。
また、「他教科でどなたか頼りになる先生をご存じありませんか?」と保護者の方に紹介を頼まれた際も、あまり積極的に紹介はしていない。私自身あまり社交的な性格ではないため、「この方なら」と頼りにできる他教科の先生をあまり存じ上げないし、相性やその他の問題を考えると、安易に紹介するのもどうかと思うからである。
こういった状況下で、「頼りになる」講師を探すには、ツテを探るより他、仕方がない。
例えば、絶対無理だと思われていた学校に合格を果たした子どもの保護者の方から、その原動力となった先生への紹介をお願いする。
あるいは、通わせている学習塾で、「これは」と見込んだ講師の方に、個人指導をお願いする。その講師が塾の正社員ではなく、非常勤講師であれば、きっと引き受けてくださるだろう。
ただし、この「塾の先生にお願いする」方法を取る場合、注意してほしいのは、ただ子どもに人気のある講師にお願いすれば、それで成績が上がるというものではない、という点だ。
子どもに大人気の講師の中には、「とにかく優しくておもしろい先生」が一定数混じる。このような先生は子どもの注意をひきつけるのには長けている一方、「おもしろくてためになる講義をすれば、それで十分」と思っていらっしゃる場合がある。
入試を突破するには、それではダメなのだ。
子どもは楽しい指導に喜び、ケラケラ笑いながら、充実した時間を過ごすかもしれない。だが、楽しいだけでは知識は定着しない。必ず「退屈な反復演習」を行わなければならない。
子どもの実力を伸ばし、成績アップを図るには、むしろこちらの「どれほど退屈な、つまらない作業であっても、有無を言わせず子どもに強制できる力」の方が大事なのである。
そのことをきちんとわきまえ、塾の授業においてもできる限り実践しようとしている講師。生徒の評判としては、「こわいけど、話はおもしろい」「あまりおもしろくはないけど、力はついたかな」などといった「慎重な評価」を受ける講師にこそ、依頼すべきである。
保護者と生徒、双方にかなりの覚悟が必要な上、途中で指導を中断すれば水の泡、最後までやり遂げても必ず合格できるとは限らない。相応の指導料が必要であり、しかも、最低限大学受験までは指導を継続しないと、成績が急下降する可能性がある(といっても、指導開始前のレベルに戻るだけなのではあるが)。さらに、自らツテをたどり、苦労して探しださなければならない……「厳しい指導をする家庭教師」を依頼するには、これだけのハードルがある。安易にお勧めできない、といった理由がおわかりいただけただろうか。
ただ、たちはだかるこれらの諸問題を全て飲み込んだうえで、それでもなお、大幅に成績を上げ、志望校に入りたい、その可能性に賭けてみたい、と熱望されるのであれば、探してみる価値はある(私に「個人的に少し相談したい」とおっしゃるのであれば、「メッセージ」か「フェイスブック(石井浩史)」の方からご連絡いただきたい)。
なにしろその効果は劇的であり、諦めかけていた未来を希望に変えることすらできるかもしれないのだから。
長々と述べてきたが、このように、現在の教育機関による授業は、全く教育としての体をなしていないのが実情である。
そして、その実情を打破する方法は、プロ講師による個人教授という、ほんのわずかな人間だけが享受できる方法以外、なにひとつ存在しない……というのが、この章の骨子である。
そんな、と失望し、呆然とされた方も多いのではないだろうか。
だが、これが教育の現場の、紛う方なき実情なのである。




