第2章 「子どもを守れ」が子どもをダメにする――現状「しつけ」は保護者がするしかないのだが……
第1章では、今現在、小中学校及び学習塾等は、ほとんど教育機関としての役割を果たせなくなってしまっていることについて、学習面――中学受験、高校受験を控えた子どもたちにどのような悪影響を与えているかに焦点を当てた。
それで、
「子どもの勉強が遅れている?そうなんだ。でも、うちの子にはあまり関係ない話だ。うちは中学受験なんか考えていないし、高校もそんなに高望みするつもりはない。将来社会で普通に生活できる、最低限の常識さえ身につけてくれればいい。後は、今を大事に、思い切り子ども時代を楽しんでくれれば」
などと思っている方も、中にはいらっしゃるかもしれない。
だが、残念ながら、教育機関の荒廃は、子どもを持つ保護者の方全員に降りかかる問題である。というのも、学校を中心とした教育機関は、知識を授けるだけではなく、子どもに「社会的に許されること・許されないこと」を教え込み、将来社会の中で一人前の大人として生きていくことができる「行動規範」をも身につけさせる役割をも、本来担っていたからだ。
いわゆる「しつけ」である。
だが、今現在、教育機関において、「子どものしつけ」はかなり難しい。
学校の先生は、授業中、突然大声を上げたり、立ち歩いたりする子どもたちをなんとかとりまとめ、なるべく多くの子に授業内容を理解させるだけで精一杯。それ以外のことにはほとんど手が回らない。その上、下手に「しつけ」などを施せば、たちまち保護者から「どうしてうちの子ばかりを責めるのですか!虐待じゃないんですか!」などとクレームがあがり、窮地に追い込まれる。ということで、危険なことをしようとしている子どもを「柔らかく拘束し」、「危ないからそんなことはやめようね」と優しく言い聞かせたり、ケンカやいじめをしている子どもたちを(殴られるのもいとわず)仲裁し、「そんなことをしてはいけないでしょ?」と理性的に注意するぐらいが関の山。それ以外の、細かい事例にまでは到底手が回らない状況である。
まして、学習塾はこどもに「豊かな知識」を身につけさせるのが本来の業務である関係上、「しつけ」についてはノータッチ。あまりに素行の悪い生徒は退塾処分とするだけである。
昔は「勉強もしつけも、先生方に任せておけば安心」などといっていられたのだが、現代ではそれがほぼ不可能になってしまっているのである。
そうかと言って、しつけを一切施さず、社会常識を一切身につけさせないまま、子どもを成長させるわけにはいかない。そんな「身体だけ成長した子ども」が、一人前の大人として社会で生きていけるはずもないからだ。
ごく一部の、特異な――そして社会に有用な――能力を過度に発達させた人間であれば、なんとか「多少おかしくても仕方がない」を人々から大目に見られることで、その種の「しつけ」が足りないままでもなんとか生きていける可能性はある(昨今、かなり多くの保護者が、子どもをそのような方向へ導こうとしているように、私には思える)。しかし、それも程度問題で、一切の社会常識がない状況では、やはり社会には適応できない。「腹が空いたから」と店頭の商品をいきなり手に取り、食べ始めたり、「もよおしたから」と繁華街のど真ん中で突然放尿したりすれば、いかに「能力者」といえど、警察の世話にならずにはいられないからだ。
子どもが成長する過程において、最低限の社会常識を教え込むことは、その子が将来「社会人として」生きていく上で、絶対に必要なことなのである。
そして、現状教育機関でそれがかなり難しい以上、その「常識を教える」役割は、保護者が担うよりほかない。
だが、現状保護者によるしつけも、一部を除きまともに機能しているとは言いがたい。
いや、むしろ、保護者によるしつけ、家庭での教育が機能しなくなったことがまず先にあり、その影響で学校教育までもがどんどん劣化している、という状況だ、といえるかもしれない。
一体どういうことなのか。この章では、まずはその点から考えていきたい。




