現状に対する教室内で可能な対策
さて、このように「教室内で自由な行動をし続ける」子どもに対し、教える側は、どのような対策を講じているのだろうか。
ちなみに、文科省の資料を確認する限りでは、このように誰かが騒ぎ出した場合、教師・講師はその都度授業を止め、その子に「そういうことをしてはいけない」とじっくり言い聞かせてやれば、そういった行動は収まる、と認識しているように思われる。
だが、この方法は実質不可能である。
学校や塾のような教育機関には、「各学年の一年のを通じた指導で、最低限これだけのことは生徒皆に学ばせるように」という内容を定めた「教育指針」というものがある。毎回の授業は、この教育指針に従い、かなり厳密に教えるべき内容が決まっており、これを大幅に遅らせることはできない。そんなことをすれば、どんどん指導内容が後にずれていくことになり、ついにはこなしきれずに終わることになってしまうからだ。
そうなれば、「騒いでばかりいる子」はもちろん、他の子どもたちの将来に多大な悪影響を与えること必須である。
大人に比べ集中力のない子ども相手に、規定の内容を教えるだけでも、教師・講師は相当の努力を要する。それなのに、この上「騒ぐ子」のためにいちいち授業を中断し、とことん向き合い、言い聞かせるなど、時間的に到底不可能。せいぜい軽く注意するぐらいが限界である。
「そういう子どもたちと向き合うために、スクールカウンセラーや養護教諭がいるのではないか」と思われるかもしれない。
が、そういった仕事についていらっしゃる方とて、時間が無限にあるわけではない。それに、先にも言ったが「先導してやりたい放題する子」は、注意されたところで効き目がないのと同様、じっくり言い聞かせたところで、やはり効果は薄い。そのような怒られ方は、彼ら彼女らにとって何度も経験してきた「ウザくて面倒」なだけの時間にしかならず、そこで言い聞かされた内容など、ろくに頭に入ってこないからである。
では、騒ぎ出したクラスを静めるために、教室では実際、どのような方法が取られているのか。
塾でよく使われる方法の一つが「冷静な口調で、よりきつい内容の言葉を投げかけることで、子どもにショックを与え、黙らせる」というものがある。
例えば、「先導して好き放題する子」が騒ぎ出したらすかさず、
「君は本当に物覚えが悪いな。さっき注意されたばかりじゃないか。もう忘れたのか?一体どれほどお粗末な記憶力をしているんだ。そんなんじゃ、どこの学校に行ったって通用しないぞ。受験なんてやめた方がいい、誰の邪魔にもならないよう、家でおとなしく引きこもっていなさい」
などという言葉を投げかけるのである。
あるいは、クラスの他の子を味方につけ、好き放題する子を孤立させる、という方法もある。
「おいおい、今は授業中だよ。それなのにいきなり話し出してはみんなの迷惑になる。そう思うだろ、みんな?」
などということで、クラス全員に「授業中の私語は悪いこと」という意識を植えつけるようにするのだ。
これらには、確かに一定の効果はある。だが、私はどちらも推奨できないと考えている。
まず、きつい言葉を投げかける方法だが、説教にかなりの時間を要する。その上、いつ「言葉による虐待」と見なされるか分からない。現行法上、「子どもが虐待だ、と思ったら虐待になってしまう」状況である以上、子どもが教師・講師の言葉をひそかに録音し「こんなにひどいことを言われた。精神的ショックを受けた」と両親や然るべき場所に訴えれば、それだけで虐待認定となってしまうからだ。
これは、現行法の大いなる欠点の一つだ。
そもそも、言われてもショックを受けないような言葉でいくら注意されたところで、子どもの行動は改まらない。だから、きつい言葉を投げかけるのである。従って、子どもが大なり小なりその言葉によりショックを受けないようでは、全く注意の意味がない。しかし、ショックを受けたらそれだけで虐待になってしまうのだ。
これでは注意のしようがないことになってしまうではないか。
さらに言うと、実はこういったきつい言葉は経験上、例えば体罰等、法律で禁止されている方法以上に、生徒に長期間、悪しき影響を及ぼすことが多い。
「君は本当にどうしようもないね」
と言われ続けて育ってきた子は、いつしかその言葉を自分自身の心に刷り込んでしまい、自分は本当になにをやってもだめな人間だ、と思い込んでしまう。必死に努力して成果を出しても自分でその結果を認められず、「自分なんかまだまだ全然ですから」と、さらに自分を追い込んでいくような、自己評価の極めて低い人間になってしまうのだ。
理詰めで相手を注意する、というのは、一見理性的で合理的な方法のように思われるかもしれない。だが、それは注意される側の反論や反感を封じ、言い訳のすき間すらないほどギチギチに追いつめていくことになる。しかも、激昂することなく、あくまで冷静な態度を保つと、その「きつい言葉」が絶対な評価であるという印象を与えることが多い。
迂闊に注意の言葉をエスカレートさせ、子どもにぶつけることは、このような危険をはらんだ行為なのである。
次に、「クラスの他の子を味方につけ、好き放題する子を孤立させる」方法だが、こちらはさらに危険だ。
「みんな、あの子はよくないことをしているよね?」という問いかけは、教師・講師という教室内で絶大な権力を持つ人間が、生徒の中の一人を「悪い奴」と認定することにつながる。それは容易に、いじめのきっかけとなるのである。
よく「子どもは柔軟な発想力を持っている」だの「子どもの想像力には限界がない」などと手放しで子どもの精神を賛美する言葉を耳にする。確かに、子どもにはそういった一面も認められないではない。が、その反面、こと常識的・社会的な枠組みへの意識という点において、子どもは極めて保守的で頑固である。
少しでも自分たちと違った行動・違った考え方をする者は「異分子」と見なし、集団のルールを守って溶け込もうとしない者は「おかしな人間」だと考える。そういった状況下で、クラスの絶対者である教師・講師が「こいつは悪い奴なんだよ」とレッテルを貼ったらどうなるか。
「そうか。もともとみんなとなんだか違う、気にくわない奴だったけど、こいつ、悪人だったのか。だったら、懲罰してやらないといけない!」
などと、子どもたちはいともやすやすと考えるようになってしまうのだ。
他の子たちを教育を受ける権利を守るためとはいえ、本来子どもの権利や尊厳を守る立場の教師・講師が、その尊厳を踏みにじる方向へ、生徒達を間接的に誘導する、というのは、断じて許されない行為ではないか。その事を踏まえると、この「孤立させる」方策は、効果は認められるとはいえ、体罰などとは比べものにならぬほどの害悪を生徒に及ぼす可能性が強い以上、決して使用するべきではないと、私は強く主張したい。
そして、このどちらの方法も、長期間にわたって生徒に悪影響を与える可能性が高いというのに、残念がら、「先導して好き放題する子」の行動を、その場ですぐに矯正する役には立たないことが多い。これらの「自由な子」は、保護者から、先生から、周囲の大人から、さまざまな言葉で注意されることになれきってしまっているため、今さら多少きつい言葉で注意されようと――そのきつい言葉は澱のように心の中にたまり、後々悪影響を与えはするが――その場で行動を変えようというきっかけにならないことが多いのである。
衝動的に行動するこれらの子を抑えるには、もっと根本的な対策が必要なのだ。




