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第4章 なぜこうなってしまったのか ――「子どもを守れ」と言いだしたのは誰か?

 第1章~第3章を通じて、現在の「子どもを守れ」という「耳に心地よい」子育て方針が、どれほど子どもの学力を低下させ、子どもの社会常識や生活態度を劣化させ、子どもを幸福な生涯から引き離す効果を及ぼしているかを見てきた。

 最後の章となるこの第4章では、なぜ教育の現場が全く機能しなくなるようなこの「おかしな思想」が日本中に常識として蔓延してしまったのか、その歴史的背景を見ていきたい。


 さて、まず最初にしっかり認識しておいてほしいのは、「体罰禁止」「子どもに怒ったり、怒鳴ったりしてはならない」などといった考え方が定着したのは、意外に最近――せいぜいここ30年か40年のことである、ということだ。

 それ以前は、子どもが悪いことをすれば、保護者が大声で叱りつけたり、ひっぱたいたりするのは当然、むしろ、そういった行動をしない保護者は無責任である、という考え方が主流であった。今のように子どもが何をして怒らず、叩かず、言い聞かせるだけの保護者は当時もいたが、そういった方々は「過保護」だと、他の保護者のみならず子どもたちからも、ひそかに侮られていたのである。

 だが、実はこういった「常識」の中、声を大にしてずっと「体罰はいけないことだ」「子どもをもっと優しく育てよう」と叫ぶ集団がいた。

 当時の一部の若手「熱血」教師たちである。

 彼らは一体何者なのか。

 それを知るには、さらに1960年代後半~1970年代初頭にまで、時代をさかのぼらなければならない。


 そのころ、日本では大学生を中心に「学生運動」の嵐が吹き荒れていた。

 当時ベトナムは南北二国に別れ、ソ連(現ロシア)と中国が支援する北ベトナムが、自由主義陣営の南ベトナムに対してゲリラ戦をしかけ、ベトナム全土を共産主義化しようとする動きを見せていた。

 これを放置することで、ベトナムはもちろん、周辺諸国までが侵略、共産化され、東南アジアにおける自由主義陣営を脅かすようになることをおそれ、アメリカは南ベトナムに国軍を派遣し、ゲリラたちを叩こうとした。

 いわゆる「ベトナム戦争」である。

 早期に片がつくはずだったこの戦争は意外なほど長期化、泥沼化する。そして、一向に成果の出ないことを憂い、また同時に、徴兵により望んでもいない戦争に参加させられることを嫌った若い世代を中心に、アメリカでベトナム反戦運動が巻き起こる。

 この運動に呼応する形で、日本国内でも「自分たちの利益のために(ベトナム国民の)民族自決の動きを押しつぶそうとするのは大国のエゴだ」と、この戦争に反対する機運が若者を中心に高まり、アメリカべったりだった当時の日本政府に対して「日米安保条約を破棄せよ」というスローガンを掲げ、大規模なデモや反対運動を繰り広げるようになる。

 こういった日本国内の一連の流れを称して「学生運動」と呼んだのである。

 ちなみに、ベトナム戦争は、当時のアメリカ政府が国内外からの強い「戦争反対」の声に抗しきれなくなり、ベトナムから撤退する形で――つまり、実質北ベトナムが勝利する形で決着がついた。

 その後、北が南を併呑する形で統一されたベトナムは完全に共産化、独裁者による悲惨な粛正が、その後長く続くことになる。また、近隣のカンボジアやラオス、ミャンマーなどでも共産化が進み、それに抗する民との間で悲惨な内乱が起こり、またその内乱が収まった後は、反対派に対する徹底的な粛清が行われた。これにより、国民の多くが死亡し、国土は荒廃、政治は混乱し、経済は停滞。東南アジア諸国は、長く苦しみ続けることになる(その影響は、今も各国に色濃く残っている)。

 まさに、当時のアメリカ政府が危惧したとおりの状況が現出してしまったのである。

 ベトナム反戦を声高に叫び、米軍を撤退に追い込む一因となった当時の学生運動参加者たちは、結果的に東南アジアの無辜の民衆に戦乱と混迷、困窮の種をまいたことになる。それについて反省の声を述べた元学生運動参加者たちの声は、ついぞ聞いたことがないが。


 話を戻そう。

 ベトナム戦争反対、日米安保破棄をスローガンに盛り上がった日本における学生運動は、70年の安保条約自動継続により急速に沈静化する。「全共闘」「全学連」といった、大学の垣根を越え、さまざまな「運動組織」が結集する形で作られた反政府団体も解体、散り散りばらばらとなる。

 困ったのが運動に参加していた「学生運動家」たちである。

 「祭り」は終わった、仕方がない、今は雌伏し、時を待って再決起しようと、当時流行っていた長髪を切り、ジーンズをスーツに着替え、「闘争歴」を隠して就職活動にいそしみはじめる。

 だが、ろくな就職先がない。

 これはある意味当然の結果だった。

 当時の日本は、もちろん民主主義の法治国家である。行政改革を目論むのであれば――現代の若者たちがそうしているように――新政党を立ち上げ、支持者を増やし、国会に法案を提出することで変えていけばよい。

 そういった合法的な手段は、当時から存在していたのだが、学生運動の活動家たちは「そんな悠長なことをしている間にも、ベトナムでは多くの人間が死んでいるんだ」「今大切なのは行動することだ」「一刻も早くこの国を変えないといけない」などといった「美しいスローガン」を主張。デモや座り込みなどといった直接行動によって日本を力づくで変革しようとした。

 さらに、自分たちの主義主張に完全同調しない相手に対し「自己批判しろ」などと叫んでは集団でリンチを加えたり、「内ゲバ」――改革を目標とした集団同士であるにもかかわらず、主張や目標のちょっとした食い違いから生まれる反目や主導権争いから、相手集団に対し凄惨な暴力を加えること――をくり返したりと、なにかというと暴力的な手段でもって自分の主張を通そうとしたのである(ちなみに、この「内ゲバ」と称する暴力行為は凄まじいもので、重傷者はもちろん、死者さえも多数出ている)。

 今の若い世代の方々は驚き、困惑するだろうが、現在70代~80代の老齢に達し、いかにも「物の道理をわきまえた人間」であるかのように振る舞っている「おじいちゃん・おばあちゃん」たちのうち、かなり多くの人間が、若い頃は直情径行で浅慮、信念のためならどんな悪事も法律違反も平気で行う暴力的な人間だったのである。


 もちろん、かの人たち――いわゆる「団塊の世代」「全共闘世代」の人間にも、同情すべき点はある。

 彼らの親世代は「敗戦世代」――太平洋戦争で日本を敗北させた世代である。

 戦争中、極東の一小国であり、歴然たる国力の差があるにもかかわらず、世界の有力国家を相手取り、長く苦しめ続けたこの日本という国と、その国民の底力を、アメリカを中心とする戦勝国側はひどく怖れた。そして終戦後、日本を占領下に置いた時点で教育改革を断行。二度とファシズム、軍国主義に走ることがないよう、平和と平等をなによりもよしとする、多分に共産主義的、理想主義的な教育を子どもたちに施したのである。

 大日本帝国時代の教育を幾分たりとも受けていた戦中生まれ世代は、これらの「戦後教育」に対し、「偏重した教育を施すことで、人間の考え方を操作しようとするという点で、戦前の教育と変わらないじゃないか」と相対化することができた。だが、戦後に生まれた「団塊の世代」は、この教育の影響をもろにかぶり……戦勝国側の人間が目論んでいた以上に「平和主義」「平等主義」などといった美しい理想主義に染まっていく。

 そういった動きを年長者たちは警戒し、地に足のつかない理想を掲げて行動しようとする若者たちをいさめようとした。

 だが、「団塊の世代」は、年長者たちを「日本を敗戦に導いた物の道理を理解しない者たち」と断じ、「旧弊な教育しか受けていない、頭の固い人間たちのいうことになど従っていられるか」「正しい思想を学び、その実現を目指す俺たちこそ正しい人間なのだ」と態度を硬化、自分たちを正当化していく。

 結果、「美しい理想」を頭から丸呑みし、それらの実現を目指して盲目的に行動し、従わない者は「社会正義に反する」として、どのような手段をもってしても排斥しようとする、物騒な人間となり果てていったのである。


 そういったやむを得ない事情があったにせよ、企業にしてみれば、こういった「自分の信念を決して曲げず、意見の食い違う者に対しては、時に暴力をふるってでも自分の意見を通そうとする」若者など、危険分子以外のなにものでもない。

 ということで、当時人気のあった保険会社や商社、メーカーや金融関係といった保守的な企業は軒並み元活動家たちをシャットアウト。就職市場から完全に閉め出した。

 困った元活動家たちは、仕方なく、当時不人気だった職業――教職やテレビ業界へと大量に流れ込んでいくのである。

 こうして、どうにかこうにか仕事に就き、収入を確保できた元活動家たちは、自らの所業を反省し、おとなしく生きていくことにした――となれば「めでたし、めでたし」だったのだが、残念ながらそうはならなかった。

 就職して数年も経たぬうち、彼らは再び活動をはじめるのである。

 当時欧米では、教育における行き過ぎた体罰主義――キリスト教における「支配・隷属」の意識から生まれる体罰を緩和させようとする動きが、一部で始まっていた。

 教員となった元活動家たちは、この動きに飛びつく。

 「今、子どもは大人から不当に人間としての権利を奪われている」「子どもの権利を守るべきだ」「子どもの幸福のために、体罰は全て禁止すべきだ」などといった「美しいスローガン」の下、それまでの体罰を含む教育を徹底的に糾弾しはじめたのである(つい数年前まで当たり前のように暴力を行使していた人々が手のひらを返し、体罰は暴力だ、暴力はいけないことだ、などと大真面目で叫びはじめたというのだから、あきれてしまう)。

 当時の社会は、こういった「熱血」若手教員らの訴えに対し、非常に冷ややかに、冷静に対処した。

 教育とは、可能な限り多くの子どもが社会に順応し、そこで生きていくことができるようにするための技能と知識を授けるものであり、ほとんどの子どもにとって、それらの習得は面倒で、できればやりたくないことである。しかし、将来社会の中で生きて行くことを思えば、無理矢理にでもそれらを身につけさせるべきだ。ワガママを言ってさぼろうとする子どもは、鉄拳をふるってでもやるべきことやらせるべきなのだ、という古来の考えが社会にも教育現場にもしっかり根づいていたため、彼らのいう「優しい教育」が現実離れした、理想主義を通りこした夢想主義的なものであると、皆が理解していたからである。

 ところが、元活動家の若き教員たち――若い方々にもわかりやすい表現でいえば、リベラル思想に染まった教員たち――は、こういった反応にも、決してへこたれなかった。

 彼らは「俺がやらなきゃ誰がやる」「俺が先頭に立って現状を変えてやるんだ」といった意気込みだけは強い。

 そして、一度こうと思いこんだら止まらない。自らの信奉する理想の実現のために、身を粉にして突っ走る。

 いわば、非常にヒーロー願望の強い人間である。

 このヒーロー願望というやつ、なかなかに始末が悪い。

 ヒーローとは、何らかの活動をしてこそのヒーローである。であるから、彼らはとにかく「社会の不条理」「社会の不平等」などを見つけては飛びつき、それを正そうとする。それらの不条理不平等は「悪」であり、「正義の味方」である自分たちにとって、徹底的に撲滅、排除するするべき「敵」だからだ。

 彼らは決して、「一見不条理・不平等に思えるが、そのようなシステムになっていることになんらかの事情はないのか、そのシステムを採用することで、どれほどの人間にメリットがあり、またデメリットがあるのか、そのデメリットは許容できる範疇のものであるのか、そうでないとしたら、どのように改正すれば、あまり波風を立てることなく皆がそれなりに満足できる形にもっていけるのか」などと頭を悩ましたりはしない。ヒーローである自分が「間違っている」と思った以上、それは「間違っている」ものなのだと、ただただひたすら「あいつは悪い、なくすべきだ、不要だ、捨てるべきだ」と叫ぶ。

 しかも、ヒーローはヒーローであるがゆえに、絶対善である。だから、自分の意見に反対したり、受け入れようとしない相手は、当然「悪の手先」ということになる。

 従って、自分の意見が社会に受け入れられなかったとしても、それは「社会が間違っているから」「相手が愚かだから」ということになり、自らの言動を反省するどころか、自分を「世間の迫害に耐え、正しいことを主張し続ける悲劇のヒーロー」と見なし、ますます声高に自分の信じる意見を主張し続けるのである。

 くり返すが、彼らリベラル派に深い考えがあったわけではない。彼らはただ、古くから続く慣習を、自らの手で打ち破り、新しいシステムを作りたかっただけだ。その新しいシステムが日本社会においてどのような影響を及ぼすかなど、いっそ考えてはいなかった――あるいは欧米でそれが「いいものだ」とされているのだから、日本でもいい効果を及ぼすに違いないと、単純に思い込んでいただけである。

 しかも怖ろしいことに、彼らはヒーローであるがゆえに、自らの「正義」を実現するためならば、どのような手段を使ってもよい、と思っている。かつて彼らが自らの思想に少しでも異を唱える相手に対して、情け容赦なく暴力をふるい、破壊行為、テロ行為にまで及んだことからも分かるように、「絶対善」の実現のためには、どのような手段も許されるし、その行使をためらうべきではないと思い込んでいるのである。

 自らが新たに発見した「正義」である「子どもに対する体罰禁止」が、世間に受け入れられないと分かった若き熱血リベラル教師たちは、主張を引っ込めることなく、その時点で戦法を変えた。

 古くさい考えに染まりきってしまった大人達に理解できないのなら、純真でまっさらな心を持った子どもたちに「正しい思想」を理解してもらえばいい、とばかり、教職という立場を利用して、自らの教え子たちに「北朝鮮は理想の国家だ」「自衛隊は悪の組織だ」「戦争は絶対に起こしてはいけない」「一人の命は地球よりも重い」「この世界の問題の全ては話し合いで解決できる」などといった考えと共に、「子どもへの体罰は暴力」「たとえなにがあっても子どもに体罰を加えてはならない」という主張を、繰り返し刷り込んでいったのである。

 彼らの主張は、耳に心地よいものが多い。よくよく考えてみれば、それらの意見がどれほど安直で現実離れしており、おかしなものであるか理解できるのだが、残念ながら、子どもはそういった能力が未発達である。ゆえに、これらの安直で現実離れした思想は、まさに安直で現実離れしているために理解しやすく、いかにも高邁で深遠な考えであるかのように思えてしまう。そして、「そういった思想に共鳴する自分はかっこいい」という意識を子どもにもたらす。

 まして「体罰禁止」は、悪いことをしでかすたびひっぱたかれていた子どもたち自身にとっても、メリットのある考え方だ。なにしろ、これまではおとなしく大人達にひっぱたかれ、反省させられ、いうことを聞かされていたのが、「子どもを叩いたりしちゃいけないんだよ」と堂々と反論するチャンスを与えてくれるのだから(当時の大人達は「なにバカなこと言ってるんだ!」とそんな反論などものともせず、余計にもう一発、ゲンコツを落とすばかりだったのだが)。

 かくして、「子どもへの体罰禁止」は、「学校」という閉じられた社会の中で、ひそかに、しかし着実に、多くの子どもたちの心に浸透していったのである。



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