「やりたいことに打ち込んできた子」は幸福になれるのか?
さて、今まで見てきたのは、子ども時代に打ち込めることを見つけられなかったか、あるいは、中途半端な状態で飽きて投げ出したのに、それでも叱られることなく「そのままでいい」といわれ続けたため、努力を知らず、自己肯定感ばかりが高まり、社会に出てからの冷厳な現実に対応できなくなる子ども――言いかえれば「勝ち組」になれなかった子どもの「不幸」である。
では、こうならなかった少数の子ども――子ども時代に打ち込めることを見つけることができ、保護者のサポートと本人の努力の結果、成果を上げることができた――つまり、自己実現という「幸福への近道」を実感することのできた子どもは、成長後、幸福になれるのだろうか。
「厳しくしつけたりしなくても、うちの子は自分から進んで一つのことに打ち込み、成果を上げてきた。その集中力を生かして勉強もがんばってくれて、難関大学に入学、卒業。その経歴を生かして、今ではやりがいのある――収入も社会的地位も高い――職に就いて、ばりばりがんばっています」
このような、まさに順風満帆な子ども時代を経て成長してきた方――あるいは、きっとそういう結果になるだろうと予想される、成長途中の子ども――は、その後、大人として、社会で幸福に暮らしていけるのだろうか。
確かに、自己実現を知らず、それに背を向けて生きている者よりは、幸福になれる可能性は高い。
だが、「必ず幸福な一生を送れるか」というと、なかなか油断がならない。
人はしごとのみでいきているわけではなく、仕事以外での社会とのかかわり――家庭や地域、同好会といったつながりもある。「自分は幸福だ」と感じつつ生きていくためには、そういった場においても一定の社会性を発揮できなければならない。
ところが、「社会的に成功した」人間は、よほどうまく育てないと、こういったスキルが未熟であることが多い。ために、「仕事では成功したものの、それ以外では全く評価されない」状況となってしまうことが多いのである。
一体、どういうことか。
例えば、あなたに息子さんがいて、あなたは専業主婦であるとする。
幸いにもあなたの息子さんは素直で好奇心にあふれ、さまざまなことに興味を持ち、いろいろなことをやってみようとする子どもさんだった。
あなたは息子さんのそういった素質を喜び、「息子の可能性を伸ばしてあげるため」骨身を惜しまずサポートする。習い事への送迎はもちろん、化学実験や昆虫採集の手伝い、動物の飼育の手助けと、できることはなんでも――いや、本来ならばできない・やりたくないことですら、息子のためと必死で我慢し、フォローに明け暮れる。
その甲斐あって、息子さんは早くから才能を開花させ、学校の勉強でも他を大きく引き離し、素晴らしい成績を収めるようになる。
こうなると、欲が出てくる。というか、息子さんに「よりよい将来」を与えるため、少しでもよい環境で過ごさせてあげようと、あなたは息子さんの中学受験を考え、塾の説明会等に足を運ぶようになる。
そこで説明を聞くうち、あなたは「是非とも息子によい環境を」という気持ちが固まっていく。目指すは難関校合格だ。そのためには、学校の授業と自主勉強では到底足りないので、当然あなたは息子さんを受験塾に通わせるようになる。
同様に「子どもによい環境下で中学高校生活を送らせ、その上で現役で有名大学に合格してもらいたい」と望む保護者の方は数多く、そのため、中学受験はいまだに過熱中である。特にトップ校を目指す子どもたちの競争は熾烈で、小学校高学年ともなれば、一日24時間のうち、学校と塾、習い事へと費やす以外の大半の時間を塾の宿題と復習とに使わなければ、到底皆について行くことはできない。
こういった厳しい状況にもかかわらず、息子さんは持ち前の粘り強さを発揮し、得意教科はもちろん、苦手教科も長時間の復習で克服し、なんとか塾でも上位の成績をキープし続けている。
あなたはそんな息子さんを誇りに思い、今まで以上に手間暇を惜しまず、息子さんのために尽くす。塾への送迎はもちろん、宿題の補助やスケジュール作り、テキストやノートの整理・補充や、栄養があって消化のよい食事の準備、果ては風呂上がりに使うタオルや着替えの用意まで、勉強以外のありとあらゆる生活補助を献身的に行うようになる。
その甲斐あって、息子さんは見事最難関といわれる中学に合格を果たす。
感激の瞬間だ。あなたは息子さんをますます誇りに思うようになり、中学入学後、今まで受験勉強でできなかった分、「自分のやりたいこと」に打ち込み、のめり込む息子さんのため、今までと同様の献身――生活補助を続けていく。
やがて、息子さんは「自らのやりたいこと」をより深く学び、突き詰めていくために有名大学の専門学科に入学。そこでも努力と才能を遺憾なく発揮し、その才能を存分に生かせる仕事に就く。
まさに順風満帆。非の打ち所のない成長である。
ところが……問題はこの後、じわりと湧き出してくる。
子どもが就職し、独立したのだから、これで子育ては終了。あなたはようやく日々の「お世話」から解放され、自分のやりたいことをできるようになる……はずだったのだが、多くの場合、そうはならない。
理由は簡単。あなたの子どもはこれまで「自分のやりたいこと」と「勉強」にばかり注力していたため、それ以外のこと――家事はもちろん、自分の身だしなみを最低限整えたり、税金をはじめとした各種料金を払ったりといった、生活していくために必要な行動をなにひとつこなせないからだ。
自分が生きていくために必要な知識をほとんどなにひとつ身につけないまま成長してしまったのだから、本来これは人間としてかなり恥ずかしいことではないかと思われる。ところが、子どもは全くそんなことは思わない。
先に述べたように、トップ校に入学するためには、熾烈な競争に打ち勝たなければならない。そのために、子どもはとんでもない努力を強いられる。そのあまりの努力量に心が折れ、途中でリタイアしたりしないように、大人達はこぞって子どもを褒めまくることになる(「厳しい指導」ができない以上、子どものモチベーションをキープするためには、それ以外方法がないのである)。
曰く「君たちは選ばれた人間だ(だから耐えてがんばれ)」「君たちには勉強に打ち込む特別な能力がある(だから途中で投げ出すな)」「誘惑に負けるな(勉強し続けろ)」「君らの将来は今の努力で決まる」などなど。
こういった「甘い言葉」にさらされ続けた結果、受験が終わる頃には、子どもたちは大体、「自分は他人と違った、選ばれた人間なのだ」「つまらないことはつまらない人間に任せ、自分は自分のやるべきことのみに集中すればいいんだ」と自然に考えるようになってしまっている。
しかも、今まであなたが世話を焼いていたせいで、自分が生きていくために必須であるはずの生活技術は、子どもの中では全て「些事」だと認識されてしまっている。
従って、家事はもちろん、着替えの準備や自分の散らかした部屋の整理や、そこらに捨てたゴミの処理に至るまで、自分が興味を持てないありとあらゆることは、いつの間にか自分以外の誰かがやってくれて当然だと思っているのである。
また、あなたも、幼いころから自分が手塩にかけて育て上げた子どもが、いつまでも自分を頼りにしてくれていることを、どこかで誇りに思っている。加えて、今まで20数年、子どもにばかりかまけて夫を顧みなかったため、夫婦仲は冷え切っているし、今さらあたらしい趣味を持つ気にもなれない。
こういった理由から、「しょうがないわね」「少しは自分でやることを覚えなさいよ」「いつまでたっても子どもなんだから」などと口では文句を言いながら、何年も、何十年も、嬉々として「自慢の息子」の世話をし続ける。
さて、ここで少し、あなたの「自慢の息子」を違った角度――外からの視点で眺めてみよう。
確かに仕事はできる。社会的地位も高い。だが、幼いころから自分の好きなことと勉強にばかりかまけてきたため、仕事以外で人に接するのは苦手。通勤の道すがら近所の人に挨拶されても、ろくに挨拶を返すことすらできない。
その上、自分の趣味には嬉々として時間と金を注ぎ込むくせに、それ以外のことは知らん顔。自分のできないこと・やりたくないことは、なにも言わなくても誰かがやってくれて当然と思っており、そうしてくれない相手に対しては露骨に不満顔をする。
会社では高価なスーツを着こなし、プライベートでもすっきりこじゃれた服を着ているが、「あら、素敵なネクタイですね」などと褒められると「うん、お母さんが買ってきてくれたんだ」などとうれしそうに返事をする。
気になる相手をデートに誘ったはいいものの、相手を楽しませることより自分が楽しむことにばかり夢中で、相手が不機嫌になっていることにも気がつかない。食事もそれなりの店に連れて行ってはくれるものの、頼むものといえば、ハンバーグにカレー、唐揚げといった子どもが好きそうなメニューばかり。しかも、好き嫌いが多い。
気になっている相手を一人暮らしの、妙に片付いてはいるがあまり生活感のない、変にすっきりした自宅に招待。相手が「きれいにされているんですね」などといえば「きれい好きだからね。汚れているの我慢できないんだよ」などと鼻高々。そこまではいいが、しかも、掃除の行き届いていないところを見つければ、「あ、なんだよ、きれいにしといてっていったのに!今度また、言っとかなくちゃ」などと、不満顔をする。それどころか、「あ、ここ汚れたままだ。君、きれいにしといてくれる?」などと、招待した相手にたんだりまでする。
それと同様、家での食事も、出てくるものといえばスーパーで買ったお惣菜か、でなきゃ明らかにケータリングの品。それらをお皿に移し替えることさえせず、プラスチックの入れ物そのまま出してくる。そればかりか、どうかすると、「お腹すいたね、なにかつくってよ」などと、当然のように言い出したりもする。
あなたが若い女性だったとして、こういう男と結婚を前提としたお付き合いをしようと思うだろうか?
よほど「会社での颯爽とした姿」に憧れている子か、そうでなければ姉御肌で、あまりになにもできない男を見るに見かねてつい世話をしてしまうといった、世話好きで献身的な奇特な娘か、あるいは、男の高い社会的地位と収入にのみ多大な興味があり、豊かな生活のためなら多少のキズには目をつぶろうと思っている打算的な娘か、ぐらいしか寄ってきそうもないことが、おわかりいただけるのではないだろうか。
あなたが手塩にかけ、とてつもない努力を払い、限りない忍耐と献身をつくし育て上げた「自慢の息子」は、外からの――特に若い女性からの視点で見ると、「気が利かない」「自分勝手」「マザコン」「なにもできないし、やろうともしない」などというマイナス評価ばかりの、かなりな「不良物件」なのである。
当然、誰かと交際できる可能性は高くないし、ましてや結婚へと至る可能性は、さらに低い。
あなたは、50代、60代、70代と年齢を増すごとに動かなくなっていく体にむち打ち、ずっと独身のままの息子の世話をし続けてなくてはならない。
もちろん、中には僥倖をつかみ、息子が結婚を考えている相手として、若いお嬢さんを家に連れてくるかもしれない。
だが、この場合も、一筋縄ではいかない。
ある日突然「この人とお付き合いしている。結構するつもり」と息子さんが連れてきた若いお嬢さん。あなたは彼女がどうも気に入らない。息子さんと同程度か、あるいはそれよりもレベルの高い学校を卒業した才女であるなら、「女なのに偉そうに意見する生意気な娘だ」と思うだろうし、逆にレベルの低い学校を卒業した娘であれば「こんな頭が悪くて気の利かない娘なんて、うちの息子にはふさわしくない」と思う。あえて口に出しては言わないまでも、「うちにはうちのやり方があるし、息子はそれに慣れている。結婚するなら、それをしっかり覚えてもらわないと」などとひそかに意気込む。
やがて二人は結婚し、新居を構える。家族同士の交流が始まるが、あなたは若夫婦に会うたび、親切心から「うちのやり方」を伝授してあげようとする。だが、お嫁さんは微妙な顔をするばかり。
それはそうだ。お嫁さんにはお嫁さんの育ってきた家庭があり、そちらのでのやり方に慣れている。それをなぜいちいち夫の実家のやり方に合わせてやらなければならないのか、全く理解できないからだ。
あなたはさらに、今まで息子のために尽くしてきたありとあらゆることを、同じようにお嫁さんにもしてほしいと望む。というか、それをしてもらうのが当然だと考えている。だが、これにもお嫁さんは微妙な顔をするばかり。
これも当然、お嫁さんが結婚した相手は「共に家庭を形作るためのパートナー」であり、「なにをするにもいちいち世話をしてあげる必要のある子ども」ではない。あなたの息子さんが年収数千万を越えており、家事一切はお手伝いさんにやってもらえる立場であるならば別だが、そうでない限り、これから子どもを作り、育てるに当たり、たとえ専業主婦であったとしても、お嫁さんが既にいい年の大人になっているあなたの息子さんの世話までしていられるはずもない。まして共働き家庭であるなら、家事は折半が当然。子どもが生まれたのならば、お嫁さんが育児に専念する分、息子さんは家事一切を引き受けてもらわなければ、生活が破綻する。
だが、あなたは自分たち夫婦がかつて通ったはずのこの道に、息子さんが踏み出すのを見ていられない。手塩にかけて育て上げた息子さんが、家庭内のつまらないことに時間を取られ、やりたいことを存分にできないのがかわいそうでたまらないのである。
見るに見かねたあげく、それほどまでに忙しいのならば、私が通いでお邪魔し、家事一切してあげよいか、そうでなければ、いっそ同居する?そうすれば、昔みたいにあなたの世話もしてあげられるし、とあなたは「全くの善意から」若夫婦に持ちかける。
息子さんは乗り気になるかもしれないが、お嫁さんは当然いい顔はしない。
せっかく二人で新しい家庭を築こうとしているのに、そこへ夫の母親が乗り込み、何くれとなく世話を焼けば、たちまち夫が「息子」であった昔に戻ってしまい、なにもしなくなるのが目に見えている。しかも、夫の母親であるあなたは、家事も育児も夫の世話も妻がして当然と思い込んでいる。そんな人に家事を任せでもしたら、「あの人は私が働いているのになにもしようとしない」「少しは手伝ってもいいのに、そんな言葉もかけようとしない」と不満をつのらせ、そのうち「意見」と称してイヤミや皮肉を言い出すに決まっている。もちろん、同居なんて問題外だ。
かつて子育て中であったあなたが姑からいちいち口出しされるのがいやであったのと同様、息子のお嫁さんだって、あなたに「つまらないことで」意見されるのはいやなのである。
だが、あなたは息子かわいさの余り、そして、自分は人生の先輩であるという自負のあまり、そんな簡単なことにすら気づかない――気づこうとしない。
結婚して数年が経つというのに息子夫婦に子どもが生まれなければ、はじめはひかえめに、そのうちあからさまに「子どもはまだか」と催促するようになる。近所の友人から孫がどんなにかわいいかという話を聞かされるにつけ、自分もそのように無条件で愛玩できる存在がほしくてたまらなくなるのだ。
そして、待望の孫が生まれる。
なるほど、友人たちの言うとおり、かわいくてかわいくてたまらない。かわいさの余り、あなたとあなたの夫は息子夫婦そっちのけで、ひたすら孫をかわいがる。だがそれは、孫の母親であるお嫁さんをないがしろにすることであり、子どもをしっかり育てたいと意気込んでいる彼女の意見を無視し、ひたすら孫を甘やかして育てることにつながる。
あなたは孫かわいさと、自分はかつて息子を「立派な大人に育て上げた」先輩なのだという自負とに支えられ、そんなにきちんとしなくても子どもは育つものだと、お嫁さんの意見を一蹴し、こちらも孫かわいさの余りあなたに同調する夫と――かつてあなたが息子さんを育てていた時は、あなたに任せっきりでちっとも協力しようとしなかった、したがって子育ての知識もなにもないくせに、今になっていっぱしのことを言いたがる夫と――一緒になってお嫁さんを責め、非難し、ひたすら孫をかわいがり続ける。
お嫁さんからしたら、「夫の実家」は、なんとも居心地の悪い場所になる。
訪ねていった途端、自分の手から子どもを奪い取ったうえで、自分のことはほったらかし。そればかりか、下手をすると自分の家の家事を押しつけ、自分があくせく働いているさなかに子どもをひたすら猫かわいがりする。そろそろいろいろな「社会のルール」を覚えてほしいと思い、少しずつ手を離そうとしても、あなた方夫婦が文字通り「下にも置かぬ」態度で世話をするため、子どもはあっという間に赤ちゃん返りし、自分で少しはできるようになりつつあった身の回りのことも、元の木阿弥と化す。しかも、そうやって赤ちゃん返りした子どもを見ては「年相応のことがなにもできない。母親の教育が悪いからだ」などと、自分たちの行動を棚にあげ、お嫁さんに意見したりまでするのである。
こんな家に、一体誰が行きたがるだろうか。
お嫁さんは、次第にあなたの家に寄りつかなくなる。
それに従い、息子さんも、お孫さんも、だんだん家にやってこなくなる。
そうなって当然なのだが、「全てを善意でやってあげている」つもりのあなたは、そんなことに気づかず、ひたすら不満をため、なんとか理由をつけて息子一家を家へと呼ぼうとする。が、向こうも何かと理由をつけては、来るのは息子さんばかり、ということになっていく。
こうなっては仕方がない。全ては嫁の――あの気に入らない女の差し金だと思い込んだあなた方夫婦は、実力行使に出ることにする。
向こうが来たがらないのならば、こちらか出向けばいい、ということで、なにかにつけて息子の家を訪ねるようになるのだ。
それも、はじめこそ2泊、3泊という短期間での滞在にと留めていたのが、孫と離れているのは寂しし、手塩にかけて育てあげた息子の家なのだから、自分たちが遠慮する必要などないのだ、と思うようになり、四日、五日、一週間、半月と次第に長期滞在するようになる。
もちろん、その間孫と遊ぶ以外なにもせず、お嫁さんの世話になりっぱなしだ。しかもその上、なるべくお嫁さんを遠ざけ、孫と遊ぶ時間を長くするため、家が汚いだの子育てがなってないだの、親を大事にしないだのと文句をつけてはあくせく家事や仕事をさせ、その間ゆっくり「水入らずで」孫と触れ合おうとする。
ここまで行けば、もう先は見えている。
ある日突然、息子一家との連絡がつかなくなるのだ。
あわてて息子の家を訪ねると、既に引っ越し、もぬけの殻。
息子さんやお嫁さんの電話に何回も何十回も電話をかけたあげく、ようやく出てくれた息子をに対し、どういうことか尋ねる。と、息子からは、今後はあなたたちとの付き合いを最低限にする、盆も正月も帰省しない、と宣言される。
呆然としたところへ、息子はさらに、電話の窓口は俺の携帯のみ、それも仕事中、どうでもいいようなことでかけてくるなら着信拒否する。会う時は外で、それも2時間程度。それがいやなら完全に絶縁だと、未だにかわいくて愛しくて仕方がない息子の口から宣言されてしまうのだ。
あるいは、もっと悪い結果もあり得る。
息子とお嫁さんから離婚することになってしまうのだ。
ああ、これでいやな女がいなくなってせいせいする、かわいい息子と孫とに遠慮なく会うことができる、あなたはつかの間喜ぶかもしれない。だが、すぐにそうはいかないことを悟る。
通常、離婚となると子どもは女親の元で養育されることになる。
その女親――お嫁さんと縁が切れたあなたたち夫婦は、(お嫁さんの許可なしでは)二度とお孫さんに会えなくなってしまうのである。
そして、会えばベタベタに甘やかし、お嫁さんをぞんざいに扱い続けていたあなた方夫婦に対し、お嫁さんは当然警戒心や嫌悪感を抱いている。そんな人たちに、うかうかと子どもを会わせたがるはずもない。
さらに、あなた方は息子さんから「あんたたちのせいで俺は妻と離婚することになり、子どもともなかなか会えなくなったんだ」と深く恨まれるようにある。
あなたはゆっくりと首を振り、「あんないやな女とは別れた方がよかったんだ、そのうちもっといいお嬢さんを――素直で私たちの言いつけをよく聞く、育ちのいいお嬢さんを見つけてきてやるから、次こそ幸せな家庭を築けばいい」などといって息子さんを懐柔氏、つかの間の「昔と同じ、幸福な親子関係」を堪能する。
だが、あなたは忘れている。
息子さんは、結婚相手としては決して「優良物件」ではないことを。
仕事のうえでは優秀で、収入が高いことが唯一の売りであったが、その優位性も、×1で子どもがおり、収入のうちかなりなお金を養育費として支払わなければならないことで消えてしまう。残るのは、中年にさしかかった、家のことはなにもできない、性格上かなりの難がある男である。
その上、隣近所や親戚一同、友人知人の間では、あなた方がどれほどお嫁さんに対し非常識だったか、どれほどないがしろにして貶めていたかが知れ渡ってしまっている。
そんな、嫁げば高確率でいびられると分かっている家に、誰が好き好んで知り合いのお嬢さんを紹介するだろうか。
さらに、家族と別れたこと人生に失望し、会社を辞めて息子さんが家に戻ってくるかもしれない。
ああよかった、これでずっと息子と一緒に暮らせる、と喜ぶかもしれないが、すぐにその負担はあなた方に重くのしかかってくる。
息子さんが家に帰ってくるのはあなたが心配だから、ではなく、一人で生活する能力がないからである。当然、家ではなにもしない。あなたは再び、彼の身の回りの世話を一から十までしなければならなくなる。
昔と違って身体も弱り、あちこちに不具合が出ているが、離婚させてしまった引け目もあるし、あなたは必死で身体にむち打ち、息子さんの世話をする。そして、自分の代わりに誰か、息子の世話をしてくれる女性を精力的に探すようになる。
だが、何度も言うが、息子さんは「不良物件」である。しかも、かつてと比べ、収入は見る影もないほどに少なく、若くもなく、優しくもない。さらに、もれなく気の強いお姑さんがついてくる。
こんな状況で、一体誰が好き好んで結婚を考えるだろうか。
こうなってようやく、あなたは気づくのだ。
ひょっとすると、自分は子どもの育て方を間違ったのではないか、と。
だが、今さらどうしようもない。
あなたはいつもむっつりとしてろくにものも言わない子どもの世話を生涯続け、自分が死んだ後、後に残されるこの子はどうなるのかと、心配しながら死んでいかなければならないのである。
「好きなことに熱中し、社会的にも成功した/する可能性の高い子ども」の、社会に出てからの半生を俯瞰したが、どう思われただろうか。
もちろん、ここで上げたのは極端な例である。
「私も子どもの世話を結構している方だけと思うけど、いくらなんでもここまでは……」
と苦笑された方も多いのではないかと思われる。
だが、ちょっと待ってほしい。ここまで極端ではないにしても、おそらくあなたは成人後の子どもさんをいつまでたっても「うちの子どもなんだから」と考えてしまい、無遠慮なお節介を焼いてしまう可能性は、かなり高いのではないかと思われる。
「そんなことはない、今はまだ子どもが幼いから/受験期だから何くれとなく世話を焼いているけど、それが終わったらきちんと自立させていくし!」
などと険しい顔になった方、それでは、本当にあなたが「子どもの自立」とはどういうことを意味するのか理解されているかどうか、一つ質問をすることをお許し願いたい。
成人した子どもさんがお孫さんを連れてあなたの家にやってきたとする。玄関先であなたはなんといって彼らを迎えるだろうか?
「お帰りなさい」
ではないだろうか?
もしそういって迎えたのなら、あなたは別家庭を築いた子どもさんを、未だに自分の家族として考えていることになる。本当に別家庭として――成人した大人同士のつきあう関係としてとらえているならば、「いらっしゃい」というべきなのである。
もちろん、あなただけでなく、あなたの連れ合いや、子どもさんが複数人いて、その中にまだ独立前の子がいらっしゃるなら、その子たちにもきちんと「あの子はもう別の家の人なのだから、お帰りなさい、なんていっちゃダメでしょう」と言い聞かせなければならない。
子どもさんの結婚相手も一緒に訪ねてきた時はもちろん、たとえ結婚相手の方は来ず、子どもさんとお孫さんだけで尋ねてきたとしても「いないからいいよね」などと馴れ合うことなく、きちんと別家庭の人間として遇する。それができてはじめて「子どもをきちんと自立させている保護者」ということになるのである。
そもそも日本は親子関係、特に母子関係が濃密すぎる国である。
それ自体は悪いことではない。特に幼いうちは、保護者との「精神的なつながり」をいつでも感じられる方が子どもは安心できる。
だが、いつまでもその「甘い関係」を維持し続けることは、子どもはもちろん、保護者にとっても不幸である。
幼児期を抜け、少年期に入る頃になれば、保護者は意識的に子どもから手を離し、将来社会の中で生きていけるためのストレス耐性を身につけさせることを考えた方がいい。
時にそれは、子どもから「うちの親は冷たい」「毒親だ」などといった非難を浴びせられる原因となるかもしれない。が、それでも、子どもの成長後を考えれば、ある程度のストレス耐性を身につけさせておくべきではないか。
幸福を感じつつ、大人として楽しく生きていくためには、自己実現――責任に耐え、やるべき仕事をしっかりこなすことで、周囲に認められることと、社会性――家族をはじめ、(会社以外の)社会での自分の役割をしっかり認識し、そこでの役割をしっかり果たしていくことが、二つながら必要となる。
子ども時代をどのように育てるか、という選択において「後のことは一切考えず、子どもの権利と自由をひたすら守って育てる」ことを主眼とするか、あるいは「成長後、一人前の成人として、社会の中で自立し生きていけるように育てる」ことを重要視するかは、それぞれの家庭次第である。
現状の法制下においては、前者が強く推奨され、それ以外の育て方は「間違い」であり、「法律違反」として罰せられる可能性すらある。だが、それが本当に子どもの幸福につながるのかどうかは、かなりあやしい。というより、各データを見る限り、「幸福な一生」から子どもをどんどん遠ざける結果ばかりを生じているとしか思えない。
もし、あなたが真に「子どもの幸福な一生」を願うのであれば、子どもが手元を離れるまでのほんの短い時間で、自己実現につながる「努力の大切さ」と、社会に出てから必須となる「生活技術」をたたき込み、同時に、子どもの自立を促すために、成長に合わせて着々と手を離していかねばならない。
これは、今の保護者にとって、大変難しいことであろうと思われる。
だが、子どもを思う一心で、習い事の送迎や生活準備に大半の時間を費やし、学校や塾に対し次々クレームを入れるだけのバイタリティがあるなら、決して不可能ではない。
心ある保護者の方がいらっしゃれば、是非とも挑戦していただきたい。




