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「子どもを守れ」が、自己実現の邪魔をする

 第2章でも少し触れたが、厚労省は体罰によらない子どもとの接し方について、


① 子どもの周囲の環境を整え、子どもが生活しやすくしてやること。

② 子どもの言うことをよく聞いて、子どもの機嫌や「やりたいこと」に大人が合わせてやるようにすること。

③ 子どもを叱るときには、まず子どもの言い分をよく聞き、声を荒げずに冷静に教えさとし、時には注意を諦め、子どもができるようになったら褒めてあげること。


という、大きく分けて三つの方針を掲げている。

 現状、しつけや教育の方法について書かれた「マニュアル」は、ほとんどこのラインに忠実に作られている(体罰に代表される厳しいしつけ・教育を施さずに子どもを一定の方向へ誘導しようと思えば、これ以外に方策がないので、そうならざるを得ないのである)。

 体罰が「悪いこと」「決してしてはならないこと」として世間に認知されはじめた1990~2000年代以降に出産・子育てを経験した方であるなら、ほとんどの方がこの種のマニュアルを読み、このラインに沿って子どもを誘導し、育てられてきたのではないだろうか。

 だが、この「三つの方針」こそ「自己実現」から子どもを遠ざける一因となっているのだ。

 なぜ、そう言えるのか。


 ①で挙げられている「子どもの周囲の環境を整え、子どもが生活しやすくする」をもう少し具体的に言うと「子どもにとって障害となる物事を取り除いたり、より容易なものにしてあげたりする」ということになる。

 思うように着替えのできない子であれば、もっと着替えやすい服を用意してやり、落ち着いてご飯の食べられない子であれば、食べる量を減らしたり、好物ばかり用意してあげることがこれにあたる。

 そして、そうやって「立ちはだかる山を低くしてあげた」ことで、子どもがその山をうまく乗りこえることができたら、すかさず褒めてあげる(③の実践である)。また、うまくできずに放り出してしまったとしても決して怒らず(③の実践)、次にそのことに挑戦する気になるまで、気長に「大人の方が合わせて」待ってあげる(②の実践)。

 簡単に言えば、このような方策によって、現在のしつけ・教育は成り立っている。

 なるほど、厳しいしつけ・教育が行えない以上、このように目の前の「山」を低くなだらかにし、登りやすくしてあげ、できたらすかさず褒めてあげることは、子どもの自己肯定感を上げ、「そのこと」に対する忌避感を減らし、次に挑戦する時にもいやがらなくなる、という点では、確かに一定の効果があると思われる。

 だが、それはあくまで「幼児期に自己肯定感をしっかり定着させため」のしつけ・教育では効果的、というだけだ。もしこの「山を低くしてあげるしつけ・教育」方策を、青年期に至るまで繰り返し繰り返し行っていると――現状そのようなしつけ・教育が行われているのだが――子どもはどのように成長するか。

 まず「できないことは無理にやらなくてよい」と考えるようになる。

 当然である。

 自分のできない難しい課題は、『こんなの無理』と訴えさえすれば、①の方針に従い、保護者を中心とする大人がよってたかって簡単なものにすげ替えてくれるのである。なのに、なぜ無理をしてまで、できないことをやろうとしなければならないのか。

 そんな必要など、どこにもない。自分がその時できることを、できる範囲でやりさえすれば、それで生きていくのに何の支障もないのだから、それでいいではないか。努力してまでできるようになる必要など、なにもない――と子どもは考えるようになっていくのである。

 そしてその考えはそのうち、「いやなこと・面倒なことはやらなくていい」に変化していく。

 これも当然である。

 「いやなこと」「面倒なこと」とは、子どもにとって「やりたくないこと」と同義である。そして、「やりたくないこと」を放り出したとしても、②の方針により、大人はなにも言わない。あるいは、なんとかしてそれに興味を持たせようとして水を向けてくる可能性もある。が、それでもなお頑固に「やりたくない」と言い続ければ――これも②の方針により――そのうち諦めてくれる。

 一度このような経験をし、味を占めたら最後、子どもは、少しでもいやなことに対して必ず「やりたくない」と言うようになる。それであきらめてくれればしめたものだし、それでもやらそうとする場合、「じゃあ、~だけやるようにしようか」などと「山を低くして」面倒を減らしてくれる――しかも、それを行えば、褒めてさえくれる!――からである。

 このようなことの繰り返しにより、子どもはいつしか「好きなことを飽きるまで」やり、「いやなこと・面倒なことはやらないか、もしくは最低限やる」ことが自分にとっての「義務」であり、それ以外のことははなからやる必要はないのだと、頭から信じて疑わないようになっていくのである。

 これはすなわち、「努力を軽視・放棄する人間形成」である。

 なぜなら、努力とは「ある目標を達成するのに必要な力を身につけるため、たとえそれがその時点で自分の好みに合わない行動であろうとも、根気よくやり続けること」であり、幼年期より繰り返しくり返し、結果的に子どもに教え込むことになる「好きなことを飽きるまでやればいい、いやなこと・嫌いなことはやらなくていい」という行動指針と、正反対に位置するからである。

 前節で、自己実現を達成するための3つの条件を挙げたが、その一つが「達成困難な目標を、努力を重ね、才能を存分に発揮して実現する」ことであった。

 「子どもの人権を重視した、優しいしつけ・教育」は、「子どもの自主性を尊重する」という美しい言葉の下、「努力」の軽視・放棄を子どもに植えつけ、その結果、子どもを幸福の源泉たる「自己実現」からどんどん遠ざけていくという、この上なくマイナスな効果を及ぼしているのである。

 「優しいしつけ・教育」が子どもを不幸にする、といった意味がおわかりいただけたであろうか。


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