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子どもに幸福感を感じさせるものとは?

 いくら子どもの権利を保障し、自由を与えたところで子どもはそれほど幸福感を感じることはない。

 では、一体どうすれば、どのような状態であれば子どもは――人間は自分の幸福を実感するのだろうか。

 それにはまず、国連が推奨する「欧州式幸福」ではなく、真の「幸福」とはなにかを考えてみる必要がある。

 そもそも幸福というのは、基本的には極めて個人的な「印象」である。

 たとえ明日の食物に困るほどの貧困にあえいでいても、新興宗教に入れあげ、反対する家族から軒並み縁を切られて孤独な生活を送っていても、本人が「幸福だ」と感じていれば、幸福なのだ。

 そういう目線で「純粋幸福度」ランキングの上位国をみてみると、なるほどとうなずける。

 もう一度改めて述べると、2019年度発表のランキングでは、1位がコロンビア、2位がインドネシア、3位がエクアドル、4位がカザフスタン、5位がフィリピン。

 2016年度のランキングでは、1位がフィジー、2位が中国とフィリピン、4位がベトナムとインドネシアで、6位がパナマとパプアニューギニアである。

 このうち、2016年の中国といえば、バブルまっただ中で、どんどん国民が豊かになっていたころである。働けば働くほど、いや、どうかすると働かなくともどんどん儲かる状態だったのだ。

 そのことが、国民に幸福感を感じさせていたのであろう。

 だとすると、これは一過性のもので、継続して国民を幸福だと感じさせる要因にはなり得ない(現に、バブルの歪みが生じ、経済がかげりを見せ始めた2019年度の調査では、中国の幸福度はベストファイブから滑り落ちている)。ということで、中国は特殊例として除き、それ以外のランキング上位国を俯瞰すると、お世辞にもGDPが高く、生活水準がよいとは言えず、治安もさほどよくはないし、まして国民の福利厚生が充実している国家でもない。パナマ以外は開発途上国とされている国々ばかりである。

 なのになぜ、「自分は幸福だ」と考える人が多いのか。

 その理由として、「カソリック教徒の多い国だからだ」と考える方もいらっしゃるようだ。だが、それだけでは、イスラム教徒の多いカザフスタンやインドネシア、仏教徒の多いベトナムなどがランクインしているのはなぜか、説明がつかない。

 私は別の理由があると考えている。

 すなわち、これらの「幸福な人が多い国」は、まさに「開発途上国だから幸福だと感じる人が多い」のではないかと考えているのである。

「そんなバカな。インフラ整備が進まず不便な開発途上国での生活より、先進国での生活のの方が描いてきて便利で、幸福感が高いに決まってるじゃないか!」

などと思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 だが、本当にそうだろうか。

 先ほど、幸福とか極めて個人的な「印象」であり、どんな状況下であろうと本人さえ「幸福だ」と感じていれば、幸福なのだ、と述べた。

 だが、一見この考えに反するようだが、それを手にすることで、多くの人が幸福感を感じる状況というのも、明確に存在する。

 「自己実現」と呼ばれる状況である。

 ウィキペディアやAI回答によれば、自己実現とは、社会生活の中で人間の欲求のうちで最も高度で人間的な自己の内面的欲求を実現すること、人が本来もっているはずの真の絶対的な自己もしくは自我を完全に実現すること、努力して自分の目的や理想を成し遂げること、などと定義されている。

 えらく難解な感じがするが、ざっくり言うと、「努力の結果難しい問題を解決し、周囲の人間から認められること」である。

 例えば、あなたがとある企業に就職して数年後、ある難しいプロジェクトを任されたとする。仲間と共に必死で努力し、創意工夫を凝らした結果、見事にプロジェクトは成功し、そのことを会議で報告すると、「素晴らしい成果だ、よくやってくれた!」と社長をはじめとするお偉方皆が、口々に賞賛の言葉をかけてくれた。そんな時に感じる「ああ、やった、私はやったんだ!」という、あの感覚。

 あるいは、あなたが入試において志望校に合格したり、スポーツの大会において優勝して、皆から「おめでとう!」と拍手してもらった時に感じる「やり遂げたぞ!努力した甲斐があった!」という感覚。

 そのような、なにか自分の立てた目標を達成し、それによって他人から認められた時に感じる幸福感、充実感。それが自己実現である。

 これを成し遂げた時、社会的生物である人間は、おしなべて幸福を実感する、というのである。

 このことを考慮すれば、なぜ純粋幸福度の高い国のほとんどが開発途上国なのかも、おのずと理解できる。

 先ほども言ったように、開発途上国はいまだインフラ整備やサービス関係の事業化が十分に進んでいないため、不便な生活を強いられることが多い。それがどうして「自己実現」につながるのかと困惑するかもしれないが、こう考えてほしい。「不便な生活」とはすなわち、毎日の生活を送るために家族や地域住民それぞれが役割を分担し、協力してさまざまな仕事をこなしていかなければならない状況である、と。

 家族や地域の住民は、それぞれが「一人ではやりきれないこと」を補い合い、生きることに直結した仕事を請け負い、責任を持ってこなさなければならない。そうしなければ、途端に生活が行き詰まってしまうからだ。

 たとえ幼い子どもであろうと遠くの川までその日に使う水を汲みに行ったり、自分より小さい子の子守をしたりといった仕事を、当然のように任される。近所に足腰の弱った老人が住んでいれば、――いつ何時、そういった方たちの世話になるか分からないのだからと――その人たちの分の水も汲んでくる。

 こういった「生きるために必須の労働」は、その苦労が目に映りやすい。

 家族のため、近所の人のために一生懸命水を運んでいる姿や、自分の弟妹だけでなく、近所の幼い子どもの面倒を見ている姿を目にすれば、手伝ってもらった当人はもちろん、直接利害のない人も「あら、ご苦労様、がんばっているわね」などとねぎらいの言葉をかけてくれる。

 苦労が報われるのである。

 遊びたい、怠けないという欲望を抑え、割り当てられた仕事に打ち込み、生活を維持することで、地域社会の一員として認められ、信頼され、賞賛される。つまり「自己実現」の機会を得られる。

 開発途上国では、生活が苦しければ苦しいほど、皆で協力しなければ生きていけない。そして、その協力――「助け合い」の機会が増えれば増えるほど、自己実現の機会も増える。

 ああ、自分はこの土地で認められている、この土地でずっと生きていていいのだと実感できるのである。

 これは、都市で事業等に成功した人間にも当てはまる。

 そういった人間が「故郷に錦を飾り」、その資産の幾分かでも、出身地域へ還元してやったり、あるいは、企業や国家の官僚として枢要な地位を占め、その職分に応じて出身地に便宜を図ってやったりすれば、即座に「地域の英雄」として大いなる尊敬を受けるようになる。

 同じことは、スポーツや音楽で成功した人間にも当てはまるだろう。

 つまり、開発途上国は、開発途上な分だけ、社会の連帯が強く、その社会の維持は発展のために努力した人間は、それだけの感謝と賞賛を他の人間から受けやすい。先進国に比べ、自分の努力で困難な目標を達成したという充実感と、社会による業績の認知――すなわち自己実現を手に入れやすいのである。

 これが、発展途上国で「純粋幸福度」が高い理由だと、私は考えている。

 


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