二つの幸福の指標「世界幸福度ランキング」と「純粋幸福度ランキング」
子どもの「幸福の現状」について考えていくにあたり、まずは今現在日本で一般的に「幸福」と見なされている状況は何かを、はっきりさせておこう。それによって、現在の日本で「幸福」と呼ばれているものがどれほどゆがんでいるか、それを前提に勧められた「子どもの人権」改革がどれほど見当違いのものか、分かっていただけると思うからだ。
「世界幸福度ランキング」というものをご存じだろうか?
毎年四月の発表の時期になると必ずといっていいほどメディアで報道されるので、「ああ、あれか」と思われる方も多いかと思われるが、一応どういうものか説明しておこう。
ウィキペディアによれば、国際連合の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する、幸福度調査のレポートである。国連の「持続可能開発ソリューションネットワーク」という組織が世界幸福度報告」という幸福度調査のレポートを発行しているのだが、そのレポートを元に、「各国の国民がどれほど幸福なのか」をランキング形式にしたのが、この「世界幸福度ランキング」だ、ということになる。
その調査結果を見ると、毎年大体、上位を占めるのは北欧を中心としたヨーロッパ諸国だ。
2025年の発表では、1位がフィンランド、2位がデンマーク、3位がアイスランド。さらに4位以降も、上位20カ国中13カ国はヨーロッパ諸国である。ちなみにドイツは22位、イギリスは23位。アメリカは24位で過去最低。日本はさらに低く、55位にとどまっている。
メディア等がこのランキングについて報道する際には、「このように幸福度が高い国である北欧、欧州は素晴らしい国家であり、それにひきかえ日本はまだまだだ、もっと政府や企業は国民の、社員の幸福を上げるように努力すべきだ」というような論調であることが多い。それをご覧になって、なるほど日本はまだまだ国民の幸福度が足りないのだな、などと思っていらっしゃる方も多いのではないか。
だが、ご存じだろうか。
「幸福」に関する国際ランキングには、もう一つ、「純粋幸福度調査」というものがある、ということを。
いや、知らなくても仕方がない。こちらは、数年に1回発表されるだけであり、メディアもそれほど大々的に取り上げることのない、日本ではかなり「マイナーな」調査なのだから。
それで、こちらは一体どういう調査なのかというと、ごく単純に、各国で「自分は幸福かと思うか、それとも不幸だと思うか」という内容のアンケートを取り、「自分は幸福だと思う」と答えた人の比率から、「自分は不幸だと思う」と答えた人の比率を引いた、その数値をランキングにしたものだ。
問題はその結果である。
2019年に部分的に発表された最新ランキングでは、1位がコロンビア、2位がインドネシア、3位がエクアドル、4位がカザフスタン、5位がフィリピン。
ちなみに、その前に実施された2016年度の調査では、1位がフィジー(2020年は調査そのものが実施されなかった)、2位が中国とフィリピン、4位がベトナムとインドネシアで、6位がパナマとパプアニューギニア。ちなみに日本は25位で、米国は33位。英国は35位、ドイツは37位であり、この年の世界幸福度ランキングでは1位だったデンマークは、日本とわずか1%差で、24位にランクインしている(他の国々についてはデータが手に入れられないため、よく分からない。世界幸福度ランキングは、ちょっとネット検索をかければすぐにどの年の結果も分かるのに、不思議なことである)。
同じ年に実施された、どちらも幸福に関するランキングなのに、なぜ、こんなも各国の順位が違ってしまっているのか。
それは、国連主体で行っている「世界幸福度調査報告」が、かなり特殊な方法で各国の「幸福度」を産出しているからに他ならない。
世界幸福度調査では、各国の1000人程度の対象者に「下の段から上の段に向かって、0から10までの番号が振られた“はしご”を想像してください。“はしご”の一番上は、あなたにとって可能な限り最高の人生を表し、“はしご”の一番下は、あなたにとって可能な限り最悪の人生を表すとします。一番上の段を10とし、一番下の段を0とした場合、あなた自身は今どの段にいると思いますか?」というたった一つの、それもかなり曖昧な質問を投げかけ、集計した結果に加え、
① 1人当たりGDP
② 社会的支援(「困ったときに頼れる親戚や友人がいますか」という質問への回答で評価)
③ 健康寿命(世界保健機関の100項目に及ぶ健康評価による)
④ 人生の選択の自由度(「人生で何をするかを選択する際の自由度に満足していますか?それとも不満がありますか?」という質問への回答で評価)
⑤ 他者への寛容度(「この1か月間で慈善団体に寄付をしましたか?」という質問への回答で評価)
③ 社会(官民を問わず)の腐敗をどの程度と認識しているか
といった判定基準を加味し、総合的に判断したものを「幸福度」として発表しているのである。
その結果、例えば日本より「自分を幸福だ」と思っている人の数の割合がずっと少ない英国やドイツが、世界幸福度ランキング上では、ずっと上位に位置するという、なんとも納得できない結果が生じてくるのである。
もちろん、「世界幸福度報告」が採用している判断基準には、通常「幸福の一要素」として考慮すべきと思われる要素――どれだけ長生きできるかなど――も含まれている。だが、日本人的感覚からすると、「それをもってして幸福と見なすのか」とつい首をひねってしまうような――すなわち、万人が「幸福の要素」であるとは見なしがたいようなものを基準にしていることも、間違いのない事実だ。
それでももし「いや、自分たちのランキングの方がそれぞれの国民の幸福度をきちんと反映している」と主張したいのであれば、「幸福度ランキング」の基準となるアンケートを取る際、もっとダイレクトに「あなたは自分を幸福だと思うか、それとも不幸だと思うか」という質問を加え、そちらはそちらで別に集計し、「純粋幸福度ランキング」も同時に発表すればいいのである。
だが、そういう動きは一切見せず、それどころか、徐々に純粋幸福度調査は報道されることが減り、ただただ「余計な判断基準が含まれている」方の幸福度ランキングばかりが大々的に報道されるようになりつつあるのが現状である。
なぜ、こういった状況になっているのだろうか。
その謎を解き明かす手がかりの一つとして、「国連」という組織の性質が挙げられるかと思う。
国連とは、世界平和を実現し、全人類の幸福と平和で公平な地球統一国家の建設を最終目標としている組織である。
そこに集まる人たちは、当然ながらこの国連の理想――日本でいう「リベラル派」の方々の思想傾向に非常に近い「理想」に共鳴し、それを「正義」と考える人たちばかりになる。
国連とは、いわゆる「いい人」「正義感の強い人」たちばかりが集まっている組織なのである。
この手の人々は「誰目線から見た、誰に対する正義なのか」をあまり深く考えることなく「自分は絶対正義の体現を目指している」と思い込んでしまうことが多い。そして、特に国連では、その「正義」を実現する手段として軍事力を持たないために、例えば「自分たちに都合のいい」アンケートやランキング、科学研究を実施し、それらの結果を自分に都合よくたわめたり、グラフの数値を盛ったり、勝手な判断基準をつけ加えたりして――しかもそのことはできる限り公にしようとせず――大々的に発表し、それをもって人々を動かそうとすることが多いのだ(「SDGs」の発表や、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)による発表などが、その好例である)。
私はなにも、これらの国連の活動全てを否定するつもりはない。が、自らの理想を実現しようと、おかしなランキングを作り上げて、人々を洗脳しようとする目論見には、大いに問題があると考える。
平和裡に世界国家を、そして世界平和を実現しようという理想は――まず不可能であろうが――素晴らしい。だが、それを実現する手段として、自分たちが理想とする国家に最も近い――国民の健康に留意し、人権意識が高く、難民や貧民に同情的で、なにより国家間の協調意識が高い――国家を「よい国だ」と宣伝するためのランキングを作成し、「これらの国民が最も幸福度が高いのですよ」などと吹聴することには、断じて賛成できない。
「君たちは自分を幸せと思っているかもしれない。けれど、違うんだよ。本当に幸福なのは、北欧のような国々なんだ。こういった国々は、自分たちのことを幸福と考える人は少ないし、自殺率は高いし、失業率だって高い。でも、そんなこと関係なく幸福なんだ。君たちもこういう国を目指すべきなんだ。」
世界幸福度ランキングを作成、発表し、それを利用している人々は、他国の国民に向かって、こういっているのも同然なのである。人をバカにした、この上なく傲慢極まりない態度だと私には思われるのだが、読者諸氏はいかがであろうか。




