第3章 「子どもを守れ」が子どもを不幸にする――厳しく指導されない子どもは、幸福な人生を送れるのか?
第1章では、「子どもの人権」とやらを守るために教育現場での教育法を制限した結果、本来の教育効果を発揮できず、どんどん子どもの知的能力が低下している現状を述べた。 第2章では、「子どもの虐待」を防ぐために保護者からのしつけ・教育手段を制限した結果、成人までに身につけるべき知識・社会常識といったものを身につけないままに社会に出ざるを得ない子どもがどんどん増加している現状について述べ、さらには、新たに法改正を実施してまで禁じた「子どもへの体罰」であるが、その「科学的根拠」は極めて薄弱であることについて述べた。
これだけでも十分、現行児童福祉法及び「子どもの人権」を守るための一連の法改正が、逆に子どもの健全な成長を阻んでいることが、おわかりいただけたのではないかと思う。
だが、中にはそれでもなお頑固に「子どもの人権」を叫ぶ人も存在するかもしれない。
「学力の低下を招いたって、社会常識が身につかないまま社会に出たっていいじゃないか。少なくとも子どもは、叩かれたりしなくなった分だけ幸せに生活できるようになったんだ。学力や社会常識は大人になってから、ゆっくり身につければいいんだ。幸福な人生を送ることこそ、人間の目標だ。だから、今のままでいいんだ」
つまり、はっきりそういっているわけではないが、その内容を突き詰めると、「バカでアホで非常識でもいい、本人が幸せならばいい」という意見である(まさかそんなことを主張する人がいるなんて、と大方の人はあきれるのではないかと思うが、一部の「子ども好き」「子どもを愛してやまない献身的な」大人達は、表現こそ違えど、似たような言説を平然と口にする。「子どもの幸福を一番に考えるべきだ」というスローガンなど、まさにこの言説と内容を同じくするものである)。
だが、本当に彼らのいうとおり、「厳しい指導を受けずに育つと、子どもは幸せ」なのだろうか?
何をしても厳しく叱られたり叩かれたりすることなく、やりたい放題できるのだから、もちろん「子ども時代」は幸福であるのかもしれない。だが、人生は「子ども時代」だけで完結するわけではない。平均余命から考えると、成長して大人になってからの方が、子ども時代よりも4倍以上長いのである。
とすると、考えるべきは「子ども時代がどれだけ幸福か」ではなく、「子ども時代を幸福に過ごした」人間が、その後の人生においても幸福に過ごしていけるのか、ということではないだろうか。
そういった視点で考えた時、「幸福な子ども時代」は、むしろ成長後の人生に悪影響を与えることが多いように思われる。
子ども時代が明るく楽しく、光に満ちている分、その光から生じる影が、大人に成長してからの人生を暗く長くつらいものにしているのである。
なぜ、そういう事態が起こりうるのか。
この章では、そのことを中心に述べていきたい。




