「体罰は子どもに悪影響を及ぼす」科学的根拠が薄弱ならば
前節で見たように、教育心理学・児童心理学といった系統の学問では、大規模な対照実験が不可能であるため、その研究は観察や聞き取り調査に頼りざるを得ない。が、どちらの方法も「回答者・観察対象に偏りはないか」「アンケート内容やその聞き方は妥当なものか」「研究者の先入観により、結果の解釈に偏りが生じていないか」などといった、多くの「越えるのが困難なハードル」がある。そのため、これらの研究は「全くの無駄」とまではいわないものの、限定した文化や人種の中に生きる人たちの、かなり大ざっぱな「傾向」をつかむのができるだけの、精度の低いものに留まる。
それらの研究をいくら数多く多く集め、そこから何らかの傾向を読み取ったとしても、それは「大ざっぱな傾向から、さらにぼんやりとした傾向」があることを示したに過ぎない。しかも、その「読み取り」にも「研究者の先入観」が入り込んでいる可能性が高く、到底「子どもに対する体罰は成長に悪影響を及ぼす」などときっぱり断言できる性質のものではない。にもかかわらず、研究者本人は「悪影響を及ぼす!」とはっきり言い切ってしまっている。そのことから考えて、どうやらガーショフ氏は「体罰反対派の御用学者」であり、自らの研究結果をかなり誇張して述べているのではないかという疑いを持たざるを得ない。
彼女の研究は、それが統計的な手法である以上、少なくとも、保護者が今・目の前に直面している自分の子どものしつけ・教育において、体罰が是か非か、効率的か役に立たないものかを判断する根拠になり得るものではないのである。
ということで、「体罰によらない子育てのために」で述べられていた1~3の「体罰が子どもの成長に悪影響を与えることは、科学的に証明されている」という文言について、それらの「科学研究」なるものが極めて限定的な結果を示すもの、もしくは個人個人の個性を全て無視した統計的な性質のものであり、一般論として「科学的に証明」などと言えるものではないことがおわかりいただけたのではないかと思う。
厚労省は、明らかに誇大な文言を政府文書に載せ、その結果、国民に「体罰は悪いことだ」という意識を過剰に植えつけているのである。
さて、「体罰は悪だと科学的に証明されている」という、「体罰禁止」の大いなる根拠を否定したことで、まことしやかに述べられている残りの言説も、かなりあやしげなものとなる。
まず、4の言説である「子どもは痛みに慣れるので、体罰はエスカレートしがちであり、気がつけば虐待に発展することもあり得る」というもの。
一見すると理にかなっているように思われる言説だが、実のところ、この言説は全く非合理的である。
例えば「火を使うことに慣れるとどんどん使い方がぞんざいになり、火事を起こす可能性があるから火を使うな」とか「自動車を使うことに慣れるとどんどん運転がぞんざいになり、悲惨な事故を起こす可能性があるから、自動車を使うな」などと言われたら、どう思われるだろうか。
「いや、そんな極端な。危ないかどうかは使い方次第であって、その危険性を考えながら気をつけて使えば問題ないじゃないか」
と思われるのではないだろうか。
体罰も全く同じである。
「危険だから」といって、よく考えもせず手段そのものを禁じるのは、この上なく雑で愚かな方法なのである。
要は、その手段が内包する危険を凌駕するに足る有用さ――目的を達成する有効な手段となっているかどうかだ。
「体罰禁止」を叫ぶ方々、そして、政府関係者たちは「体罰の危険だと科学的に証明されているから、使ってはいけない」と主張したいのだろうが、その「危険」の科学的証明がいかにあやふやで頼りないものであるかは、今まで見てきたとおりである。ならば考えるべきは、「体罰は有用かどうか」である。
第1章で述べたとおり、公共の場でのルールを守れず、皆に迷惑をかける子どもに対する教育手段として、体罰を含む「厳しい指導」以上に即時的・効果的な手段はない。それを使わずにすますのは、実にもったいない話である。
「虐待」の定義にもよるが、「体罰」も、「火を使う時は慎重に」「自走車の運転は慎重に」行うのと同じく、「体罰を実行する時も慎重に」行うことを常に心がけ、自分の中のイライラを子どもにぶつけていないか、必要以上に強く叩いていないか、自ら顧みる習慣をつけるようにし、あるいはその方法を保護者や教育関係者に広く教授するようにすれば、体罰はしつけ・教育の強力な手段として有効に活用できるはずである。
ちなみに――この文を書いたお役人様は誤解しているようだが――一応つけ加えておくと、そもそも体罰の効果はその「力の強弱」によるものではない。子どもが教えられた内容を忘れ、暴走しようとし始めた時、すかさず叩くことで注意を喚起し、子どもに自らその行動を改めさせていくという用い方が、最も効果的なのである。それでも教えられたことを忘れる場合は徐々にその力を強くすることで、少なくとも小学校中学年以上の子どもは、行動を改めるようになる。怒りに任せて過剰な折檻を行ってしまうのは、子どもの放埒な行動に我慢に我慢を重ねたあげく、ついに「ブチ切れて」手を出してしまう、どちらかというと「真面目で模範的な」保護者に多い行動である。
「きちんと子育てをしよう」と真面目にがんばってがんばって、がんばりすぎてしまう保護者こそが、その頑張りのせいで虐待を行ってしまうのだ。
そういった意味では、「体罰禁止」を法制化し、保護者の耐えられる限界を越えても体罰を加えさせないようにしたことで、政府はかえって虐待を奨励している、という見方すらできるかもしれない。
最後に、5の「虐待や体罰、暴言を受けた体験がトラウマ(心的外傷)となって、心身にダメージを引き起こし、その後の子ども達の成長・発達に悪影響を与える」という言説について。
体罰は子どもの発育に悪影響を与える、という説が単なる仮説、それもかなり信憑性の薄い仮説である以上、この言説の根拠はなにひとつないことになる。逆に、体罰や暴言(怒鳴ったり、大声で叱ったり)を行わずに成長した子どもたちが、現状学校における校内暴力や学級崩壊のような「悪影響」の結果としか思えない行動を多々示していることに対し、この文書の作成者はどのように考えているのか、是非とも聞いてみたいところである。
適切でない時期に適切でない理不尽な暴力を長期間受けた経験――すなわち虐待は、子どもの成長に悪影響を与える可能性がある、という結果はある程度証明されているが、しつけ・教育のために適切に施された体罰・暴言が悪影響を与えるという結果、あくまで仮説にしか過ぎない。
私は逆に「しつけ・教育のために適切な体罰や暴言を子どもに施さなかった場合、子どもがどれほどダメな子になるか」という今現在日本で実施されている壮大な実験結果が、教育現場の崩壊、子どもの能力値の低下という形で、着々と現れているのではないかと思っているのだが、どうであろうか。
傷の浅い今のうちに児童福祉法を再改正し、家庭における「体罰を含む厳しい叱責を全面的に禁止する」といった文言を改め、子どもにまっとうなしつけ・教育を施せる状況を取り戻すこと。それこそが、今なにより必要なのではないだろうか。




