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身につけさせるべきことは多いが、そのための時間も手段も限られている②――保護者が「一人もしくは共働き」以外の場合

 保護者が一人もしくは共働きの場合、その忙しさのあまり、子どものしつけに振り向けられる時間が圧倒的に少なく、子どもは広範な社会常識を身につけるより前に、社会で生きていくことを余儀なくされる、ということについては、ご理解いただけであろうか。

 では、それ以外の場合――たとえば主たる保護者がご両親であり、そのどちらかが専業で家庭を切り盛りしている場合や、あるいは、少々特殊だが、保護者が仕事をしておらず、家事と育児にのみ専念している場合はどうであろうか。

「うちは両親揃っており、しかも共働きではなく妻は/夫は専業だ。だから、子どもと向き合う時間はたっぷりある。厳しいしつけなど施さなくても、きちんと言い聞かせるだけで十分子どもに必要なしつけ・教育を施すことができる」などと安心できるのであろうか。

 確かに、シングルの家庭や共働き家庭に比べ、このような家庭は時間的に余裕がある。だがその分じっくりと子どもに向き合えているかというと、私の経験上、そういった、実際に「子どもと向き合えている」ご家庭は、それほど多くないように思える。

 両親揃ったご家庭で、片方が専業という場合、もう片方――働いていらっしゃる方の保護者は、必然的に収入が高くなければならない。そういった職業の方は、高収入である分、社会的責任が重く、忙しく、家庭を顧みる暇など(あまり)ない、という状況になってしまうのがほとんどである。

 こういったご家庭では、家事・育児・しつけ・教育といったあらゆる「家庭内の仕事」が片方の保護者一人の責任として押しつけられ、もう片方は、せいぜいたまの休みに子どもと遊んだりなど「いいとこ取り」をするだけ、という役割分担になる――ならざるを得ない。

 これは、「家庭担当」の保護者にとって、非常にストレスのたまる状況である。

 家庭において24時間常に最愛の子どもと向き合って暮らすのは、それをしたことのない人間にとって、大変幸福な状況のように感じられるようだ。しかし、実際はどうだろうか。

 「向き合う」というのは、ただぼんやり相手を投げめていればいいわけではない。子どもがまだ小さいうちは、その一挙手一投足に目を配り、危険のないように目を光らせながら、食事や着替え、排便といった「日常業務」をきちんとこなせるよう、しつけていかねばならない。しかもその相手は、決して協力的な、扱いやすい存在でないことがほとんどだ。大人であれば自明(と思われる)理屈を説いても理解しようとせず、気の赴くまま、身勝手で危険な行動を突発的にしでかしたり、わざとこちらの腹の立つようなことをしてみせたりもする。それでも保護者は――怒りを抑え、無力感に苛まれながら――あくまで冷静に言い聞かせ、やるべきことをやらせなければならず、しかも、その合間を縫って家事までこなさなければならない。

 それだけ努力し、注意を払い続けても、公の場で子どもが聞き分けのない行動を見せれば「しつけが悪いからだ」と他人から/親族親戚一同から/そしてあまつさえ、もう一人の保護者からも責められてしまう。ならば、厳しくしつけたらいいのかと、子どもを怒鳴ったり叩いたりすれば、今度は逆に「そこまでしなくても」「子どもの人権を考えないと」「虐待ですよ」などと責められる。

 そして、子どものためを思うからこそ厳しくしつけを行っているというのに、その努力をあざ笑うかのように、こぞって子どもを慰め、甘やかし、「叱る側」の保護者をひどい人間だとあからさまに子どもに教える。おかげで子どもは「厳しい」保護者を疎んじ、優しい方の保護者、親族にばかりなつくようになっていく。

 「専業保護者」という役割は、大方の人間の認識とは違い、苦労が多く、しかも報われることの少ない、ストレスだらけの「仕事」なのである。

 このような状況に陥らぬようにするには、普段働いており、家にいない方の保護者がより厳しく子どもに接するようにすると同時に、ともすれば甘やかすだけ甘やかそうとする他の親族や他人の手出し・口出しを制限する必要がある。そういった「部外者」が、子どもかわいさの余り保護者を批判するようなことがあれば手厳しく反論し、それでもまだ文句を言うようであれば、子どもとの接触を断ち切る、あるいは最低限にする等の断固とした態度を示さなければならない。その上で、自らも意識して家庭内であまりだらしない姿を見せないようにし、常に「自分が子どもと社会をつなぐ窓であり、自分を見て子どもは社会人のイメージを形作るのだ」ということを意識して行動するよう、努力しなければならない。

 だが、残念ながら現状ほとんどの家庭ではそうなっていないようだ。

 外で働く保護者は「自分は社会に出て苦労し、金を稼いできているのだから、せめて家ではゆっくりくつろぎたい」と、なにもせず、だらしなくしていることが多い。しかもその上、かわいい子供から嫌われたくないからと、子どもに「社会の厳しさ」を感じさせるどころか、逆にデロデロに甘やかし、自分は常に子どもの味方である、と印象づけようとする。その上、他の親族にも「かわいさのお裾分け」とばかり、子どもを甘やかすのを許し、どうかすると、いつも子どもと一緒にいられてずるいから、それぐらいはいいだろうと、進んで専業保護者を貶め、悪役に仕立て上げようとしたりもする。

 こうして、専業の保護者はどんどん追いつめられていくのである。


 そのようにして「周囲からの圧力」に追いつめられた保護者は、どのような行動に出るのだろうか。

 よくある行動の一つが「早期教育の名の下に子どもを幼いうちからさまざまな習い事に通わせ、少しでも一緒に過ごす時間を減らすこと」である。

 子どもが習いごとをしている時間は、言うことを聞かない子どもの顔を見てイライラすることもないし、他の子どもの保護者――いわゆる「ママ友」とおしゃべりし、愚痴をこぼし合うことで気分転換もできる。その上、子どもにさまざまなスキルを身につけさせることもできるのだから、一石三鳥だ。

 ということで、保護者本人が「自分をストレスから守るためにそうしている」ことに気づいている・いないにかかわらず、子どもの習い事はどんどん増え、どうかすると、幼稚園や小学校の門から出た瞬間から分刻みのスケジュールが組まれ、いくつもの習い事をはしごし、ヘトヘトになって夜遅くに帰宅する、などといった状況に陥ってしまうことも、ままある。

「それがどうしたの?それだけ子どももがんばっているんだし、当然いい子に育つのではないの?」

と思われる方もいらっしゃるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。

 これら「余技」で身につくのは、あくまで「スキル」である。「しつけ」によって身につける、社会で生きて行くための基本知識とはまるで別の、いわば「余計な知識」に過ぎない。どれほどそれに熱中したところで、「社会に溶け込んで生きていくための」基本的知識が身につくかどうかは、わからない。

 むしろ、先にも述べたように、「その道」の習得に時間を取られれば取られるほど保護者と向き合う時間――「しつけ」に費やすことのできる時間が減り、その分「常識」は身につかなくなるのが普通である。

 苦もなくピアノやバイオリンを弾きこなせたり、スポーツチームのレギュラーになったり、絵が上手に描けたりといったことができる子どもは、確かに「かっこいい」。

 だが、それだけだ。

 これらの「余技」を本職とし、プロフェッショナルとなって生きていこうと思うならば、「向き合う時間」――子どもが社会で生きていくための基本知識を身につける時間を減らしてまで打ち込むのにも、まあ意味がある。だが、「余技」を「余技」のままとするなら――つまり、他に(高収入で社会的地位の高い「本職を持ち、「その道」は単なる「高尚な・できるとカッコイイ趣味」にとどめるつもりならば――そこまで打ち込むことにまるで意味はないように思われる。

 「カッコイイ」子どもを育てることは、ある意味保護者のステータスである。会う人ごとに「すごいわねえ」と褒められ、持ち上げられれば――普段専業で家庭に閉じ込められ、ねぎらわれることがめったにない分、余計に――いい気分になれるであろうことも、よく分かる。

 だが、それを味わいたいがために、子どもと向き合い、しつけに費やす時間を減らしてしまっては意味がない。

「でも、子どもがやりたいというのだから。やりたいことはどんどんやらせて、才能を伸ばしてあげるべきなんでしょ?」

と困惑する方もいらっしゃるかもしれない。

 だが、子どもは好奇心が大きく、気になったことは何でもやりたがる反面、飽きるのも早い生物である。しかも、判断力が未熟なため、「今自分になにが必要なのか」などといったことは一切考慮せず、気の向くままに行動したがる。その「気まぐれ」を全部真に受け、つきあっていたら、貴重な「生き方を学ぶ時間」はなくなる一方となってしまう。

 また、この「しつけの時間を削りがち」という点では、中学受験を志すご家庭も、同じ状況に陥りやすい。

 入試に合格しようと思えば――名前だけ書けば入れるような、受験する意味があるのかどうかよく分からない学校を目指すのでない限り――当然ながらかなりの知識が必要になる。

 その知識を身につけるためには、管理の時間を勉強と復習に割かねばならず、そちらを重視すればするほど、社会生活に必要なしつけ・教育はおろそかになっていく。

 その結果。首尾よく志望校に合格できたものの、未熟で社会性は一切身につかないまま、クラスの中で問題行動をくり返すような子どもになってしまったりするのである。

 習い事や受験勉強の習熟度に目がいくばかりに、保護者が子ども本人以上に熱心になってしまい、ひたすらそれらに時間を費やすよう、スケジュールを組んでしまう。よく目にする光景ではある。だが、それはすなわち、将来子どもが社会に適応できず、苦労する確率を上げることでもある。

 判断力の未熟な子どもに代わり、いまなにが必要なのか、子どもにとってオーバーワークにならないように、習い事をどの程度にとどめるべきか冷静に判断し導いてあげるのも、保護者の大切な役割の一つではないかと思うのだが、いかがであろうか。


 さて、追いつめられた専業保護者が取りがちなもう一つの行動は、「正攻法で、正面から問題を解決しようとする」ことである。つまり、自分の持つありとあらゆる時間や希望を犠牲にしてまで、ひたすら子どもと向き合い、ひたすら言い聞かせ、子どもにしつけを施そうとするのである。

 理性的に言い聞かせるという方法は時間がかかる。だが、それらは必ず子ども時代に身につけるべきことがらだ。そうであるなら、よろしい、どれほど時間がかかろうとも、たとえ自分の持てる時間を全て「理性的に言い聞かせること」に費やそうとも、必ず子どもを納得させ、十全なしつけ・教育を施し、育て上げようではないか――という、児童福祉法の精神をそのまま体現した、ある意味理想的な姿勢である。

 超人的な努力と子どもへの愛情、そして果てしない忍耐の必要なこの方法を実践している保護者の方々には、ほとほと頭が下がる。

 が……残念ながら、今までの例にもまして、この方法には「子どもをダメに・不幸にする」大いなる危険をはらんでいる。

 なぜそうなってしまうのか、詳しい説明は次章に譲るとして、今は「理性的に言い聞かせる」一辺倒のしつけ・教育は非効率的である上に効果が薄く、子どもが成人する以前に一通りのしつけ・教育を施すのに最適な方法だとは到底言えないものであり、ごり押しすれば相当の無理が生じる、ということだけ――納得できないかもしれないが――とりあえず覚えておいていただきたい。





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