第四部 石片の向こう 95 夕べの伝承
慰霊の夕べ、年長者たちは古い災害と光の話を語る。
誰も、その夜を自分の目で見たとは言わない。
慰霊のあとの夕方、家々から小さな灯りが運ばれてきた。
広場にはもう昼の白い布がなく、代わりに丸い石を囲んで低い腰掛けが置かれている。
昼に泣いていた少女が、今は母親の膝で眠っていた。
「話をする人が、何人かいるらしい」
ヘルマンが声を潜めて言った。
「皆、同じ話をするの?」
ジュリアが訊く。
「同じだと思って聞かない方がいい」
「あなたも、子どものころに聞いた?」
ヘルマンは少し考えた。
「似た話ならね。僕の故郷では、始まりがもっと短かった」
それ以上は言わず、席の端へ腰を下ろした。
最初に語ったのは、昼の読み手より年上の男だった。
男は杖を膝に置き、昔の谷にあったという道の名前を幾つも挙げた。
その道は今の地図には載っておらず、言葉の響きだけが残っているらしい。
「夜に、大きな音がした。家の奥まで石が震えた、と祖父は言っていた」
彼は一度口を閉じた。
「祖父が見たのか、祖父の父が見たのか、そこは聞き損ねた」
続いて別の女性が話し始めた。
「私の家では、空が白くなって、山の形が消えたという」
「火事の明かりだと聞いたが」
男が口を挟む。
「火事と決まったわけではないよ」
女性は穏やかに答えた。
「燃える匂いがしたと言う人も、しなかったと言う人もいる」
エリゼーは聞きながら、焚かれた小さな火を見つめた。
炎は腰掛けに座る人々の膝を照らすだけで、少し離れれば顔も見えなくなる。
大きな光という言葉は、古い歌でも聞いた。
だが同じ言葉が、同じ出来事を指しているとは限らない。
***
三人目の老人は、しばらく話そうとしなかった。
人々が別の話に移りかけたころ、ようやく口を開いた。
「うちでは、光より先に水の話をする」
老人の声はよく通った。
「谷を下りてきた人たちが、見たことのない水の色をしていたと。服に泥がついていたのか、そう見えたのかは知らん」
「川があふれたんでしょうか」
ジュリアが思わず尋ねた。
老人は首を傾ける。
「そうかもしれん。でも、あふれなかったと伝える家もある。私が知っているのは、上の家が戸を開いたことだ」
戸が開いたという言葉に、ハインツが顔を上げた。
「迎えた人数は分かりますか」
「数は、家によって違う」
「そうですか」
「人を数えていたという家もある。茶碗が足りなくなったという家もある」
エリゼーは記録保管室の帳面を思い出した。
世帯数、食糧、避難者数。数字は、かつて誰かが暮らしを整えるために必要としたものだ。
今ここにあるのは、茶碗の不足という別の記憶だった。
それを数字に直せば分かりやすくなるのかもしれない。
だが、足りなくなった茶碗を誰が探しに走ったのか、数字だけでは残らない。
***
話はやがて、祈りへ移った。
「光が消えるまで、山の人が唱え続けたという」
最初の男が言う。
「だから皆が助かったのだと」
「そう教わった?」
二人目の女性が尋ねる。
「祖母は、そう言っていた」
「うちは逆だよ。祈ったから光が強くなった、と父が話していた」
男は杖の先を地面に置いた。
「どちらも、おかしな話だな」
「おかしいから、残しておくんだよ」
女性はそう答えて、火の番をしていた若者へ水を渡した。
エリゼーは、二人のどちらにも賛成しなかった。
祈りに何かが応じることは、この世界で実際に起きる。
彼女はその瞬間を何度も見てきた。
しかし起きることがあるからといって、昔の光まで祈りの働きだったと決めることはできない。
「記録したいですか」
隣のジュリアが小さく聞いた。
「いいえ。今夜は、まず聞きたい」
「私も」
二人は膝の上で手を重ねたまま、最後の話まで聞いた。
***
やがて火が小さくなり、番をしていた若者が薪を一本足した。
新しい火が燃え始めると、話していた男の顔が急に明るく見えた。
少し前まで見えなかった目尻の皺が、細く刻まれている。
「明かりひとつで、別人に見えるね」
ハインツが小声で言った。
「そうね」
エリゼーは、古い物語の光がどれほど人々の記憶を変えただろうと想像した。
そして、想像したことを事実として扱いそうになる自分に気づき、視線を火から戻した。
集まりが解けかけたころ、ヘルマンが最初の老人へ歩み寄った。
「この谷で、昔の祈りの場所と言われるところはありますか」
「あることはある。だが、道が昔と同じかどうかは知らない」
「訪ねてもよいでしょうか」
「明日、畑の帰りに案内できる者がいる。そこまで待ちなさい」
帰り道、ハインツは腕をかばいながら、小さな灯りを持った。
エリゼーはその歩幅に合わせた。
「怖かった?」
彼が尋ねた。
「光の話?」
「昔の話が、今夜の人たちの間でも違っていたこと」
「怖いというより、ありがたかったわ。誰か一人が、話を一つにしてしまわなかったから」
谷の上の空は、昼より低く感じられた。
どの家の話にも、人が戸を開けた場面が残っていた。
眩い光の色はそろわないのに、その小さな動作だけが幾つもの声に現れる。
エリゼーは、その違いを忘れまいと思った。
災害と眩い光をめぐる口承は、家によって食い違います。
何が起きたかを、今ここで一つの説明へまとめることはできません。




