第三部 異郷の声 88 仕事の違い
紙を守る手と、車輪を直す手。職業の違う若い二人は、相手の仕事に自分の知らなかった厳しさを見る。
商隊は、次の集落で車輪の修理を頼むことになった。
昨日の泥に沈んだ車輪は無事に見えたが、軸を受ける木には細い傷ができているらしい。
若い職人が荷台の下へ潜り、手燭の光で木目を調べていた。
ジュリアは作業を邪魔しない位置に立ち、その手を見ていた。
職人は顔だけを向ける。
「そんなに面白いかい」
「ええ。あなたがそこを見て、どこが壊れたとかそれが分かるのか知りたくて」
「今はまだ、壊れているかどうか調べているところ」
「調べる前に決めないんですね」
「決めてから見ると、そこしか見なくなる」
彼は再び木の裏へ目を向けた。
ジュリアは小さく笑った。
「それは記録を読むときと似ています」
「紙に車輪があるの?」
「いいえ。書いてあることが本当かどうか、別の資料と確かめたりします」
「紙なら、見たままが書かれているんじゃないのか」
「そうとは限りませんの」
彼女は答えてから、補った。
「書いた人が嘘をついたという意味ではなくて。知らせが届くまでに時間がかかることもありますし、聞いた人が違う言い方で書くこともあります」
職人は道具を置いた。
「なるほど。俺が『車輪が折れた』と言っても、軸なのか輪なのかで直し方が変わるのと同じか」
「そうです。それに、折れたと聞いて来てみたら、曲がっているだけのこともある」
「その方が助かる」
二人は自然に顔を見合わせた。
***
職人は軸受けの木片を外し、隣の台へ置いた。
新しい部品を入れる前に、古いものの傷んだ場所を指で示す。
「昨日の泥で無理をしたんだろう。削れているところが片寄ってる」
ジュリアは覗き込んだ。
「直したあと、この古い部品はどうするんですか」
「持ち主が要ると言えば返す。要らないなら捨てるか、薪にする」
「どう直したか分からなくならないでしょうか」
「同じ荷車を次に直すとは限らないからね」
ジュリアは考えた。
資料室では古い紙片も、いつ別の記録の手掛かりになるか分からない。
しかし旅の道具では、傷んだ部品を運ぶためにも場所と重さが必要になる。
仕事の違いは、責任の違いでもあった。
「私なら残してしまうと思います」
彼女が言うと、職人は笑った。
「君が商隊にいたら、荷台が古い木でいっぱいになるな」
「ええ。きっと怒られます」
「でも、修理の場所と理由を残すことはできるかもしれない」
職人は木片へ印をつけた。
「次に同じところが傷んだら、何か分かるだろう」
その印は彼が考えたもので、誰にでも読めるわけではなかった。
ジュリアは「何を表すかも書いておきませんか」と言いかけ、止めた。
相手の仕事の手順を、会って間もない自分が勝手に整えるべきではない。
「その印は、次の職人さんにも分かりますか」
代わりに尋ねると、彼はしばらく考えた。
「知らない人には分からないかもしれない。店の帳面にも一言残しておくよ」
「それなら安心ですね」
「君は心配性だね」
「よく言われます」
ジュリアは照れたように笑った。
***
夕刻、修理の代金について商隊の女と職人が話し合っていた。
部品代と手間賃、次の町までに再調整が必要になった場合の扱い。
エリゼーはその会話を遠くから聞いた。
あいまいにしないことは、互いを疑うことと同じではない。
「記録係の人たちは、いつもこんなに細かいの?」
職人がジュリアに聞いた。
「細かくしても、足りないことがあります」
「大変だ」
「でも、あなたたちも大変です。壊れた場所に人が乗ったまま次へ進んだら、危ないですから」
「危ないからこそ、やめる判断も仕事だよ」
その言葉に、ジュリアは思わず黙った。
自分もエリゼーも、記録を守ろうとして仕事を抱え込みすぎることがある。
やめること、任せること、後で確かめること。
それらは手を抜く行為ではない。
宿へ戻ると、ハインツが片手でパンを切っていた。
エリゼーが手伝おうとして、彼に一度顔を向ける。
「切りにくかったら言ってね」
「うん。最後の一枚だけお願いしようかな」
その横でヘルマンが、明日の道について商隊の女から聞いた注意を四人に伝えた。
ジュリアは机の片隅へ、小さな木片の絵を描いた。
それは車輪の修繕記録ではない。
どこかの職人が、自分の知らない仕方で確かめ、考え、判断していたことを忘れないための覚え書きだった。
「その人の名も書くの?」
エリゼーが尋ねた。
「本人に聞いてからにします」
ジュリアは答えた。
「仕事のやり方を教えてもらっただけで、その人の人生まで預かったつもりにはなりたくないので」
エリゼーは頷いた。
旅に出てから、若い人に教わることが増えている。
それを寂しく感じない自分に、彼女は少し驚いていた。
ジュリアは商隊の若い職人と、それぞれの仕事の確かめ方を語り合いました。
記録することも、残さないことも、判断の一部です。




