第三部 異郷の声 86 軽くなる荷
祈りに応える力が現実に働くときにも、それを使う人の身体と判断は残る。
四人は街道で実用魔法を目にする。
時間が経つうちに泥の表面に薄い膜ができていた。
土が少し固くなったようにも見えたが、棒の先を押し込むと、すぐ下から湿った泥が盛り上がる。
商隊をまとめる女はそれを確かめ、仲間を呼び集めた。
「荷を降ろすだけでは足りない。車輪の下へ板を通すにも、もう少し荷台を浮かせたい」
彼女は一人の男を見た。
「できるかどうかは、あんたが決めな」
男は荷車の横へ歩き、泥の深さと荷の残り具合を見比べた。
「少しなら。だが長くは保たない」
「それで十分か、先に段取りを決めよう」
エリゼーはそのやり取りに耳を傾けていた。
魔法を使える者が呼ばれたからといって、全員がその力を当然のように待つわけではない。
男はまず水を飲み、足元の滑らない場所を選んだ。
そのあいだ、他の者たちは木の板を運び、車軸に届く長さへ縄を結び直した。
「昨日も使ったんですか」
ジュリアが男に尋ねた。
「小さな仕事を一度。重いものを何度でも動かせる身体じゃない」
「何か目安があるのですか」
「今日はどれだけできるか、自分にも終わってみないと分からないことがある」
男は答えた。
「だから、無理だと思ったら途中でもやめる」
ヘルマンはそれを聞き、道具の配置を変えた。
「途中で止まっても、荷車が倒れないようにします」
「それなら助かる」
男は初めて、少し安心したような顔をした。
***
合図が出ると、人々が車輪の左右へ分かれた。
エリゼーは後方の通路へ誰も入らないよう声をかける。
ハインツは昨日痛めた右腕を胸の近くに置き、離れた場所から荷を数えていた。
彼はもう縄を持たないと自分で決めた。
魔法を使う男が、祈りの言葉を低く唱えた。
エリゼーは耳を澄ましたが、声は周囲の木の軋みに重なり、はっきりとは聞き取れなかった。
男が片手を荷台へ向ける。
そのとき、荷車を支える木の軋み方が変わった。
昨日まで重量を押し返していた車軸が、ほんのわずかに浮いた。
車輪は泥から抜けたわけではない。
けれど、人が押す棒の手応えが変わったことは、皆の動きから見て取れた。
「今だ。板を入れて」
女が叫んだ。
二人が車輪の下へ板を滑り込ませる。
別の者が後ろから木片を差し、荷車が戻らないよう支えた。
男の額に汗が浮いた。
「あと少し」
声は昨日よりかすれている。
女はすぐに答えた。
「もう十分。やめていい」
祈りの音が途切れた。
荷車は重さを取り戻したように沈みかけたが、板と支えがそれを受けた。
「動かせ!」
御者が合図する。
馬はゆっくりと踏み出し、縄を持つ人々が同じ方向へ力を加えた。
車輪が泥を押し出し、一度止まり、それから乾いた地面へ乗り上がった。
大きな音を立てて車軸が揺れる。
誰も彼もが歓声を上げた。
魔法を使った男は歓声に応えず、座れる場所を探して地面へ膝をついた。
ジュリアが水を差し出すと、男は礼を言い、少しずつ飲んだ。
***
荷車が動ける場所へ出たあとも、商隊はすぐには出発しなかった。
車軸にひびがないか確かめ、布に泥が染みていないか調べる。
女は魔法を使った男のもとへ行き、体調を聞いた。
「今日はもう、祈りは無しだ」
男が言った。
「分かった。今朝の分は約束どおり払うよ」
エリゼーは不思議に思い、失礼にならない範囲で尋ねた。
「荷車が完全には軽くならなくても、同じ対価なのですか」
女は頷いた。
「頼んだのは決まった時間だけ荷を軽くする仕事だ。車が抜けるかどうかは、みんなの支え方にもかかっている」
「魔法そのものが、仕事なのですね」
「当然だろう。できる人が少ないのに、ただで使えるわけがない」
その言葉を、エリゼーは心の中で繰り返した。
自分にはできないことが、誰かにはできる。
しかし、できることと、いつでも求められてよいことは同じではない。
ハインツが隣へ来た。
「見ていて、何を考えた?」
「祈りが働いたことに、少し驚いている」
「あなたの町でも魔法は見てきたでしょう」
「ええ。でも、あんなふうに、使ったあと疲れた人がしばらく座っているところまで見る機会は少なかった」
ハインツは右腕をそっと伸ばした。
「僕も、今日はあの人の隣で休めそうだ」
「痛みは?」
「昨日よりまし。でも、重いものは持たない」
「それなら、私も自分の荷を自分で持つわ」
「それは助かる」
商隊の男は草の上で目を閉じていた。
荷車の周りでは、ほかの者たちが板を洗い、縄を巻き直している。
祈りは確かに何かを変えた。
しかしその瞬間にも、仕事の全体は、多くの人の手によって支えられていた。
商隊の実用魔法は短時間だけ荷を軽くしました。
発現する力にも、使い手の負担と商い上の約束があります。




