第三部 異郷の声 85 泥と車輪
道が人を試すとき、誰かの力だけで解決できるとは限らない。
荷車を救うため、旅人たちは自分の役割を探す。
車輪が沈んだのは、坂の途中の浅い窪みだった。
表面は乾きかけていたが、下の土はまだ柔らかい。
車輪の縁が泥へ食い込み、荷台がわずかに右へ傾いた。
馬が一歩踏み出そうとすると、御者が手綱を引いて止めた。
「引かせるな。脚を痛める」
商隊をまとめる女が言った。
若い御者は馬の首を撫で、呼吸が落ち着くまで待った。
後ろの二台も離れた場所で止められ、人々が地面へ降りてきた。
「手を貸してもよいですか」
ヘルマンが聞く。
「まず、足場を確かめて。泥の中へむやみに入らないこと」
女はすぐに答えた。
「車を守って人が怪我をしたら、荷を運ぶ意味がない」
四人はそれぞれ、商隊の指示を聞いた。
ジュリアは通路を塞がない場所へ荷を集める。
エリゼーは濡れた道の両側へ石を並べ、近づいてよい範囲を分かるようにした。
ヘルマンは枝と板の置き場を探し、使ってもよいか持ち主に確認した。
ハインツは縄を持つ一団へ加わった。
「僕も引けます」
彼が言うと、商隊の男が縄を渡した。
「合図があるまで力を入れないでくれ。急に引くと横へ倒れる」
「分かった」
***
最初の試みは失敗した。
車輪の下に差し込んだ板が滑り、荷台がさらに少し傾いた。
人々は一斉に手を離し、車の動きが止まるのを待った。
エリゼーは、その瞬間の沈黙を妙に長く感じた。
誰かが祈り始めたが、祈りの終わりより先に御者の指示が飛ぶ。
「馬を後ろへ。少しだけ」
馬の脚の位置が変わる。
泥を混ぜる音がした。
「引き直そう」
縄を持つ男が言った。
「今度は荷を少し降ろす」
女がうなずいた。
「濡らせないものから先に。誰が持ったか分かるようにしておくれ」
積み荷の布を下ろす作業が始まる。
ジュリアは品物の札を読み、同じ印の箱が混ざらないよう地面へ並べた。
エリゼーはその隣で、箱の底が泥に触れないよう乾いた板を差し込んだ。
手元を集中していると、車輪の傾きばかりを見ていたときより呼吸が落ち着いた。
縄が二度目に張った。
ハインツは両足を開き、肩を落として力を入れた。
わずかに車輪が動く。
だが板が沈み、男たちはまた合図で引くのをやめた。
「ここで続けると、腕を傷める」
ヘルマンがハインツの手元を見て言った。
「まだ痛くないよ」
ハインツは答えた。
その言葉は強がりにも、事実にも聞こえた。
エリゼーは声をかけかけたが、彼に代わって判断しなかった。
「次は何をする?」
ハインツが商隊の女に尋ねた。
「道具を変える。焦らなくていい」
***
三度目の前に、荷車の側板を外した。
下ろした荷が増え、荷車の周りには商隊の商品が小さな島のように並ぶ。
男たちは棒を組み替え、車軸の下へ支えを入れた。
「ちょっと持ち上げれば出るようにも見えますけど」
若い御者が言った。
「見えるだけだ」
女は泥の深さを測り直した。
「この土の下に石があるかもしれない。車輪を壊せば先へ進めない」
そのとき、荷台の後ろから小さな音がした。
残っていた箱が一つ滑り、縄を持つハインツの方へ動いた。
彼は反射的に腕を伸ばし、落ちかけた箱を受けた。
箱は別の男にも支えられ、地面へ倒れる前に止まった。
「離していい!」
女の声で、ハインツは手を放した。
右の前腕を押さえ、短く息を吐く。
「痛めた?」
エリゼーは近づいた。
「少しひねったかもしれない。でも、まだ分からない」
「休める場所へ行こうか」
「その前に、この箱を安全なところへ置くのを見届けたい」
彼は自分の足で二歩下がり、作業員が荷を置くのを確かめてから木陰へ向かった。
エリゼーは付いていったが、黙って腕を取ることはしなかった。
「触れて確かめてもいい?」
「今は自分で動かしてみる」
「分かった。水を持ってくるわ」
彼はうなずいた。
***
太陽が山の向こうへ傾き始めた。
商隊はその場で無理に進むことをやめ、足場を固め直す準備を始めた。
「今日はこの先で泊まるつもりだったのにね」
ジュリアが言うと、女は笑った。
「明日も荷を売るつもりなら、今ここでこれを壊してしまわないことだよ」
エリゼーは木陰で休むハインツの隣へ座った。
右腕は動くが、持ち上げると痛むらしい。
「私、箱が落ちたとき、あなたを止めたかった」
「止めてもよかったよ」
「あなたの代わりに決めてしまいそうで」
ハインツは少し考えた。
「言ってくれることと、できることは違うと思う」
エリゼーはその違いを胸に収めた。
エランと暮らしていた頃、彼女は同じことを聞く前に相手のためだと思う選択をしていた。
思い出したからといって、いま目の前にいる人を過去の償いに使ってはいけない。
道の向こうで、商隊の女が一人の仲間を呼んでいた。
「荷の重さを軽くする事は、できそうかい」
呼ばれた男は泥の車輪を見て、すぐには答えなかった。
手を擦り合わせ、自分の息を一度整えてから言う。
「少し休ませてくれ。それから考える」
荷車の救助は簡単には進まず、ハインツは右腕を痛めました。
商隊には限られた魔法を扱える人物もいますが、その力にも条件があります。




