第三部 異郷の声 84 商人の荷車
旅人の道は、商人の仕事場でもある。
四人は同じ道を歩きながら、異なる目的を持つ人々と出会う。
渡しを離れて続く街道には、車輪の跡が幾重にも残っていた。
乾いたところは細い溝になり、湿ったところでは深い窪みになっている。
ヘルマンは先ほど聞いた危ない場所を避けるよう、草の生えた道の端を選んだ。
昼前、後ろから鈴の音が聞こえた。
振り返ると、幌をかけた荷車が三台、ゆっくりと坂を上ってくる。
先頭には商人らしい女が歩き、その隣で若い男が馬の首に白っぽく泡だった汗を拭いていた。
「先へどうぞ」
ハインツが道を空けると、女は手を振った。
「急いでいないよ。馬を休ませたいところだ」
彼女は四人の荷を見た。
「この先の村へ?」
「まずは宿のある集落までです」
ヘルマンが答える。
「雨で通れないところがあると聞きました」
「聞いたなら、足元を見ておくれ。私たちは昨日、一本車輪を洗う羽目になった」
女は商隊のまとめ役だった。
名前を名乗ったが、エリゼーはすぐに覚えられず、聞き直した。
女は気にした様子もなく、もう一度言った。
「旅人が互いに全部の名を覚えられるわけじゃないさ」
エリゼーはその言葉に救われた。
記録を扱う者として人の名を忘れることに敏感だったが、旅先の挨拶を試験のように扱えば、相手を話の外へ追いやってしまう。
彼女はもう一度だけ礼を述べた。
そして荷車の側板を軽く叩いた。
「布と工具、それから塩。商売の品と、自分たちの暮らしの道具が半々だよ」
荷台の端に、車輪用の木片が丁寧に組まれていた。
ジュリアはそこに目を留めた。
「壊れたら、その場で直すんですか」
「直せるところまでね。修繕を頼む村もある」
女は答えた。
「商いは品を運ぶだけじゃない。壊れたものと、直せる人を探す仕事でもあるんだ」
***
昼休みに、四人は商隊と同じ木陰を使うことになった。
一行の人数は多かったが、食事の席は決まっていない。
エリゼーは持参したパンを切り、商隊が分けてくれた薄い汁を少し受け取った。
互いに、相手の分まで勝手には用意しない。
誰がどれだけ持っているか、見ただけでは分からないからだ。
若い御者は馬の足を点検しながら、ヘルマンへ尋ねた。
「どこまで行くつもりだい」
「谷の手前までは、確かめた道がある。その先は土地の人に聞く」
「詳しい案内人だと思ったのに」
「知らない土地を知っているふりはできない」
ヘルマンが言うと、御者は笑った。
「その答えなら安心だ」
少し離れたところでは、商隊の一人が布を広げ、縫い目のほころびを直していた。
ジュリアが見ていると、その人は針の向きを変えて見せた。
「強く縫えば丈夫になるとは限らない。引きすぎると、ほかの布が裂ける」
「記録の綴じ方に似ています」
「紙も裂けるの?」
「ええ。守ろうとして締めすぎると」
二人は互いの手元を見比べた。
エリゼーはその会話を聞きながら、若い書記に仕事を任せ始めた頃を思い出した。
自分のやり方が正しいと思うほど、相手の手を止めさせてしまう。
その癖は、紙の上だけのものではなかった。
ハインツが木陰へ戻ってきたとき、彼女はその顔を見て言った。
「あなたの荷、私が持った方がいいかしら」
ハインツは腰紐を締め直した。
「いまは大丈夫。疲れたら頼むよ」
彼女は「そう」と答え、そのままにした。
言われた言葉をそのまま受け取るだけのことが、これほど意識を要するとは思わなかった。
自分の役目を減らしているのではない。相手にも、自分の役目を渡しているのだ。
***
午後、商隊の女は四人に提案した。
「宿のある村までは、うちも同じ道だ。遅い足でもよければ一緒に行かないかい」
「ご迷惑でなければ」
ヘルマンが答える。
「こちらにも道の様子を教えてほしい。人数が増えれば、道を見てくれる目も増える」
女はそう言い、馬の手綱を引いた。
商隊には、必要なときに小さな魔法を使う者もいるらしかった。
荷の重さを調整する仕事だと、御者が説明した。
「ただし、いつでも頼めると思わない方がいい。本人が疲れていたら無理なんだ」
「どれくらい変わるのですか」
エリゼーが聞く。
「俺は使えないから詳しいことは言えない。見れば分かるよ」
御者は肩をすくめた。
「見ても全部分かるとは限らないけどね」
緩い坂を越えると、道は木の根を避けるように曲がった。
先頭の女が、車輪の跡を見て足を止める。
「昨夜の雨がまだ残ってる」
彼女は先へ進み、地面を靴先で探った。
「ここは一台ずつ通そう」
荷車は間を開け、若い御者が手綱を引き締めた。
四人は道端に下がった。
街道を歩くとき、自分たちの足元だけを見ればよかった。
しかし荷車と一緒なら、馬の足、車輪の位置、積み荷の揺れまで考えなければならない。
同じ道が、人の仕事によって別の姿を見せる。
先頭の車輪がぬかるみの縁へ差しかかった。
木が軋み、鈴が一度だけ大きく鳴った。
女が短く手を上げた。
「止めて。ここから先は、急ぐな」
四人は道中の商隊と知り合い、同じ道を進むことになりました。
雨の残る地面が、次の難事につながります




