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第二部 沈黙する記録 55 記録の行方

知りたいという願いが正しくても、開いてよい扉が増えるとは限らない。

挿絵(By みてみん)

保管室に、仮棚の正式な点検結果が届いた。

 雨漏りで移した資料のうち、元の位置へ戻せるものと、補修を待つものが分けられている。


 エリゼーは若い書記と一冊ずつ確認し、札の色を変えた。

「これは、まだ戻さないんですね」

「綴じ目の内側が乾いていないから。修復係の確認が出るまで待ちましょう」


「探しに来た人には?」

「利用できる写しがあるか確かめる。ないものは、その状態を説明する」

 書記は紙へ書き留めた。


 開けない資料の理由が、また一つ増える。

 そのことを隠さずに伝える仕事が必要だった。


 * * *


 午前の終わり、受付責任者が、先日出した案内の改訂稿を持って来た。

「この形なら、窓口で使えると思います。ただし、正式な掲示には決裁が必要です」


 エリゼーは赤字の入った欄を読んだ。


 閲覧を保証しないこと。保存状態によって代替資料を案内する場合があること。申請が却下された場合の問い合わせ先。

 どれも、来訪者に知らせておくべきことだった。


「ありがとうございます。これで終わりにせず、使う方の意見を聞けたら」

「まずは承認を取りましょう」

 責任者は笑った。


 彼女も笑い返した。


 仕事の順序を飛び越えれば、かえって困る人が増える。


 * * *


 昼食の前、若い書記が、案内文の試し読みを申し出た。


「初めて来る人のつもりで読んでもいいですか」

「ぜひ、お願い」

 書記は紙を受け取り、最初から声に出した。


「『必要な資料の閲覧可否は所定の審査によります』……すみません、これはどういうことですか」


「見せられるかどうかを、担当者が決めるという意味よ」

「それなら、そう書いたほうがいいかもしれません」


 エリゼーは笑いかけて、笑うのをやめた。

 自分には慣れた言葉でも、読みに来る人には門前で初めて出会う言葉だった。


「そのとおりね」

 書記は続きを読み、「写し」という語についても説明を求めた。


 写しは元の紙とまったく同じものではないこと。文字だけを写したものもあれば、印や余白の位置を残したものもあること。何が確かめられるかは、それぞれ違うこと。

 話すうち、エリゼーは自分が一度に多く説明しすぎていると気づいた。


「一度に全部言われたら、分からなくなるでしょうね」

「私も、今少し分からなくなりました」

 二人は顔を見合わせた。


 まず窓口へ来る前に必要なこと、そのあと担当者と確かめること。順番を分けると、紙の上に空白ができた。


 説明を削ることが、内容を隠すことにはならない。

 書記の疑問を、エリゼーは修正案と一緒に責任者へ渡すことにした。


 午後、エリゼーは古い災厄の記録を整理するため、閲覧可能な目録を開いた。

 ある年代の冊子には、同じ土地について記した資料が幾つも並んでいる。

 奇跡の報告。水位の覚え書き。避難の際に受け取った物資の控え。

 それぞれの作成者と目的は違う。

 彼女は以前、その間に説明しづらい時期のずれがあることを見つけていた。

 しかし、目録の並びを見ただけでは、足りない資料が何なのかさえ分からない。


 記録がないことと、存在していて自分には見る権限がないことも違う。

 だからこそ、彼女は照会文を作り直した。


 古い特定資料の内容を開示せよ、とは書かない。

 自分が現在の職務で参照できる資料について、所在と手続きの範囲を確認したい、と記す。


 必要な理由には、記録の保全と目録の整備を挙げた。

 疑問そのものを消したわけではない。

 けれども、今の自分の役割でできることに問いを置き直した。


 * * *


 夕方、提出前の文書を担当責任者へ見せた。


「これは何のための照会ですか」

「原本と写しの扱いを、間違えないためです」


「歴史の解釈についてですか」

「それについて私が決める立場ではありません。今は、所蔵と手続きを確かめたいのです」


 責任者は何箇所か言葉を修正し、通常の経路で提出するよう指示した。

 彼女は、指示された箇所を直した。


 知られたくないからではない。確認できることだけを、確認できる形で尋ねるためだった。


 * * *


 家への帰り道、エリゼーは門前で一度立ち止まった。

 雨上がりの道は、まだ所々ぬかるんでいる。


 大きな一歩で飛び越えようとすると、かえって裾を汚しそうだった。

 細い石を選び、少しずつ渡る。

 その歩き方が、自分のしている仕事に似ていると思った。


 すべてを明らかにしたいと願うことはできる。

 けれども、願うことと、自分だけで扉を開けることは違う。


 門の外でハインツが待っていた。


「足元が悪いね」

「ええ。でも、歩けるわ」


 二人は並んで、濡れた道をゆっくり進んだ。


 何かを守るために立ち止まる日があっても、ずっと同じ場所にいる必要はないのだと、エリゼーは思った。

目録と申請の整備という具体的な仕事を進めながら、エリゼー自身にない公開権限や歴史解釈の決定権を越えない形にしました。

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