第二部 沈黙する記録 43 二つの記録
同じ出来事に、祈りの言葉を残す人と、生活の言葉を残す人がいる。
どちらにも、その場所にいた人の目がある。
川沿いの工房から、教会へ小さな荷が届いた。
湿気で傷んだ帳面の綴じ糸を見本にして、新しい糸をより合わせてもらったのだった。
届けに来た女職人は、包みを差し出す前に尋ねた。
「前にお預かりした見本は、お返ししなくてよろしいんですか」
「必要です。返却の欄に記録してから受け取ります」
エリゼーが答えると、職人は肩の力を抜いた。
「捨ててよいと言われたら、困りました」
古い糸を束ねた紙には、傷んだ位置を書いた小さな札が付いている。
その札も、記録の一部になっていた。
エリゼーは工房まで一緒に歩き、見本を受け取ることにした。
* * *
川沿いでは、石段を洗う人がいた。
昨夜の増水は大きくなかったが、岸に泥が残っている。
工房の主人は、濡れた縄を吊るしながら言った。
「昨日の水は、橋の下の三つ目の石まで来ました」
「川の見張りの方が記録している高さとは、違うんですね」
「向こうは川の中央を見ている。うちは工房の前を見てるんです。どっちも本当ですよ」
彼はそう言って、指で柱の古い傷を示した。
水の跡が、異なる高さに何本も残っている。
「ここへ水が来れば、糸を高い所へ上げる。大昔の水位がいくつだったかより、うちにはその方が大切なんです」
エリゼーは頷いた。
古い記録の数字が揃わない理由を、すべて不思議な力に求めるべきではない。
いま眼前にある二つの目盛りですら、同じ水を違う位置から見ていた。
* * *
工房の奥で、女職人が糸の束を渡した。
「昔、ここが焼けかけたときの話をご存じですか」
「いいえ」
「近くの祈り手が来て、火が広がらぬよう願ってくれたそうです。それで助かったと言う人もいます」
「実際には、どうだったのでしょう」
「水桶を運んだ人の話なら、うちの祖母が聞いていました。桶が足りなくて、川へ何度も往復したそうですよ」
エリゼーは両方の話を聞いた。
魔法が起きたという話を否定するために、水桶の話を持ち出したのではない。
水桶が運ばれたからといって、祈り手がいたという記憶まで消してよいわけでもない。
「教会の記録には残っていますか」
女職人が尋ねた。
「調べれば見つかるかもしれません。ただ、記録があったとしても、そこに書かれていないことはあると思います」
「祖母が言っていたのは、最後に桶を運んだ人の名でした。みんな火の話ばかりするけれど、あの人の手はずっと赤かったって」
工房の戸口で、風が細い糸を揺らした。
「その糸、引っ張ってみますか」
女職人は台に掛けた二本の糸を差し出した。
エリゼーが一方を指で引くと、途中からけば立ち、ほどけた。もう一方は、力をかけても形が崩れなかった。
「見た目は同じようでした」
「雨のあとで使う糸には、少し違うよりを掛けるんです。濡れて強くなるものもあれば、弱くなるものもあるから」
女職人は手元を見せながら、端を結んだ。
「人の手が残したものを直すときは、強いだけじゃ足りません。元の紙に負けてもらうわけにはいかないでしょう」
エリゼーは破れやすい古紙の端を思い出した。
ここで教わったのは、過去の謎の答えではない。明日、確かに使える小さな知恵だった。
「その結び方を、うちの書記にも見せていただけますか」
「いつでも。紙を持って来なくても、糸だけなら教えられますよ」
* * *
教会へ戻ると、書記が受け取りの札を準備していた。
「糸はどうでしたか」
「丈夫そうよ。それから、今日は二つの記録を聞いたわ」
「二つ?」
「火を止めた祈りの話と、水桶を運んだ人の話」
書記は考えた。
「どちらを帳面に書くんですか」
「いまは糸を受け取ったことだけ」
「えっ」
「昔の火事の話は、話した人と事情を分けて覚えておく。今ここで、正式な事故記録にしてしまうわけにはいかないもの」
彼女は工房で聞いたことを私的な覚え書きに記し、伝聞であることを明示した。
それは資料そのものではない。
将来、当時の記録を確かめるときの手掛かりに過ぎない。
* * *
夕方、女職人がもう一度訪ねてきた。
古い綴じ糸の見本の中に、工房で預かってはいけない紙片が混ざっていなかったか、不安になったという。
エリゼーと書記は受け取り表を一緒に確かめた。
見本の糸だけが戻ってきている。
職人はほっとして笑った。
「証になるものを、きちんと残しておくんですね」
「残すのは、疑うためだけじゃありません。安心して任せてもらうためでもあります」
エリゼーは紙に受領の署名を入れた。
祈りについての帳面と、川の水の跡。
どちらも、かつて人がそこで暮らしていたことを語っている。
ただし、一つの言葉にまとめれば、失われる部分もある。
彼女は糸を棚へ納め、今度こそ工房の女職人を見送った。
異なる種類の記録は、同じ問いに同じ形では答えません。
生活の実感を、宗教的な記述の単純な訂正として扱わない章です。




