第一部 灰の記憶 24 もう一つの灯び
苦しんでいる人を助けることと、その人の人生を引き受けることは違います。ハインツがそばにいる方法を描きます。
ハインツ・ホリガーのことは、ずっと前から知っていた。
いつ、初めて言葉を交わしたのか。
エリゼーには、すぐに思い出せなかった。
思い出せるのは、いくつもの短い場面だった。
人の多い通りで立ち止まって話したこと。
雨の止むのを軒の下で待ったこと。
ほかの人もいる席で、彼が笑いをこらえきれなかったこと。
そのどれもが、特別な出来事として残されたものではなかった。
エランと暮らしていた頃から知る、教会の外に生活を持つ人だった。
エリゼーが仕事の話をしても、ハインツはすぐ意見を言わなかった。
「それで、君はどう思ったの」
先にそう尋ねる人だった。
* * *
別々に暮らすようになってからのある夕方、エリゼーは通りの端で彼に出会った。
彼女の持つ買い物袋の口が破れ、入れていたものが足元へ散らばったときだった。
彼は道に膝をつき、一緒に拾った。
「どれから持つ?」
「何でもいいわ」
「じゃあ、これは私が。でも君が持ちたいなら、言って」
エリゼーは、思わず顔を上げた。
小さな荷物のことだった。
それなのに、胸の奥が痛んだ。
彼女は半分を受け取り、二人で残りを運んだ。
道の角で別れるとき、ハインツは何も聞かなかった。
気にならないわけではないのだろう。
それでも、話せるまで待つことができる人だった。
* * *
ハインツには、教会とは別の場所で守っている約束がいくつもあった。
エリゼーが何かを尋ねようとすると、彼は話せることだけを説明し、説明できないことを大きく飾らなかった。
ある日、彼女はハインツが途中で帰らなければならないと聞き、胸に寂しさが刺さるのを感じた。
「気にしないで」
そう口にしたあとで、気にしている自分がいた。
彼はその顔を見て、「また会いたいと思っているよ」と言った。
彼女は初めて、誰かを大切にすることが、何もかもを一緒にすることではないと知った気がした。
それから、顔を合わせる機会が少し増えた。
町の噂は早い。
誰かが何も悪意なく、エリゼーの暮らしについて尋ねることもあった。
彼女は微笑んで言葉を濁し、そのあとひどく疲れた。
ハインツと歩くときには、言わなくてよいことは言わずにいられた。
沈黙があるからといって、彼が気を悪くすることはなかった。
ある日、彼女は自分から話した。
「人のためになると思ってしたことが、そうならないことがあるのね」
ハインツは足を止めた。
「あるだろうね」
「それなら、どうすればよかったのかしら」
「私には分からない」
ためらわずに、彼はそう言った。
エリゼーは苦笑した。
「それで慰めているつもり?」
「慰め方を間違えたかもしれない」
彼も笑った。
「でも、知らないことを知っているとは言いたくないんだ」
彼女はその言葉を聞いて、また歩き始めた。
* * *
寒い晩には、彼が温かい飲み物を持ってきてくれることもあった。
しかし、来られない日もあった。
約束の時刻に会えず、彼が別の用事を優先しなければならなかった晩がある。
エリゼーは一瞬、取り残されたような気持ちになった。
自分が最も苦しかった頃、ハインツはよく話を聞いてくれた。
だからといって、いつでもそうしてもらえる権利が生まれたわけではない。
翌日、彼は事情を話して謝った。
「君が困っていると分かっていても、行かなければならない場所があったんだ」
彼女はうなずいた。
「あなたにも暮らしがあるものね」
「そうだよ。そして君にもある」
その答えは、慰めというよりも、二人が同じ地面に立っていることを示す言葉のように聞こえた。
彼女は、少しだけ安心した。
誰かに支えられることは、その人の時間を全部受け取ることではないのだ。
* * *
家の中へ入って良いかどうか、必ず彼女に尋ねた。
「今日は一人でいたい」
そう答えた日には、彼は無理に扉を越えなかった。
「分かった。じゃあ、ここに置くね」
足音が遠ざかる。
エリゼーは荷物を持って、しばらく扉の前に立っていた。
拒んでも、関係がなくなるわけではない。
そのことに自分でも驚いていた。
誰かに必要とされることばかり考えてきた自分が、人の親切をただ受け取るだけなのは難しかった。
礼を言えばよいだけなのに、何か返さなければ落ち着かなかった。
寒さの増した日、ハインツは持ってきた温かな器を彼女に渡したあと、しばらく戸口の石段に立っていた。
「入らないの?」
「君が入っていいと言ってくれれば」
エリゼーは考えた。
人を家に招くのが怖いわけではない。
家の中に残っているエランの思い出を、その人に見せることが怖かったのだ。
「今日は、ここで一緒に飲みましょう」
ハインツは黙ってうなずいた。
戸口に二人で座ると、肩の間を風が通った。
手にした器は温かく、風の冷たさがかえってよく分かった。
何かを隠していると分かっていても、すべてを取り上げようとしない人がいることを、彼女はその日に覚えた。
あるときその話をすると、ハインツは困った顔をした。
「借りを返してほしくて来てるわけじゃないよ」
「でも、あなたにも何か必要なことがあるでしょう」
「あるよ」
「何?」
「私に必要なことを、君が全部決めないでほしい」
言い方があまりに穏やかで、彼女はすぐに返事ができなかった。
ずっと前にも、似たことを聞いた。
そのことを思い出した。
ハインツは、彼女が黙った理由を尋ねなかった。
そこに、別の人との暮らしがまだ息づいていると気づいていたのかどうか。
エリゼーには分からない。
けれども、彼と過ごす時間がいつしか、一日の終わりを怖がらずに迎えるための小さな灯びになっていた。
その灯びが誰かの代わりになるとは、その時はまだ思っていなかった。
ハインツはエランの代わりとして現れたのではありません。エリゼーに問いを返し、相手の選択を待てる独立した人物として描いています。
人の名を作り出すのが苦手で……
ホリガー先生、ごめんなさい。




