第六部「異なる岸の記録」第229章 三人の座る場所
風を避けて話を続けるため、三人は部屋へ移る。
椅子は一つ、寝台も一つ。
どこへ座るかという小さな選択が、互いの距離を見せる。
甲板の風が冷たくなり、マレーナが腕をさすった。
ヘルマンは器へ蓋をした。
「返してから、どこかで続きを話しますか」
ジュリアは頷いた。
マレーナも器を持った。
食堂へ戻すと、オットーは夕食の支度にかかっていた。
三人は礼を言い、卓を使わずに廊下へ出た。
「狭いけれど、僕の部屋でよければ」
ヘルマンが言った。
ジュリアは彼を見た。
今朝そこへ行ったときには、部屋の狭さが二人を近づけた。
今度は三人だった。
「お邪魔しても?」
マレーナが尋ねた。
「ええ」
扉が開くと、ヘルマンは椅子を勧めた。
マレーナが先に足を止め、ジュリアへ目を向ける。
「どうぞ」
ジュリアは言った。
「私は、こちらで」
彼女は寝台の端へ腰を下ろした。
ヘルマンは小卓の脇に立った。
三人が入ると、さっきまでの部屋とは別の形になった。
マレーナは椅子を少し引き、二人の顔が見える向きへ座った。
「窓があると、狭さが違いますね」
「ジュリアの部屋も、隣で同じくらいなんです」
ヘルマンが答えた。
「そうなのですね」
マレーナは二人を交互に見た。
その目の動きだけで、ジュリアは自分たちがどう見えているかを考えた。
隣り合う部屋を使い、互いの部屋を知っている二人。
説明を加える必要はないはずなのに、何かを言いたくなった。
「昨夜は、眠れなくて食堂で会いました」
口にしてから、なぜそれを話したのか自分でも分からなかった。
ヘルマンがこちらを見た。
マレーナは穏やかに頷いた。
「夜は、音が気になりますね」
「ええ。干し林檎を食べて、少し話して」
ヘルマンが続けた。
ジュリアは視線を落とした。
二人だけの時間を自分から話したのに、彼が自然に説明すると、惜しい気持ちになった。
マレーナへ何を知らせたかったのだろう。
「今朝も、話をしに来てくれたんです」
ヘルマンが言った。
その言い方には、嬉しさがあった。
マレーナが彼を見た。
ジュリアは顔を上げた。
「気の合う方が近くにいると、心強いですね」
マレーナが言った。
ヘルマンはすぐには答えなかった。
ジュリアも、はいとは言えなかった。
その短い沈黙を、マレーナは聞いていた。
彼女は手を膝へ重ねた。
「私は、昨日まで知らなかった人に、今日こんなに話しているのが不思議です」
ヘルマンは頷いた。
「僕も、仕事の話をあそこまでしたのは、話しやすかったからだと思います」
ジュリアの胸が小さく痛んだ。
自分の部屋ではなく、彼の部屋にいるのに、今だけ外側にいる気がした。
「私も、話しやすかったです」
マレーナが答えた。
彼女は笑ったが、そのあとでジュリアへ目を向けた。
気を使われたと感じると、余計に表情を整えたくなる。
ジュリアは膝の上で指をほどいた。
「お二人の話、もっと聞きたかったんです」
ジュリアは言った。
「でも、聞いているだけでは、少し寂しくなりました」
ヘルマンの顔が変わった。
「置いていくつもりはなかった」
「分かっています」
分かっているからこそ、言いにくかった。
誰かが悪いわけではない。
それでも、この部屋で彼の目がどちらへ向くかを、気にしている自分がいた。
マレーナが少し椅子の向きを変えた。
「私も、二人で話された時間を聞いたら、少し羨ましくなりました」
ジュリアは彼女を見た。
ヘルマンも顔を向けた。
「今、余計なことを言いましたね」
マレーナは笑いかけたが、笑いきれなかった。
部屋の音が大きくなった。
窓の外では水面が光っている。
ヘルマンは小卓から手を離し、置き場を失ったように指を曲げた。
「僕は、どちらの話も、また聞きたいと思っているんです」
誠実な言葉だった。
しかしジュリアには、それだけでは満たされない気持ちがあると分かってしまった。
マレーナも静かに頷いたが、顔は少し赤かった。
三人は、しばらく別の話をした。
船窓の光や、夕食に何が出るだろうという話だった。
先ほどより丁寧に返事をし、相手の言葉に重ならないよう待った。
その丁寧さが、かえって互いを意識させた。
夕食を知らせる声が聞こえたとき、三人はほとんど同時に立ち上がろうとした。
狭い床で足が止まり、誰が先に出るか譲り合う。
ヘルマンが扉を開け、ジュリアとマレーナが順に通った。
廊下へ出ても、部屋にあった熱はすぐには消えなかった。
三人は、自分の中にある気持ちを少しずつ口にしました。
誰かを選んだわけでも、関係に名前を付けたわけでもありません。
その分、互いを見る目が変わっています。




