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第六部「異なる岸の記録」 228 言葉の手前

そばにいたいとは、もう伝えた。

それでも、聞きたい言葉が残っている。

同じ部屋へ戻った二人は、その輪郭を探す。

昼食を終えて部屋へ戻ると、エリゼーは窓の下の小卓へ手を置いた。

光の位置が、朝とは変わっていた。

ハインツが扉を閉め、寝台へ座る。


「少し、疲れた?」

「朝よりは。でも、食べて落ち着いた」


彼女は頷き、向かいへ腰を下ろした。

同じ部屋に戻ることには、もう少し慣れていた。

それなのに、二人きりになるたび、次に何を話すかを考えてしまう。


ハインツが彼女を見た。

「何か、言いかけた?」

「いいえ」


答えてから、エリゼーは自分の手を見た。

言いたいことがないわけではなかった。

ただ、その言葉を出すと、相手にも同じ大きさの答えを求めることになりそうだった。


「この先も、こんなふうに過ごせるのかしら」


代わりに、曖昧な問いが出た。

ハインツは窓へ目を向けた。


「船の上で?」

「船の上だけではなくて」


彼はしばらく黙った。

エリゼーは、その沈黙を待つのが苦しかった。

朝は、待っていてもよいと思えた。

今は、彼の答えを先に作りたくなる。


「僕は、一緒にいたいと思ってる」


それは朝にも聞いた言葉だった。

嬉しいはずなのに、胸の奥で小さく焦れた。


一緒にいるとは、どんな関係で、いつまでなのか。

その先を彼だけに言わせようとしている自分にも、気づいていた。


「私も、そうよ」


同じところを回っている。

エリゼーは笑いかけ、うまく笑えなかった。



ハインツは、彼女の表情を見ていた。

今の答えでは届かなかったのだと思った。

だが、届かなかったからといって、本心でなかったわけではない。


彼女に、ずっと、と言いたかった。

その言葉が喜ばせるための約束になることが怖かった。


自分の体のことも、これからの旅のことも、何もかも思いどおりにはできない。

しかし、確かでないものを全部除いて話せば、残るのは今この部屋にいることだけだった。


「僕の言い方が、足りないんだろうね」


エリゼーが顔を上げた。

「私も、ちゃんと受け止められていないかも」


彼は左手を開いた。

彼女が手を重ねるのを待つような形になり、すぐ膝へ戻した。

触れれば安心できる。

けれど、触れることで今の話を終えたくはなかった。


「君に、安心してほしい」

彼は言った。

「でも、安心させるために、叶えられるかどうか分からないことを言いたくない」


エリゼーはゆっくり頷いた。

その顔に、理解と寂しさが一緒にあった。


「私が欲しいのは、何も変わらないという約束ではないと思う」

「うん」

「でも、何を言ってほしいのか、自分でも怖くて、うまく言えない」


ハインツは彼女を見た。

互いに相手の口から出るのを待っている言葉がある。

どちらもそれを知らないわけではないのかもしれない。

だが、先に言えば、相手の答えを変えてしまう気がした。



エリゼーは立ち上がり、窓へ向かった。

逃げるつもりではなかったが、彼の目を見たままでは息が詰まりそうだった。

水が光を返している。

朝と同じ海なのに、同じ形は一つもない。


背後で衣服の音がした。

ハインツが立ち上がっていた。

すぐ隣には来ず、少し離れたところで止まった。


「怒ってる?」

「いいえ」

彼女は振り返った。

「焦れているの。あなたにも、自分にも」


ハインツはエリゼーの頭の後ろで小さく息を吐いた。

「僕も」


その答えには、思わず笑ってしまった。

困っているのが自分だけではないと分かると、少し楽になる。

楽になっても、欲しかった言葉が得られたわけではなかった。


エリゼーは彼の左手へ触れた。

今度は、自分から握った。


「今、ここにいてくれることは、嬉しいわ」

「うん」

「そして、それでは足りないことがあって、だから嘘になるわけではないの」


彼は頷き、彼女の手を握り返した。

二人は窓のそばに立った。

口づけはしなかった。

その代わり、言葉が出ない時間を、どちらも急いで終わらせなかった。


やがてハインツが寝台へ戻り、エリゼーも向かいへ座った。

距離は元に戻った。

けれど、二人が同じところでためらっていることだけは、さっきより分かっていた。

触れ合った近さは消えていません。

だからこそ、その先を言葉にできないことが焦れを生みます。

二人は答えを出せないまま、同じ部屋に留まりました。

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