第六部「異なる岸の記録」 226 道を知る人の話
食べる手が止まると、昔の話が少し長くなる。
ヘルマンは知っている道を、マレーナはまだ行っていない先を語る。
二人の話は、同じところで重なりかける。
「人を案内することが多かったんです」
ヘルマンはパンを持ったまま言った。
「どちらへ行けばいいか、どこで曲がるか。そういうことなら、話せた」
マレーナは頷いた。
「それが、お仕事だったのですね」
「ええ」
彼は海へ目をやった。
道の話をすると、今も自然に目の前へ線を引きたくなる。
しかし水面に、覚えている角はなかった。
「案内している間は、相手が僕を見てくれるんです。知らないところへ来れば、不安でしょう。僕が知っていると分かると、皆安心する」
マレーナは匙を器へ置いた。
「頼られるのは、嬉しかった?」
「嬉しかったです」
言い切ると、少し楽になった。
役に立つことの難しさばかり話せば、自分がそれを楽しんでいたことが隠れてしまう。
「でも、道が分かるところへ着くと、相手は僕を見なくなる。仕事が済んだのだから、それはそれでいいんですけど」
彼は笑った。
マレーナは笑わずに聞いていた。
「その先まで、一緒に行きたくなることがありました。必要だからではなくて、話が終わるのが惜しくて」
言ってから、ヘルマンは自分の指を見た。
案内した人の名前や、特別な別れを語ったわけではない。
同じような道の終わりで、何度か感じたことを口にしただけだった。
それでも、自分の弱いところを食事の横へ置いたような気がした。
マレーナは水を飲んだ。
「仕事が終わったら、話も終わるとは限らないのでしょうけどね」
「そうですね。でも、もう用がないと言われる前に、こちらから離れたくなることもある」
彼女は静かに頷いた。
ヘルマンは、すぐに励まされなかったことに安心した。
「あなたは、どちらで下りるんですか」
今度は彼が尋ねた。
「ヴェリオスです」
「僕たちも、そこへ向かっています」
マレーナの顔が明るくなった。
「そうでしたか」
同じ地名が、二人の間へ置かれた。
ヘルマンは急に、そこで彼女とまた話す姿を想像した。
しかし、四人の予定はまだ何も分からない。
「私は、あちらで繕いの仕事を探したいんです」
マレーナが言った。
「布や衣服を直す仕事です。引き受けてもらえるところがあれば」
「もう、行く先が決まっているんですか」
「いいえ。だから、希望と言う方が正しいですね」
彼女は自分の袖口へ目を落とした。
「誰かのついでではなくて、私の名前で頼まれる仕事が欲しいんです。小さなほころびでも、あの人に頼もう、持っていこうと思ってもらえるような」
ヘルマンは彼女の手を見た。
細かいことをする手なのだろうと思ったが、その働く姿をまだ見たことはない。
上手でしょうねと簡単に言う代わりに、彼は尋ねた。
「どんなものを直すのが好きですか」
マレーナは少し考えた。
「直したあとも、前と同じように使ってもらえるものです。直したところを、ずっと気にしなくて済むような」
ヘルマンは頷いた。
案内を終えたあと、相手が道を気にせず歩き出す姿に似ている気がした。
「でも、気づいてもらえないと、少し寂しい?」
彼が言うと、彼女は笑った。
「そう。矛盾していますよね」
二人は同時に笑った。
ヘルマンは、笑い終えたあとも彼女を見ていた。
彼女も目を逸らさなかった。
「ヴェリオスで、もし道を探すことがあれば」
言いかけて、彼は止まった。
「いえ。僕も、まだ知らない街でした」
マレーナは小さく首を傾けた。
「知らない人同士で歩くことも、ありますよ」
その返事に、ヘルマンは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。
彼女が求めたのは、道を知る人であることではなかった。
「それなら、僕にもできるかもしれません」
口にしたあと、彼はジュリアの顔を思い出した。
今朝、自分の部屋で、黙っていても困っているとは限らないと言った顔だった。
思い出した理由を、まだはっきり考えたくなかった。
食べ終えた器には、香草の小さな葉が残っていた。
ヘルマンは蓋を手に取ったが、すぐには閉じなかった。
マレーナも立ち上がろうとはしなかった。
ヘルマンは案内する仕事にあった喜びと寂しさを語りました。
マレーナはヴェリオスで、自分の名で繕いの仕事を受けたいと望んでいます。
道を知らない者同士でも、話は続けられそうでした。




