第六部「異なる岸の記録」 218 揺れのあいだ
夜更けの船室には、木の軋む音がする。
別々の寝台にいても、同じ揺れを受けている。
エリゼーは、暗がりへ小さく声をかける。
眠ろうとすると、揺れが大きく感じられた。
エリゼーは寝台に横になり、壁の灯りを見ていた。
覆いの中の光は動かなくても、影が少しずつ形を変える。
どこかで木が軋んだ。
「起きてる?」
向かいから、すぐに返事があった。
「起きてる」
エリゼーはほっとした。
眠っているところを起こしたくはなかったが、一人だけ目を開けているのも寂しかった。
「船の音を、聞いてしまうの」
「僕も。次にどちらへ揺れるか、待ってるみたいだ」
ハインツの声は、昼より低かった。
彼女は寝返りを打ち、向かいの寝台へ顔を向けた。
彼もこちらを見ていた。
「怖い?」
彼が尋ねた。
「少し。でも、音がするたびに怖いわけではないの」
「うん」
説明しきれない答えを、彼は聞き直さなかった。
エリゼーは上体を起こした。
足を床へ下ろし、揺れが収まるのを待つ。
「そちらへ行ってもいい?」
ハインツが体を少しずらした。
「うん。左へ」
彼女は彼の右腕を避け、寝台の端へ腰を下ろした。
二人で座ると狭い。
肩が触れた。
ハインツは左手を差し出し、彼女の指を包んだ。
「ここなら、話しやすい」
エリゼーが言うと、彼は小さく笑った。
「向かいでも、聞こえてたよ」
「そうね」
聞こえるかどうかの話ではなかった。
エリゼーはそのことを言わず、彼の肩へ自分の肩を寄せた。
今度は偶然触れたのではない。
船がゆっくり傾いた。
彼女は反射的に手へ力を入れた。
ハインツの左手が応じる。
「痛くない?」
「その手は、大丈夫」
エリゼーは息を吐いた。
守られているようで、同時に自分も彼の体の近くにいる。
痛む腕の代わりに何かをしてあげるためではなく、そばにいたくてここへ来たのだった。
ハインツが彼女の顔を見た。
「さっき、甲板でも言えなかったんだけど」
「何?」
「戻ってからも、まだ一緒にいられると思って、嬉しかった」
エリゼーは彼の手へ目を落とした。
自分も同じだったと、すぐに答えられればよかった。
嬉しさに混じる怖さまで、今ここで全部話せる気はしなかった。
「今は、ここにいたいわ」
ハインツは頷いた。
その返事だけで足りると、言葉にせず伝えるようだった。
エリゼーは顔を上げた。
彼の目が近かった。
ハインツは少し身を寄せ、そこで止まった。
彼女は逃げずに、握られていた手を握り返した。
唇が触れた。
ごく短い口づけだった。
離れたあと、彼女は自分の息が浅くなっているのに気づいた。
ハインツも何か言いかけて、やめた。
代わりに額を近づけ、彼女の額へそっと触れた。
木がまた軋んだ。
今度は二人とも、その音へ顔を向けなかった。
「眠れそう?」
しばらくしてハインツが尋ねた。
「まだ、少しだけ」
「ここに?」
「ええ」
彼は頷いた。
エリゼーは肩を預けた。
無理な姿勢にならないよう、彼は背を壁へ寄せた。
二人とも、相手が楽でいられるところを少しずつ探していた。
やがて彼女は、自分の寝台へ戻った。
狭い寝台に二人で眠ろうとして、彼の右腕へ負担をかけたくはなかった。
それでも、離れる前にもう一度手を握った。
「おやすみ」
「おやすみ」
向かい合って横になると、間の暗がりが先ほどとは違った。
エリゼーは目を閉じた。
船はまだ揺れていたが、その揺れの向こうに彼の呼吸が聞こえた。
二人は、今そばにいたいという気持ちを受け取り合いました。
未来を約束する言葉はなくても、触れ合った温かさがあります。
それぞれの寝台で、同じ夜の音を聞いています。




