第五部「交易都市編」第五幕「港、決断、出航前の乗船」 209 四人が揃う
最後に渡る者には、振り返る景色がある。ヘルマンは、案内の仕事を終えると同時に、自分もまた一人の旅人になる瞬間を迎える。
ヘルマンは、三人の背中を見ていた。
順に進むよう案内された道を、ジュリア、エリゼー、ハインツが進んでいく。
誰も、誰かの代わりには歩かない。
荷の持ち方も、歩く間の取り方も違う。
それなのに、四人揃ってここまで来たという実感が、いまさら胸へ迫ってきた。
船から岸に残っている通りを眺めると、かつて四人で宿を探したときの声が、耳の奥で重なった。
「先に決めてしまおう」と言った自分に、ジュリアは「何を」と聞き返した。
その問いは以前なら苛立たしく感じられたが、今では大切だった。
一つずつ尋ねられるたび、自分は知らなかったことを知る。
それで案内役としての価値が失われたわけではない。
船側の係員の声が聞こえた。
先に進んだ三人が、決められた場所で足を止めている。
ヘルマンは後ろを振り返った。
岸壁では、荷を運ぶ人々が相変わらず働いていた。
港へ来るたびに、その仕事の外側に立つ自分を感じた。
旅客として受け入れられた今も、船の上で彼らの代わりに働けるわけではない。
「大丈夫ですか」
クララが尋ねた。
「はい」
そう答えてから、彼は少し考えた。
「大丈夫だというのは、いま歩けるという意味です。この先を全部知っているという意味ではありません」
クララは頷いた。
「それで十分です。分からないことは、必要なときに聞いてください」
彼は一歩ずつ進んだ。
船の揺れを感じたのは、船上に足を置いてからだった。
ごく小さな動きだったが、靴の下の世界が今までと違う。
踏みしめれば動かないはずの地面が、ここにはない。
そのことを、ヘルマンは不思議に感じたが違和感がなかった。
変だということより、変に感じると言えることを、この旅で少し覚えたからだ。
ジュリアが振り向いた。
「最後まで案内してくれると思いました」
「ここから先は、僕が案内される側だよ」
「慣れますか」
「たぶん。慣れたと言えるまで、知らないことは聞いて回るさ」
彼女は満足そうに頷いた。
エリゼーは岸の方を見ていた。
その横顔には、長く旅をしてきた疲れが残っている。
ハインツは袋を持ったまま、少し離れたところで係員の説明を聞いている。
誰も勝利した者の顔をしていない。
何かに打ち勝ったわけではないのだから、それでよいのだと思う。
「四人、揃いましたか」
係員の確認に、ジュリアが一人ずつ目を向けた。
「はい。揃っています」
その返事を聞き、ヘルマンは自分の役割が違ってきたことを知らされた。
道で遅れた者がいれば戻る。
迷った者がいれば選択肢を示す。
いつもそんなふうに数えてきた。
今日はジュリアが数えた。
それがなんとなく寂しいと感じる自分を、思わなくてもよい気がした。
船員が作業のため通り過ぎた。
四人は案内された場所へ寄り、道を空けた。
同じ船上でも、することが違えば立つ位置も異なる。
岸にいたころより近く感じる人がいれば、遠く感じる人もいるだろう。
その違いを、自分が埋め尽くす必要はない。
「船の上にいるんだ」
ハインツが言った。
誰へともなくこぼれた声だった。
「いるね」とヘルマンが答えた。
「動いてないけど」
「動くときは、また知らせてくれるさ」
そう言いかけて、彼は言い直した。
「知らせてもらえるか、確かめておこう」
三人が笑った。
それは長く歩いた道の途中で、彼が何度も言い損ねた言葉への、やさしい返事のようだった。
ヘルマンは船縁から見える街を眺めた。
エストラーヴは、海の上から見ても片側からしか見えない顔のようには佇んでいなかった。
高い屋根も低い屋根も、作業場も祈る場所も、互いにそこにあることを邪魔にせず、自然に並んでいるように見える。
もちろん、本当にそうなのかは分からない。
そこでは争いでり沈黙であり、人々が口々に言えなかったことでもある。
それをそこに置いて旅立てば、ここを褒める言葉も薄くなってしまうだろう。
四人の荷はまだそれぞれのそばにあった。
教会の命令を受けた二人と、同行するハインツとヘルマン。
その四人が同じ船に乗るという事実があっても、仕事の権限も身分も平等に四等分となるものでもない。
ヘルマンは、いま当に一緒にいるからこそ、分かれた役目を尊重したかった。
これからまだ先には確かめることも、船側の指示を待つことも残っている。
ヘルマンはそれを、終わっていない準備として受け入れた。
旅立ちは完了していない。
この船の終着港はノルヴァだが、四人がどこで降りるかは別の話だった。
三つの視察都市の名は一緒に口にできる。
けれど帰り方は、いまだに決めていない。
ヘルマンは、知らないところを知らないと言い合える四人でありたいと思った。
ただ、もう陸の案内役としては、自分の仕事はいったん終わったと感じた。
「これからは、皆が知らないんだね」
彼が言うと、ジュリアが答えた。
「皆が同じことを知らないわけでもありませんよ」
「そうだった」
ヘルマンは笑った。
相変わらず彼女は、便利な一言では四人をまとめさせてくれない。
彼にはそれが、なんとはなく心に収まって行った。
岸を振り返れば、さっきまで立っていた石畳が見える。
遠くへ行ったわけではない。
それでも立つ場所は違う。
ヘルマンは三人の姿をもう一度確かめ、数えることをやめた。
数えなくても、四人は揃っていた。
四人全員がアルシオン号へ乗船しました。到着地点は船上ですが、出航・係留解除は描いていません。ヘルマンが案内役から同じ旅人へと移る節目です。




