第五部「交易都市編」第五幕「港、決断、出航前の乗船」 201 違いを聞く
説明する側に滲み出るプライドは、ときに自分の言葉が届かなかったという事実を相手が認めることから始まる。港の小さな包みをめぐる問いが、働く者の判断を変えていく。
クララ・メイエは、昨日まで使っていた説明の紙を、机の端に伏せた。
同じ文面を何度読んでも、ジュリアの問いに返す言葉は増えなかった。
小型の手回り品は本人が扱うことを基本とする。
しかし必要に応じて預かることもある。
どちらも書かれている。
その間の「必要」が誰の判断によるのか、紙の上の文字は何も語らなかった。
窓の外で、荷車が止まる鈍い音がした。
港はいつも、誰かに考える時間を与えないように動いている。
だからこそ窓口は、急いでよいことと、急いではいけないことを分けなければならない。
クララはそう教わったつもりだった。
「昨日の小さな包みの件ですが」
貨物係長のマルセル・ベネは、彼女が差し出した控えに目を落とした。
「まだ決まっていないのか」
「決まっていません。私の説明では、決まったことのように聞こえたのですが」
彼は筆記具を指の間で回した。
「こっちが心配するのは、大きさだけじゃない。荷の動きと人の行き来が重なることだ」
「では、その理由を旅客本人に伝えてもいいですか」
「伝えなければ、預ける意味も彼らに分からないだろう」
「預かると決まった場合の、受け取る人の確認は」
「それも、実際に受け取るとき確認する」
ジュリアが教会の記録係だということは、クララは本人から必要な範囲で聞いていた。
けれど、この小さな包みの説明をする場で、教会の任務の中身を尋ねる理由はない。
誰が何を知る必要があるのかは、その仕事ごとに異なるのだった。
クララは机の横に積まれた旧い控えを眺めた。
一度も苦情がなかった説明であっても、それが分かりやすかった証拠にはならない。
質問をする余裕のない旅客が、黙ったまま通り過ぎたのかもしれない。
その想像は、失敗した時の自分を慰めるためのものに、なってはいない。
答えを求める人の顔をまだ一人も知らないからこそ、答えを必要する人々との対話の場面を想像していた。
クララは息を吸った。
自分が聞くべきだったのは、最初からこの順番だったのだ。
預けるかどうか。
預けるなら誰が受け取るか。
受け取った事実を、本人はどう確かめられるか。
港で働く者には各々別々の当り前があり、そのはざまに旅客が立っていた。
ジュリアが再び窓口を訪れたとき、クララは余白に書き込んだ三つの問いを、まず読み上げた。
「昨日、私が話した言い方では、この違いがはっきりと伝わりませんでした。申し訳ありません」
謝ることで、肩から何かが落ちて行き、楽になると思っていた。
実際には、背中が少し熱くなった。
後ろに並ぶ人にも少しは聞こえただろう。
この受付は、仕事を知らないと思われるかもしれない。
「私が知りたかったのは、それです」
ジュリアはそう答えたが、笑顔にはならなかった。
「預けること自体を嫌がっていると思われたのではないかと、私も気にしていました」
「そう聞こえたところもありました。でも、そう思い込んで。決めつけていたのは私です」
二人とも、自分が相手を見誤った部分を少しずつ認めた。
クララは確かめた内容をもう一度説明した。
包みを手元に置ける場合と、船側に預ける必要が生じる場合がある。
判断には荷の性質と船の作業が関わることであり、今決まらない。
実際に預けるときは、どの荷を誰が受け取ったか本人と確認する。
そして分からないことは、その場であらためて問える。
「まだ受入れが決まっていない方にも、この説明は必要ですね」
クララが言うと、ジュリアは頷いた。
「それに、寄港地ごとに事情が同じとは限りませんね」
「はい。ヴェリオスでも、タルマでも、ロスカでも、実際の取扱いは、その港で確かめる必要があります」
クララはそこで言葉を切った。
ノルヴァが船の計画終着港であることまで説明できても、旅客の誰がどこで降りるかを彼女が決められるわけではない。
「ですから、分かっていることと、まだ決められないことを別にお伝えします」
「あとから初めて聞くより、選ぶ前に知りたいです」
ハインツは自分の袋を持ったまま、口を挟まなかった。
エリゼーは包みを膝に置いていたが
いま中身を見せるつもりはないらしかった。
ヘルマンはほかの待ち客の視線を気にして、一歩横へずれた。
その小さな動きにクララは気づいた。
話す者にも、待つ者にも、それぞれ違う時間が流れている。
「説明を書き換えます」
クララは言った。
「次の方にも、同じところで迷っていただきたくありませんから」
「変えるのは、私が聞いたからですか」
ジュリアの問いは、クララを少し困らせた。
「あなたが聞いたことで気づいたんです。でも、変える本当の理由は、そのままでは困る人がほかにも出るからです」
その答えを、ジュリアは書き留めなかった。
覚えておきたい言葉には、紙に移すことでかえって薄くなるものもある。
クララには、彼女が小さな包みを持ち直した指先だけが見えた。
昨日より安心したのかは分からない。
それでも、その荷の重要さを誰が決めるかについて、二人は同じテーブルについた気がした。
夕方、クララは古い説明紙を捨てなかった。
何が足りなかったかを残すため、日付のない控えの隅に短く記した。
正しいことを言ったつもりだった。
しかし、クララの本意が伝わったかは確かめていなかった。
その一行を読むたびに、これからまだ少し考える事になるだろう。
それを仕事の損失だとは、もう思わなかった。
前章の手荷物確認を受け、旅客係クララとジュリアの双方が、説明すること・理解したと認めることの違いを引き受けました。




