第五部「交易都市編」第五幕「港、決断、出航前の乗船」 199 預けるか、持つか
一つ一つの包みには、手放したくないものがある。
エリゼーの荷の中で、最も軽い包みは紙の束だった。
紙は濡れれば傷む。
折り目が深くなれば読みにくくなる。
けれど、自分から離したくない理由はそれだけではなかった。
旅客の荷には持ち歩けるものと、航海中は管理方法を相談すべきものがあると説明された。
船の仕事に合わせて預けなければならない場合もあるという。
ただし、何をどう扱うかは、船が持ち込む荷を確認してから決める。
その言葉を聞きながら、エリゼーは包みの角を親指で押さえた。
彼女のこれまでの記録の中には
人の名前と、話す時に選んだ言葉がある。
今持っているものに、非公開の証言そのものを入れているわけではない。
それでも、紙の扱いに慎重にならずにはいられなかった。
記録を守るときの癖によって、自分にとってどこまで仕事で、どこからが不安として引っかかっている部分なのかが、時々分からなくなる。
「全部持っていられるとは限らないんだね」とハインツが言った。
「そうね」
エリゼーは答えた。
「でも、全部預けなければならないとも言われていない」
「君が聞きたいのは、その間にあることなのか」
「たぶん」
彼女は少し考えた。
自分の問いを他人に問い直されて、外側から初めて形が分かることもある。
クララは、荷の性質によって取り扱いが異なると説明した。
ジュリアはその言葉を書き留めた。
ヘルマンは四人の荷を一つの山にまとめるべきか尋ねかけ、途中で止めた。
「先に各自で考えたほうがいいね」
「それがいいと思う」とジュリアは言った。
ハインツは自分の袋を指した。
「私は持つものを減らせる。そうしたいかどうかは、考えるけど」
エリゼーは、その何気ない言葉に引っかかった。
減らせることと、減らしたいこと。
彼女は長く、誰かの荷を見て重そうだと思えば、軽くすることを善意だと考えていた。
しかしその人が持つことを選んだ事には、他人に見えない理由がある。
エランとの暮らしの中でも、彼女は相手のためと言いながら、自分の納得する形へ整えようとしていた。
思い出すと、今も胸の奥が固くなる。
「何を預けるのか、今、決める必要がありますか」
エリゼーが問うと、クララは首を横に振った。
「今は手順の説明です。受入れが確定してから確認する部分もあります。ただ、心配な事があるのなら、先に種類を教えてください」
エリゼーは紙の包みを見た。
内容を話す必要はない。
必要なのは、濡らしたくない紙があること、手元から離れる場合にどういう扱いになるかを知りたいことだ。
「書類を入れた小さな包みがあります。扱いを決める前に、受渡しの方法を知りたいんです」
クララはそのまま書き留めた。
何の書類かとは尋ねなかった。
「分かりました。具体的な方法は、貨物側とも確認します」
それは回答ではなく、問いを引き受けたという返事だった。
旅舎へ戻ってから、エリゼーは包みを開いた。
一枚ずつ読んだわけではない。
自分で持っていくものと、他人に任せられるものとの境目を考えただけだった。
本当に怖いのは紙を失うことではないのかもしれない。
預けた後で何かが起きたとき、自分が「任せた」という言い逃れで責任を逃れようとすること。
あるいは任せた相手が、知らずに責められること。
ジュリアからは、先に知りたいことを紙へ書いたほうがよいと勧められた。
エリゼーはその助言を聞きながら、ジュリアが代わりに書こうとは言わないことに気づいた。
「何を聞くのか、あなたが決めてください」と彼女は言った。
二人は同じ仕事をしながら、仕事の意味を違うところに置くことがある。
だからこそ助言にも余白が生まれるのかもしれない。
エリゼーは紙を一枚取り、包みの大きさ、濡らしたくないこと、受渡しの記録が必要なことを箇条書きにした。
それ以上のことは書かなかった。
隠すためというより、今ここで伝えるべきことを見失わないためだった。
自分にとって大切なものが、他人にとっても同じ意味を持つと思ってはならない。
そのことを、少しずつ覚えていきたかった。
夜になる前、彼女は包みを再び結び直した。
結び目を固くしすぎないようにした。
明日、ほどくかもしれないからだ。
今日、手放さなかったことは、明日も手放さないということではない。
エリゼーはその決まらないことを、久しぶりに不誠実だと思わずにいられた。




