第五部「交易都市編」第五幕「港、決断、出航前の乗船」 198 旅客の立つ場所
船にも、入れない場所がある。
ジュリアは岸壁の境目を、初め汚れだと思った。
荷を積むために人が行き交う道
見ている者が待つ場所
その間には低い荷がいくつか置かれているだけだった。
人の動きは明らかに違った。
荷を運ぶ者は互いを見て合図し、見ている者はその合図の意味を知らない。
クララは四人を、作業を妨げない位置へ案内した。
「ここから先へ進む場合は、船側の指示を待ってください」
「船に乗ることが決まっても、同じですか」
ジュリアが聞くと、クララは頷いた。
「貨物を動かす場所と旅客の行ける場所には区別があります。
詳しい案内は受入れが決まってからになります」
決まってから。
その言い方に、ジュリアは妙な安心を覚えた。
条件を聞いて終まうことが、すべてを知らされたことに繋がらない。
分からなければその都度問い、答えがなければ勝手に進めてはならない。
安全のための制限は、口を閉ざすことに繋がらない。
貨物の脇を、二人の運び手が長い木箱を運んでいった。
先頭の男が短く声を上げ、後ろの男が足の置き方を変えた。
その声の意味はジュリアには分からなかった。
もし今、手を出せばかえって危ないかもしれない。
誰かの仕事を尊重することは、善意を差し出すことと違うのだ。
「立ち入ってはいけない場所は、私たちにはどのように分かるのでしょう」
「案内するときに都度説明します。迷ったら声を掛けてください」
「説明を聞き損ねたら?」
「もう一度聞いてください」
クララの返答はあっさりしていた。
ジュリアは思わず笑った。
同じ問いを重ねる自分が、疑い深い客に見えるのではないかと考えていたからだ。
エリゼーは船の方を見上げていた。
「部屋にも、入ってはいけない場所があります」と彼女が言った。
「理由が分からないまま止められると、人は自分が拒まれたと思ってしまうものです。だから私は、何のための境界かを説明するようにしています」
「いつも?」とジュリアが尋ねた。
「いつもできていたとは言えませんが、心がけています」
エリゼーは目を逸らさなかった。
その一言に、仕事を重ねた人だけが持つ自負があった。
ジュリアは、証言回廊で見た扉を思い出した。
あの扉の向こうには、誰にでも見せてはいけない事を記録したものがあった。
ここで守られているのは、荷を運ぶ人の足元や、船の仕事の流れだ。
簡単に入れない場所があるからこそ、誰かがその事によって守られている。
「でも、境界を決めた人の都合であるなら、その理由は聞きたいです」
ジュリアが言うと、クララは少し考えてから答えた。
「それでいいと思います。私も、説明できない境界なら、その理由を確かめなければなりません」
「あなたの仕事が増えてしまいますね」
「でも、説明しないまま事故が起きれば、もっと取り返しがつかない」
待っているあいだ、ジュリアは何度か、自分がそこに立つ資格を試されているように感じた。
他人の仕事の流れを理解できず、注意されなければ危険な場所へ入ってしまうかもしれない。
そんな自分を認めるには時間がかかった。
それにしても、知識がないことと意見を持てないことは違う。
知らないからこそ確かめたくなる。
確かめたうえで、理由の通る制約なら従う。
理由が説明されないなら、さらに問いかける。
その順序は、彼女が記録室で無名の人の言葉を扱うとき守ろうとした順序に似ていた。
船の中をまだ一歩も歩いていないのに、彼女は自分の仕事へ少し帰ってきた気がした。
船を離れる前、ジュリアは自分のつま先を見た。
先ほどまでは、境界の手前で止まる自分が押し戻されているように感じていた。
今は少し違った。
自ら止まることで一旦確かめられることがある。
確かめたあと、まだ納得できなければ問いかければよい。
旅客の立つ場所は、船側が決めた線の内側ではない。
貨物の動線上の区画と旅客の安全上の区分を扱いました。




