第五部「交易都市編」第五幕「港、決断、出航前の乗船」 195 貨物が先にある
船には、客を迎えるより前にするべき仕事があった。
岸壁の積荷は、遠くから見るより種類が多かった。
木箱、布包み、長い板材、口を結んだ袋。
同じ列に並んでいても、持ち主も行き先も違うのだろう。
ハインツは貨物の脇を歩きながら、ひとつの船にこれだけの約束が載るのだと思った。
クララからの説明はまだ頭の中で整っていない。
貨物が第一で、旅客は限られた条件のもとに受け入れる。
それは知識としては理解できる。
だが実際に、荷を数えるために人が通路を塞ぎ、旅客の話が途中で止まると、胸の内に小さな苛立ちが生まれた。
自分たちにも予定がある。
これまで街で使ってきた日々は、何もしていない時間ではなかった。
その思いを口にしかけて、彼は止めた。
「何か?」
エリゼーが尋ねた。
「なにか、こちらの都合だけで見ていた気がする」
「今、断られた?」
「いや。断られてはいない」
「なら、言い直せるわね」
彼女の言い方は慰めではなかった。
言い直す権利がまだある、と示すものだった。
少し離れたところで、貨物係長のマルセル・ベネが荷札を確かめていた。
彼は紙にある数を読み、運び手の返事を聞くと、自分で一か所を見直した。
作業の邪魔にならない位置で待っていると、マルセルは顔を上げた。
「旅客の方ですね。話は聞いています」
「荷を置く場所のことを知りたいんです」
「順を追って説明します。ただ、まず貨物の仕事があります」
ハインツの胸の奥で、先ほどの苛立ちがもう一度身じろぎした。
なぜここまで待たせるのか、と言うのは簡単だった。
けれどマルセルの手元には、届けるべきものと、受け取るはずの人々の重さが積まれている。
自分の旅だけを特別扱いしてほしいのではない。
それなら、何を求めているのか。
彼は急いで言葉にせず、相手の仕事の区切りを待った。
マルセルが戻る。
ハインツは「貨物が先にあることは分かりました」と切り出した。
「でも、旅客に何が許されて、何が許されないのかは、私たちにも分かるようにしてほしいです」
「それは当然ですね」
マルセルの返事には、思いがけない強さがあった。
「貨物を優先するからといって、旅客に説明しなくてよいわけではありません。そしてこちらにも、守らねばならない仕事があります」
ハインツはその顔を見た。
彼と同じくらいの歳に見える男の目は疲れていたが、曖昧な謝罪で話を終わらせようとはしなかった。
「貨物の運び入れと旅客の動きは分けます。細かな案内は旅客係から受けてください。現場で分からないことがあれば、勝手に踏み込まず声を掛ける。それだけは覚えていてください」
「分かりました」
そう答えてから、ハインツは自分の右腕を軽く曲げた。
荷を全部自分で持ちたいと思うのは、見栄も混じった気持ちだ。
けれど人に任せることは、自分ができることまでなくなるという意味ではない。
その区別を、今まで何度も考えてきた。
船でも、また考えることになるのだろう。
荷役の列が動き出すと、マルセルはもうハインツのほうを見ていなかった。
言い足りないことがあったのか、単に仕事へ戻ったのかは分からない。
ハインツはその背中へ、もう一度礼を言うべきだったかと考えた。
結局言わなかった。
相手は今、別の人と声を交わしている。
自分の感謝を必ず受け取ってもらいたいと思うのも、ひょっとすると一種の押しつけだ。
代わりに、次に会うときは教わった境目を守ろうと決めた。
足を止めて確認することは、弱気な旅行者のしるしではない。
働く人への敬意としてできる行動でもある。
彼は右腕の痛みが増していないことを確かめ、荷を肩に掛け直さず、そのまま歩き始めた。
戻る道すがら、ヘルマンが「説明は分かった?」と聞いた。
「半分くらい」
ハインツは答えた。
「分かったところは、荷を運ぶ人にも仕事があるってこと。まだ分からないのは、自分の荷をどうするかだ」
ジュリアが控えを開き、該当する欄に小さな印を付けた。
エリゼーは何も書かなかった。
三人が彼の代わりに答えを完成させないことを、ハインツはありがたいと思った。
積荷の列の向こうで、帆桁の影が水面を横切った。
貨物が先にある船で、自分たちは何を頼み、何を引き受けられるのか。
それを聞くために、ここまで来たのだ。
船が不親切だから不自由なのではない。
違う仕事と違う希望が、同じ場所を使おうとすれば、必ず問いが生まれる。
ハインツはその問いを、文句にする前に確かめようと思った。
アルシオン号の主業務を貨物輸送として扱っています。旅客の都合で現場の優先順位は変りませんが、説明責任も同時に起きています。




