五部「交易都市編」第四幕「四人の距離とそれぞれの選択 180 二人で歩く
隣を歩く人と、同じ速さになる必要はない。歩幅の違いを、言葉のない答えにしないために。
夕方のエストラーヴは、朝よりも道が広く見えた。
店じまいの布が畳まれ、人々の荷が少なくなると、昼には隠れていた石畳の色が現れる。
エリゼーとハインツは、特別な用事もなく石楔旅舎を出た。
歩きたいと言ったのはエリゼーだったが、どこへ行くかは決めていなかった。
ハインツは右腕を体の横に下ろし、ときどき袖を直した。
その仕草をエリゼーが見ていることに、彼は気づいていた。
見られていると分かっていて、今日は何も言わない。
彼女も尋ねなかった。
以前より二人が賢くなったというより、同じことを何度も言うのに少し疲れたのかもしれない。
狭い通りで荷車が向こうから来た。
二人は壁沿いへ寄ったが、ハインツは立ち止まるタイミングが一歩遅く、エリゼーの肩へ触れそうになった。
「すまない」
「いいの」
それだけで終わるはずの小さなことが、二人には時々難しかった。
「この前、休むと言ってくれたでしょう」とエリゼーが口を開いた。
「言ったね」
「私は嬉しかった。だけど、あなたにはそれも重かった」
「重かったというより、俺の疲れが君にとって意味のある出来事になるのが嫌だった」
「意味があるわ。あなたが自分で言ったことだから」
「それが、もう意味をつけている」
ハインツは苦笑した。
彼女は少しむっとした。
二人は橋の手前で立ち止まった。
水路を行く小舟の音が下から響く。
ヘルマンの故郷で直した水路とは違う幅、違う仕事、違う匂い。
エリゼーは、前の旅で彼の右腕が痛んだことを思い出し、言葉にしなかった。
今の彼を、ずっと昔の痛みの続きとしてだけ見たくなかったからだ。
「私はあなたを分かっているつもりだった」と言った。
「全部?」
「全部とは思っていなかった。でも、私が分かっていないところは、いつか話してくれると思っていた」
「話したくないところもある」
「ええ」
答えながらエリゼーは胸が痛んだ。
隠し事をされたことより、話さなくてよい場所が彼の中にあると知ることの方が怖かった。
自分の居場所を探してしまうからだ。
ハインツは手すりに左手を置いた。
「俺も、君が何かを言わないでいると、勝手に理由を考えるよ」
「たとえば?」
「俺に気を遣っている。嫌われたくない。あるいは、もう話す価値がないと思われている」
「そんなふうには思っていない」
「知ってる。いや、知ってると言いきれない。だから困る」
二人は下を向いた。
水に映った建物が、人の通るたびに揺れている。
「エランのことを思い出したの」とエリゼーは言った。
ハインツは手すりから手を離さなかった。
「話してくれる?」
「全部は話せない」
「うん」
その返事を聞いて、エリゼーは初めて肩の力が抜けた。
全部話せないことを先に言えばよかったのかもしれない。
以前の自分には、それが不誠実に思えただろう。
「私は昔、相手に説明しすぎた」と彼女は続けた。
「分かってほしかったから。でも、分かってもらうために言葉を増やすうち、相手の返事が入る場所をなくした」
ハインツは何も言わなかった。
彼の沈黙が怖くなり、彼女は続けそうになった。
そこで止める。
今の沈黙に、昔の相手の沈黙を重ねたくなかった。
「いま、何を考えている?」と尋ねた。
「俺が答えるまで待てる?」
少し意地悪な返しだった。
エリゼーは頷いた。
ふたりは水路を渡る人たちを見ていた。
遠くで鐘が鳴る。
同じ音を聞いているのに、どちらの胸へも同じ形には届かない。
「君の昔のことを、俺が何とかできるとは思わない」とハインツは言った。
「分かっている」
「でも、今の俺のことを君が何とかしなきゃならないとも思わないでほしい」
「そうね」
「助けてほしいときは、言う。その約束ならできる」
エリゼーは彼の横顔を見た。
できると言ったことを、必ずできるとは限らない。
そこを責めずにいられるかどうかが、自分には難しいのだ。
「私は、言ってもらえなかったときに傷つくかもしれない」と答えた。
「それは、仕方ないね」
彼があまりに簡単に言うので、エリゼーは笑った。
「冷たい人」
「そうかもしれない」
「でも、私が傷つくことまであなたの責任にしないようにする」
「俺も、君の心配を全部支配だと受け取らないようにする」
二人はもう一度笑った。
そこに解決の響きはなかった。
帰り道、ハインツは少し歩みを速めた。
エリゼーは追いつこうとして、あえて自分の歩幅に戻した。
彼は数歩先で振り返り、待った。
「先に行ってもいいのよ」と彼女が言った。
「今日は一緒に帰りたい」
その言葉を聞いて、エリゼーは返事を急がなかった。
自分が望む答えをもらったからではなく、彼が望むことを言ったのだと受け取りたかった。
旅舎の灯りが見えたとき、二人はまた並んでいた。
歩幅は完全には揃わない。
エリゼーは差し出された手を探さず、ハインツも右腕を隠しはしなかった。
声をかければ相手が答えるとは限らない。
それでも、今夜は声をかけられる距離で歩いていた。
エリゼーとハインツの関係を、和解や完全な理解で閉じません。過去は戻らず、右腕も急に治癒しません。対話を続けたいという現在の意思を残して第180章を終えます。




