五部「交易都市編」第四幕「四人の距離とそれぞれの選択 172 右腕の距離
傷は治りつつあっても、誰かの手が近づく瞬間に、昔の痛みが戻ることがある。
石楔旅舎の階下に、小さな荷が幾つか届いていた。
旅の道具を修繕に出すため、まとめておいたもので、誰か一人の持ち物ではない。
麻布の包みは見た目より重く、ひもを結んだ箇所だけが固く盛り上がっている。
ハインツは一つを持ち上げ、その重みが右肩へ移る前に抱え直した。
「それ、こちらへ」
後ろからエリゼーの声がした。
伸びてきた手は、まだ包みに触れていない。
「持てるよ」
「そういう意味じゃないの」
彼女は少し笑って言ったが、その笑みがハインツには腹立たしかった。
持てるかどうかを問われていないのなら、何を問われたのだろう。
疲れているか、痛いか、見ていて不安か。
どれも彼の右腕より先に彼女の心配を語っている。
彼は包みを床へ置いた。
置く音が思ったより大きく、シメオンが帳場から顔を上げた。
帳場には、昨夜返した部屋の鍵と、誰かが忘れていった小さな針入れが並んでいた。
ひとは皆、自分の手で扱えるものを扱い、扱えないものは誰かに渡す。
宿の主人ならそんなことを毎日しているだろう。
ハインツにとってだけ、それが屈辱になりかけている理由を、彼はうまく言えなかった。
「壊れものではありませんよ」とハインツは言った。
宿の主人に答えながら、答えるべき相手が別にいるのを知っていた。
「私が悪かった?」
エリゼーは問いかけた。
「悪いかどうかの話じゃない」
「じゃあ、どう言えばいいの」
その言葉に、彼はすぐ返せなかった。
正しい聞き方を教えれば、その通りにされるのがさらに嫌だと思う。
自分の都合で相手を失敗させたいのかもしれなかった。
右腕には、村の水路で力を使った日や、雨の街道で手綱を握ったときの感覚がまだ残る。
今、同じ痛みが走ったわけではない。
しかし痛まない瞬間が続いたからといって、痛まない人へ戻ったわけでもなかった。
彼の体は、心配した人へ報告するためだけにあるのではない。
「今日は、この包みは俺が運ぶ」
「ええ」
「ただ、運べなければ頼む」
「そうね」
エリゼーの返事は早かった。
彼はかえって居場所を失ったようになった。
もっと言い返されると思っていた。
拒まれた親切を、親切として認めてもらうための争いが始まると身構えていたのだ。
荷を持って歩き出すと、包みが腰へ当たり、ひもの端が指に食い込んだ。
大丈夫か、と自分に問う。
痛みを隠して意地を通しているのか。
それとも何の問題もない動作へ、相手の視線が意味を足しているだけなのか。
答えは一つではなかった。
石段の前で彼は立ち止まった。
エリゼーも一歩離れて止まり、包みに手を出さない。
その距離が礼儀正しく見えすぎて、彼は息を吐いた。
「そんなに遠くにいなくていい」
「近くにいると、手を出したくなる」
「じゃあ、手を出したくなったら言ってくれ。俺が答える」
「何を?」
「手を出していいかどうか」
言った瞬間、ひどく不器用な約束だと思った。
けれど、不器用さ以外に二人が持ち寄れるものはなかった。
エリゼーが頷いたので、彼は包みを抱え直した。
修繕を頼む店では、店の者が荷を受け取り、ひもをほどいて中身を確かめた。
ハインツは見守りながら、右腕をそっと伸ばした。
目の前の相手に作業を任せることには抵抗がなかった。
それがエリゼーの手になると、どうしてこんなに難しいのだろう。
愛されているから、と答えれば済むのか。
愛されることの中に、判断される怖さが混じることもある。
帰り道、エリゼーはしばらく歩いてから言った。
「私は、あなたが痛むのを見たくないの」
「知ってる」
「だから、その前に動いてしまう」
「俺も、痛むところを見せたくない。君が悲しむ顔まで、先に想像するから」
彼女の靴音が一つ遅れた。
二人が出会って間もない頃、ハインツはエリゼーの早足についていこうとしていた。
今は違う。
歩調を合わせようとするたび、どちらが遅れているのかを数え始めてしまう。
そんな勘定をしている自分が嫌だった。
ハインツは振り返らなかったが、歩調を緩めた。
「私の顔のために、腕を使わなくていいのよ」とエリゼーが言った。
彼は笑いかけ、やめた。
「君も、俺が大丈夫な顔をするために、心配を消さなくていい」
二人の言葉は、どちらも相手を自由にしようとして、相手へ新しい注文をしていた。
それを指摘するほど賢くなくてよかった、とハインツは思う。
旅舎の前まで戻ったとき、エリゼーが立ち止まった。
「明日も、必要なら一緒に行くわ」
「明日の俺が決める」
「ええ」
今度の返事には、少しだけ不満が残っていた。
彼はその不満を許されたように感じた。
ハインツの右腕は回復途上にあり、万能にも無力にも描きません。世話をする側とされる側の距離を、正しい台詞一つで解決しない章です。




