第五部「交易都市編」第3幕 161 見せない文書
閉じられた文書には、閉じられる理由がある。
そう考えてみても、知りたいという気持ちは簡単には静まらなかった。
石楔旅舎の朝食の席で、ジュリアは昨夜から何度も書き直した質問の紙をを畳んだ。
「今日は、私だけで行こうと思います」
エリゼーは杯を置いたが、どこへ、と尋ねなかった。
前の夕方、ジュリアが記録について聞きたい相手がいると告げたことは覚えていた。
「帰ってから、話せるところだけ話します」
言い訳のように付け加えると
エリゼーは「話さなくてもいいのよ」と答えた。
その言葉を親切として受け取るには、ジュリアはまだ少し若かった。
信頼を向けられると、なぜか試されている気分になる。
この都市にもある証言回廊の保管室は、市場の喧噪から石段を二つ折れた場所にあった。
入口には閲覧できる文書の種類と、申請できる者の区分が短く掲げられている。
ジュリアはその掲示を読み、文字の整然とした並びに、書き手の姿がどこにもないことを不思議に思った。
受付にいたソフィア・ラーデは、すぐには顔を上げなかった。
控えの帳面へ何かを記してから、訪問者に椅子を勧める。
「探している文書の題を、お分かりになりますか」
「題が分からないので、来ました。証言がどんな扱いで残されるのかを知りたいのです」
ソフィアはジュリアの手帳を見た。
「調べる仕事をなさっている?」
「記録を取っています。でも、ここでは私も、外から来た者です」
「その二つは、両立しますね」
さりげない返答なのに、ジュリアは喉が詰まった。
自分で名乗った職業を、ここへ入るための資格として差し出しかけていたことに気づいたからだった。
ソフィアは一般に案内できる閲覧手続きについて話した。
公開される資料と、利用目的を示して申請する資料、本人や関係者の同意がなければ扱えない資料では、受付でできる説明の範囲も違うという。
「保管されているなら、いつかは読む人がいるんですね」
ジュリアが言うと、ソフィアは首をかしげた。
「ある、ということと、誰かに見せる、ということは別です。ここへ預けるとき、そうしてほしくないと願った人もいるでしょう」
「でも、記録は後の人に伝えるために残すのでは」
「伝えないために残す場合も、ないとは言えません。少なくとも、受付の私が一つに決められる理由ではありません」
ジュリアは手帳を開こうとして止めた。
受付の片隅には、返却されたらしい空の封筒が数枚積まれていた。
綴じ目の糊が剥がれ、角が少し傷んでいる。
そのありふれた傷みを見て、ジュリアは勝手にそこへ秘密の重さを読み取ろうとした。
封筒に何が入っていたかさえ、知るはずがない。
「封が切られていたら、中身が読まれたと考えるべきでしょうか」と、思わず尋ねた。
ソフィアは封筒に目を向けず、「それだけでは分かりません。書類の整理で開けることも、空で戻ってくることもあるでしょう」と答えた。
何を見ても意味を与えたがる自分が、少し恥ずかしかった。
記録を守る制度への不信と、解きたい謎への期待が、いつからこれほど近い場所へ座ったのだろう。
ソフィアの声を書き留めることに、急にためらいが生まれた。
「今のお話を記録してもいいですか」
「手続きについては構いません。けれど、私が誰かの事情を代弁したことにはしないでください」
受付の後ろには、番号を付けた引き出しが並んでいた。
閉じた扉に耳を寄せても、中の言葉は聞こえない。
なのにジュリアは、その沈黙へ勝手に内容を与えかけていた。
「見せないのは、隠しているからだ、と読む人もいるでしょうね」
「そう読むことを、私には止められません」とソフィアは言った。
「ただ、そう書いた人が確かめたことになるとは限りません」
ジュリアは、質問の紙に引いた一本の線を親指で押さえた。
線は、知りたいことを消したのではない。
問いの持ち主が誰なのかを、もう一度自分へ返してくるようだった。
帰り際、ソフィアは申請の控えが必要なら公開の案内を渡せると申し出た。
ジュリアは受け取り、閉じた引き出しには目を向けずに礼を言った。
石段を下りると、市場の掛け声が戻ってきた。
ジュリアは胸の奥に残った不満を追い払わなかった。
知りたいのに読めない。
その不満があるからこそ、今日、自分が読まなかったものを正確に覚えていられる気がした。
旅舎へ戻る道で手帳を開き、最初にこう書いた。
「説明を受けた。証言の中身は見ていない」
一行を書いたあとで、ジュリアはようやく、朝から息を浅くしていたことに気づいた。
知らなかった内容を知ったことにはできません。
ジュリアは資料の外側にある手続きを学び、知りたい気持ちと閲覧する権利とが同じではないと受け止め始めます。




