第五部「交易都市編」 第二幕 働く人々と責任の行方 157 働けない午後
休むという言葉を自分で選んだはずなのに、落ち着かない午後がある。
ハインツは、動かない手より先に、働いていない自分を責め始める。
午後の石楔旅舎は、外の通りより静かだった。
シメオンが食堂の卓を一つずつ拭いている。
宿の客は出払い、ハインツだけが窓際に座っていた。
右腕に強い痛みはなかったが、朝から何度か物を持ったせいか、動かすと違和感がある。彼は紙に記した用事を眺め、まだ終えていない項目へ指を滑らせた。
どれも今日でなければならないわけではない。
そのことが、かえって悔しかった。
「少し歩いてきたらどうですか」とシメオンが言った。
「外へ出たら、また何かしたくなりそうで」
宿の主人は笑った。
「ここにいても、何かしたくなるでしょう」
ハインツは苦笑いした。
働かない時間をどう過ごすか、彼は考えたことがなかった。
仕事を終えれば休むものだと思っていた。
ところが今は、終えた仕事がないまま休む。
自分の身体と約束しただけなのに、人との約束を破ったような気持ちになる。
シメオンは卓を拭き終え
「何もしていない客がいてくれたほうが、宿は落ち着くこともあります」と言った。
「慰めていますか」
「少しは。でも、ほんとうでもある」
その正直さがありがたかった。
食堂の隅には、港から帰ったらしい男が座っていた。
服に塩の白い跡がつき、椀を前にしたまま眠りそうになっている。
ハインツはその姿を見て、自分がいかに立派に休めないかを自嘲したくなった。
あの人は重い仕事をしたから休んでよい。
自分は何もしていないのだから、休むことに値しない。
そんな理屈を頭の中で作ってしまう。
「それを誰に認めてもらいたいんだろう」と小声で言うと、シメオンが顔を上げた。
「何か?」
「いいえ。自分へ聞いていたんです」
「答えが出たら、聞かせてください。私も、店を閉めると悪いことをした気になる日があるので」
ハインツは驚いた。
宿の主人はいつも動いている。
休めない気持ちとは、動けない者だけの問題ではないのかもしれない。
「あなたは、休みたいときに店を閉めますか」
「閉めたい日と、閉められる日は違います。でも、違うから考えるのをやめたら、ずっと閉められなくなります」
シメオンは布巾を畳んだ。
その手つきは慎重で、何かを先送りするためではなく、今日の仕事をきちんと終わらせるためのものに見えた。
ハインツは窓の外を見た。
夕方の光が細くなり、通りの向こうで働き終えた人々が帰り始めている。
自分もその一人であっていいのか、まだ分からない。
それでも立ち上がって何かを証明しようとするのはやめた。
エリゼーが外で見てきた話を始めると、ハインツは途中で「それは面白そうだ」と言った。
彼女はためらい、「今度一緒に行く?」と聞いた。
早く元気になってという意味に聞こえるのではと不安になったが、言葉を取り消さなかった。
「行ける日にね」とハインツが答えた。
二人のあいだに、すぐには決めない約束がまたひとつ増えた。
先延ばしにするためでなく、選び直せるようにするための約束だった。
夕方前、エリゼーが帰ってきた。
ハインツは彼女の足音を聞き、反射的に立とうとした。
しかし立って何をするのか分からず、椅子に座ったままでいることにした。
「今日はどうだった?」と彼女が尋ねる。
「たいしたことはしていない」
「それは、悪いこと?」
「悪いわけじゃない。でも、君たちが外で何かを見ている間に、僕だけ置いていかれた気がする」
エリゼーは少し困った顔をした。
彼女も何かを見たと言えるほどのことをしていないかもしれない。
それでも彼は、そう言うことで自分の不満を相手に背負わせてしまったと気づいた。
「一緒にいればよかった?」
「それも違う。僕が休むと決めたんだ」
二人は黙った。
窓の向こうで荷車が通る。
車輪の音が遠ざかってから
エリゼーが「休んだことを一日として数えられないのね」と言った。
責める声ではなかった。
ハインツはうなずいた。
「何も進まなかったように思う」
「私は今日、話を聞いて、答えられないことを増やして帰ってきた」
「それは仕事じゃない?」
「どうかしら。仕事にしたかったのかもしれない」
彼女は笑った。
ハインツは、その笑いが自分のための慰めではないと分かった。
彼女も自分の不安について話している。
「今夜は、食事のあと少し外へ出ない?」とハインツは言った。
「腕は?」
一瞬、彼は顔をしかめかけた。
しかしエリゼーは、行くかどうかを決めずに聞いている。
「ゆっくりなら、歩きたい」
「じゃあ、食べてから考えましょう」
夜までに腕の具合が変わるかもしれない。
だからといって、約束をしないのが誠実だとは限らない。
変わったら相談し直せばいい。
それを二人とも覚えようとしていた。
夕飯が運ばれると、ハインツは左手で椀を引き寄せた。
誰もその動きを見ていないようで、彼には少し寂しかった。
やがてエリゼーが湯気の立つ椀を彼から離して置き直した。
「熱いから」とだけ言う。
彼は礼を言った。
助けられたのかどうか考える前に、熱いものが熱いという当たり前のことが、二人の間に戻ってきた。
休む決断のあとにも、休めない心が残ります。
働かない自分を嫌う気持ちを無理に消さず、二人が話をし直せる余地を描きました。




