第五部「交易都市編」 第二幕 働く人々と責任の行方 151 綱にかかる力
港には、人の手で引かれて動く荷がある。ハインツは綱が張りつめるさまを見ながら、仕事を助ける力と、その結果を引き受ける人について考える。
白潮河岸から南港の方角へ入ると、声の高さが変わった。
市場では値段を交わす声が上へ跳ねる。
港では短い声が低く通り、誰かの返事を待ってから次の動きが始まった。
ハインツには、誰の声がどの荷に向けられたのか分からない。
だから、柵の外で立ち止まった。
岸壁の一角では、荷を移すための綱の扱いを、何人かが確かめていた。
綱そのものに欠けたところは見えない。
それでも、一人が使い方を指し示すと、別の男は首を振った。
途中で綱が擦れることを気にしているらしい。
「魔法を使えば軽くなるんでしょう」と近くの若者が言った。
その言葉を聞いて、ハインツは以前、祈りが仕事の条件として扱われていた掲示板を思い出した。
荷重を軽減する働きも、綱の張力に補助を与える働きも、使える者にとっては仕事の手段の一つだ。
しかし何にでも使える力ではない。
時間や範囲、施術者の疲労があると聞いてきた。
「軽くなっても、綱を持つ手はそこにある」
後ろから声がした。
運び手のラフィ・コンテだった。
彼は四人と市中で何度か顔を合わせている。
「手があるだけでは駄目ですか」
ジュリアが聞いた。
「荷が動くなら、その先に何があるかまで見なきゃならない。引く人も、合図をする人も」
ラフィは顎で作業場所を示した。
「あそこへ近づいていいかどうかは、今の私が決めることじゃない。見ているだけなら、邪魔にならないところで」
ハインツはその区切り方が気に入った。
仕事を知るために近くへ寄ることと、仕事へ口を出すことは違う。
自分の右腕が万全だった頃なら、手を貸せると申し出ただろう。しかし今日の自分がそこへ入ってよい理由はない。
「誰かが祈って綱の力を補ってくれたら、それで安全になるの?」
エリゼーの問いに、ラフィは肩をすくめた。
「安全かどうかを決める人が楽になるわけじゃないと思います。むしろ、何が変わったかを知っていなきゃ困る」
少しのあいだ、四人は黙って作業を見ることになった。
綱にかかった力の量を、ハインツは数字では分からない。
ただ、人の身体の角度から、簡単ではないことは伝わる。
小さな合図のあと、動きを止めた人がいた。
ほかの者も止まった。
何かを言い合ってから、綱の扱いを変える。
誰かを責める声は聞こえない。
止まったことが失敗なのか、確かめる手順の一部なのか、外からは判断できなかった。
「見た目は、ただの綱なのに」
とヘルマンが言った。
「ただの綱だからかもしれません」とラフィが返す。
「道具のせいにできない日もあるんです」
ハインツは、自分が腕を痛めた日のことを思い出そうとして、やめた。
ここにいる人を自分の過去の証人にしてはならない。
働く者の声を聞き、自分の話へ引き寄せずにいることは思ったより難しい。
作業の合図を出していた者が、いったん手を下ろした。
遠目には、それだけで綱の張りが変わったように見えた。
ハインツは自分でも不思議だった。
誰かの身体が止まれば、仕事は止まる。
簡単なことなのに、以前は大きな荷が動いていることばかり見ていた。
「もし綱を助ける祈祷者が来ても、同じように合図がいるんでしょうね」
とジュリアが言った。
ラフィは「それがどういう働きをするか、現場の人は確かめなければならないでしょう」と返した。
彼は魔法に詳しいふりをしなかった。
ただ、普段と違う力のかかり方を、気づかぬまま受け取る怖さを話した。
「祈りそのものが危ないんですか」とヘルマンが尋ねる。
「知らずに任せきるのが怖いんです。人の手でも、そうでしょう」
その答えにハインツは、右腕の回復を他人の目だけで判断される苦しさを思い出した。
だが、助けが不要だと意地を張ることも、他人に自分の身体を任せきることも、同じくらい不安定なのかもしれない。
昼の光の中で、作業者たちは短い休みを取った。
水を飲み、互いの顔を見て、誰かが道具の状態を指して話す。
荷がひとつ移動しても、そこで終わらない仕事がある。
ハインツはその休み方を、長く眺めていた。
港の近くには、荷の移動を見守って待つ人もいた。
急いでいる商人らしい男が時計を確かめるように空を見上げ、誰かに文句を言いかけてやめた。
その沈黙の向こうに、働く人が確認を終える時間がある。
ハインツは、待つことも相手の仕事を尊重する方法なのだと感じた。
ただ、待たされる者の焦りが間違っているとも思わなかった。
帰りにラフィは「荷を扱う仕事は、できたかどうかだけじゃない」と言った。
「無事に終えて、次にまた仕事ができるかどうかです」
ハインツはしばらくその言葉を考えた。
いつか右腕が良くなれば、仕事の量を取り戻せると思っていた。
けれど取り戻すとは、以前と同じように無理をすることではないのかもしれない。
河岸の石に小さな水滴が残っていた。綱の先にいる誰かは、明日も同じ場所へ来るだろう。
ハインツはその明日を想像し、仕事が続くとは、今日の荷が動いたということだけではないのだと思った
力を補う手段があっても、判断の責任はなくなりません。魔法を万能な動力として扱わず、仕事を止めて確かめる人の判断に焦点を当てました。




