第五部「交易都市編」第二幕働く人々と責任の行方 141 閉ざされた作業場
扉が閉まっているのは、誰かが仕事を投げ出したからとは限らない。
旧市へ向かった四人は、そのことを確かめる前に、さまざまな理由を考えてしまう。
旧市修繕区へ続く道は、朝の市場より少し静かだった。
静かといっても人がいないのではない。
小さな槌の音、木を削る刃の擦れ、戸口で値を相談する声が、細い路地にひとつずつ収まっている。
四人が曲がり角を過ぎると、道の先に人だかりが見えた。
そこで一軒だけ、広い扉を閉じた作業場があった。
扉の上に掛けられた札の文字を、ヘルマンは読み直した。
作業の見合わせ。安全上の確認を終えていない区域について、立入りを認めないという意味だった。いつ再開するかは書かれていない。
「仕事を断っているのかな」
口にしてから、彼は自分の言葉が軽すぎたと思った。
閉じた扉の横では、布に包んだ金具を持つ男が、何度も中を覗こうとしていた。
近くの職人に何か尋ね、首を振られる。
男は腹を立てたように包みを抱え直し、反対側の路地へ歩いていった。
「困っている人はいるね」
とハインツが言った。
「閉めている人も、困っているかもしれないわ」
とエリゼーは答えた。
ヘルマンは口を閉じた。
故郷の水路が傷んだとき、住民は早く水を戻そうとした。
止まった流れの向こうで畑が乾くからだ。
その焦りに理由はあった。
しかし、岸の石がまだ崩れるかもしれないうちに近づけば、別の危険が増える。
自分たちはそれを知ったはずだった。
扉のわきに若い男が現れた。
丸めた布を持ち、戸口を出入りする人がいないことを確かめている。
指先には木屑がついていたが、扉の向こうで機械を動かす気配はない。
「お尋ねしてもいいですか」
とヘルマンが声を掛ける。
男は警戒したように見た。
「注文なら、今日は受ける品を選んでいるんです。閉じた方の作業はできません」
「注文じゃないんです。なぜ閉じているのか、知りたくて」
「それを聞かれることは多いです」
男は扉を見た。
「調べて、危ないと分かったところがある。まだ安全だと言えない。それだけです」
「誰がそう決めたんですか」
「親方と、ここで働く俺たちです」
答えには誇りも苛立ちもあった。
ヘルマンはうなずくより先に、別のことを尋ねたくなった。
市の命令なのか、何が壊れたのか、誰に責任があるのか。
しかし男が答えたことを聞けば、そのどれも今は問われていない。
ジュリアが札を見ていた。
「これ、いつ書かれたものですか」
「前から掛かっています。詳しいことは親方へ」
「分かりました。今すぐ聞かなければならないことではありません」
彼女は手帳を開かなかった。
紙に書かれていることを見たからといって、書かれていない事情を埋めてよいわけではない。
若い男は布を肩へ掛け直した。
「ここは閉じていますが、向こうでできる仕事はあります。全部が止まったと思われると困る」
彼が指したのは、通りの反対にある小さな作業台だった。
ひとりの年配の職人が木片を手に取り、客に長さを確かめている。
ヘルマンは、閉じた扉だけを見て、作業場をひとつの状態にまとめていたことに気づいた。
危険な区域と、その外に残された仕事。
閉じることと働くことが、同じ人の一日のなかに並んでいる。
「ごめんなさい」と言いかけて、何に謝るのか分からなくなった。
若い男は彼の顔を見て、少し表情を緩めた。
「別に、あなたに閉められたわけじゃないですよ」
その言葉を冗談として受け取ればよかったのだろう。
けれどヘルマンは、うまく笑えなかった。
若い男が仕事台へ戻ろうとしたところで、ジュリアがそっと尋ねた。
「さっきの方の注文は、誰かに伝えておくんですか」
「名前と品物は、本人が残したければ書きます。怒って帰った人まで全部書いていたら、かえって誰が何を頼んだのか分からなくなる」
彼は自分でも意外だったように笑った。
その笑いに、朝から何度も同じ話をした疲労が残っていた。
ジュリアは手帳を閉じたまま聞いていた。
彼の言葉を記録する許可を求めていない。
エリゼーは、その姿が以前より少し大人びて見えたことに戸惑った。
自分が彼女を育てているわけではない。
それなのに、相手の変化を自分との関係で測りたくなる。
「親方なら、もっと詳しく答えてくれます」と男が付け足す。
ヘルマンは「今日は、あなたの答えで十分です」と言った。
十分という言葉が、何を終わらせたのかは曖昧だった。
それでも若い男は一度だけ深く息を吐き、仕事へ戻っていった。
道へ戻ると、閉鎖の札はさきほどと同じ位置にあった。
人々はその前を通り過ぎる。
読んで立ち止まる者もいれば、読まずに裏道へ回る者もいる。
札はそこにあり続けるが、それが意味するものは一人ずつ違うのだ。
「扉を開ければ仕事が戻る、と思ってしまった」
と彼はエリゼーに言った。
「私も、あの男の人に仕事がなくなったのだと思いかけたわ」
「何も知らないね、僕らは」
「知らないところから、聞けることもあるでしょう」
エリゼーの答えには慰めの色がなかった。
そのことが、かえってありがたかった。
案内人にとって、知らない道に出会うのは失敗ではない。
知らないまま進めば、誰かを危ない場所へ連れていくかもしれない。
その違いを覚えておくために、ヘルマンはもう一度だけ札を振り返った。
扉は開かなかった。開けるよう求めることも、四人にはできなかった。
閉鎖は無責任の証しではなく、時に責任を引き受けた結果でもあります。
旧市の危険区域はまだ閉じたままです。ヘルマンが知るのは、その判断の重さのほんの入口です。




