↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/232

第五部「交易都市編」第二幕働く人々と責任の行方 141 閉ざされた作業場

扉が閉まっているのは、誰かが仕事を投げ出したからとは限らない。

旧市へ向かった四人は、そのことを確かめる前に、さまざまな理由を考えてしまう。

旧市修繕区へ続く道は、朝の市場より少し静かだった。

静かといっても人がいないのではない。

小さな槌の音、木を削る刃の擦れ、戸口で値を相談する声が、細い路地にひとつずつ収まっている。

四人が曲がり角を過ぎると、道の先に人だかりが見えた。


そこで一軒だけ、広い扉を閉じた作業場があった。

扉の上に掛けられた札の文字を、ヘルマンは読み直した。

作業の見合わせ。安全上の確認を終えていない区域について、立入りを認めないという意味だった。いつ再開するかは書かれていない。


「仕事を断っているのかな」

口にしてから、彼は自分の言葉が軽すぎたと思った。


閉じた扉の横では、布に包んだ金具を持つ男が、何度も中を覗こうとしていた。

近くの職人に何か尋ね、首を振られる。

男は腹を立てたように包みを抱え直し、反対側の路地へ歩いていった。


「困っている人はいるね」

とハインツが言った。

「閉めている人も、困っているかもしれないわ」

とエリゼーは答えた。

ヘルマンは口を閉じた。


故郷の水路が傷んだとき、住民は早く水を戻そうとした。

止まった流れの向こうで畑が乾くからだ。

その焦りに理由はあった。

しかし、岸の石がまだ崩れるかもしれないうちに近づけば、別の危険が増える。

自分たちはそれを知ったはずだった。


扉のわきに若い男が現れた。

丸めた布を持ち、戸口を出入りする人がいないことを確かめている。

指先には木屑がついていたが、扉の向こうで機械を動かす気配はない。


「お尋ねしてもいいですか」

とヘルマンが声を掛ける。

男は警戒したように見た。

「注文なら、今日は受ける品を選んでいるんです。閉じた方の作業はできません」

「注文じゃないんです。なぜ閉じているのか、知りたくて」

「それを聞かれることは多いです」

男は扉を見た。


「調べて、危ないと分かったところがある。まだ安全だと言えない。それだけです」

「誰がそう決めたんですか」

「親方と、ここで働く俺たちです」

答えには誇りも苛立ちもあった。


ヘルマンはうなずくより先に、別のことを尋ねたくなった。

市の命令なのか、何が壊れたのか、誰に責任があるのか。

しかし男が答えたことを聞けば、そのどれも今は問われていない。


ジュリアが札を見ていた。

「これ、いつ書かれたものですか」

「前から掛かっています。詳しいことは親方へ」

「分かりました。今すぐ聞かなければならないことではありません」

彼女は手帳を開かなかった。

紙に書かれていることを見たからといって、書かれていない事情を埋めてよいわけではない。


若い男は布を肩へ掛け直した。

「ここは閉じていますが、向こうでできる仕事はあります。全部が止まったと思われると困る」

彼が指したのは、通りの反対にある小さな作業台だった。

ひとりの年配の職人が木片を手に取り、客に長さを確かめている。


ヘルマンは、閉じた扉だけを見て、作業場をひとつの状態にまとめていたことに気づいた。

危険な区域と、その外に残された仕事。

閉じることと働くことが、同じ人の一日のなかに並んでいる。


「ごめんなさい」と言いかけて、何に謝るのか分からなくなった。

若い男は彼の顔を見て、少し表情を緩めた。

「別に、あなたに閉められたわけじゃないですよ」

その言葉を冗談として受け取ればよかったのだろう。

けれどヘルマンは、うまく笑えなかった。


若い男が仕事台へ戻ろうとしたところで、ジュリアがそっと尋ねた。

「さっきの方の注文は、誰かに伝えておくんですか」

「名前と品物は、本人が残したければ書きます。怒って帰った人まで全部書いていたら、かえって誰が何を頼んだのか分からなくなる」

彼は自分でも意外だったように笑った。

その笑いに、朝から何度も同じ話をした疲労が残っていた。


ジュリアは手帳を閉じたまま聞いていた。

彼の言葉を記録する許可を求めていない。


エリゼーは、その姿が以前より少し大人びて見えたことに戸惑った。

自分が彼女を育てているわけではない。

それなのに、相手の変化を自分との関係で測りたくなる。


「親方なら、もっと詳しく答えてくれます」と男が付け足す。

ヘルマンは「今日は、あなたの答えで十分です」と言った。

十分という言葉が、何を終わらせたのかは曖昧だった。

それでも若い男は一度だけ深く息を吐き、仕事へ戻っていった。


道へ戻ると、閉鎖の札はさきほどと同じ位置にあった。

人々はその前を通り過ぎる。

読んで立ち止まる者もいれば、読まずに裏道へ回る者もいる。

札はそこにあり続けるが、それが意味するものは一人ずつ違うのだ。


「扉を開ければ仕事が戻る、と思ってしまった」

と彼はエリゼーに言った。

「私も、あの男の人に仕事がなくなったのだと思いかけたわ」

「何も知らないね、僕らは」

「知らないところから、聞けることもあるでしょう」

エリゼーの答えには慰めの色がなかった。

そのことが、かえってありがたかった。

案内人にとって、知らない道に出会うのは失敗ではない。

知らないまま進めば、誰かを危ない場所へ連れていくかもしれない。

その違いを覚えておくために、ヘルマンはもう一度だけ札を振り返った。


扉は開かなかった。開けるよう求めることも、四人にはできなかった。

閉鎖は無責任の証しではなく、時に責任を引き受けた結果でもあります。

旧市の危険区域はまだ閉じたままです。ヘルマンが知るのは、その判断の重さのほんの入口です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。