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第五部「交易都市編」第一幕都市の人口と異なる価値観 138 帳面にいない人

店を動かすのは帳面に名前のある人だけではない。

ジュリアは、記録の正しさと暮らしの正しさが違う場所で衝突する。

【本文】

七秤市場の布地屋で、店主が客のために奥から品を探していた。

その間、棚の前にいた若い手伝いが、迷っている客の荷を持つ場所を示した。

誰もその者のことを呼ばない。

店主の名を呼ぶ声ばかりが飛び交った。


ジュリアは気になって、品を買う客の列に並んだ。

彼女自身は何かを買いたかったわけではない。

だが見ているだけで人に話しかけるのは失礼かもしれないと思った。


若い手伝いは布を畳むのが速く、手も止まらない。

店主が戻ってくると、若い手伝いは商品の説明を引き継いだ。


声に出すのは必要なことだけで、余計な言葉を重ねない。

その名前がどこにも書かれていないことに、ジュリアは遅れて気づいた。


店の前にある札には商人の名と取扱品、

窓口が示されている。

補助する人については何もない。


記録の目的が違うだけだと言えばそのとおりだった。

けれどそれだけでは、店を支える仕事が見えなくなってしまう。


「誰がこの布を畳んだか、記録されないんですか」

気づくと口にしていた。

若い手伝いは驚いた顔をし、店主のほうを見た。


「品物の出入りなら、私が帳面につけます」

と店主は言った。

「誰が畳んだかまでは書きませんね」


「それが悪いと言いたいのではなくて……」

ジュリアは言葉を探した。


書かないことを非難しているように聞こえただろうか。

店主は作業を続けながら、客の列を整えた。

忙しいところへ、見知らぬ記録係が意味のはっきりしない質問を持ち込んでいる。


「店が動くようにしている人がいると、思っただけです」

若い手伝いが初めて笑った。

「見てくれる人はいますよ。店主が私に今日の仕事を頼んだんですから」

ジュリアはその答えに救われかけた。


しかし、店主が見ているからほかの誰も見なくてよいということにはならないだろう。相手の望みを知らずに自分の正義を積むべきでもない。


店を離れたあと、ジュリアは手帳に今日の場面を書いた。

名を尋ねなかった手伝いのことは、誰か分からないままだ。

名前があれば話が確かになると思っていたが、今は無理に名を得なかったことにも意味があると思えた。


エリゼーと合流すると、ジュリアは記録した頁を見せた。

「この人のことを書いたのですが、本人に見せていません」

「それなら、見せる機会があれば尋ねてみたら?」

「そうします。書いたことも、まだ全部正しいとは思えません」


翌朝、ジュリアはもう一度その布地屋の前を通った。

手伝いの姿は見えない。

昨日のように布が整然と並んでいるのは、誰かが早くから準備したからかもしれない。しかし姿の見えない人の名を勝手に書き足すことはできない。


「昨日はありがとうございました」

と店主に声をかけると、相手はしばらくジュリアを思い出せなかった。

自分には大切な出来事でも、相手には多くの客のうちのひとりに過ぎない。

そのことにジュリアは少し傷つき、そして恥ずかしくなった。


彼女は最後に、観察したことと考えたことを線で分けた。

店の若い手伝いが布を畳んでいた、

という一行。

その働きが十分に評価されていないのではないか、という別の一行。

後者は確かな事実ではない。

書き分けてみると、自分の願いが事実のふりをしていた場所が見えた。


「昨日いらした方に、書いたものを見せてもよいか聞きたかったのです」

「いつ戻るかは分からないよ。仕事があるときだけ来てもらうこともあるから」

「では、今日は無理ですね」


手帳の余白には、店主が別の客へ品物を渡す姿も残しておいた。

若い手伝いの仕事について書くつもりが、商人の仕事も彼女の目に入っていたからだ。


誰か一人に目が行くと、ほかの人が見えなくなることがある。

ジュリアはその危うさに気づき、記録を一行増やした。

文字数が多ければ正確になるのではない。

何を見落としたかを考える手掛かりが、少し増えただけだった。


「急ぎの話なのかい」

ジュリアは首を振った。

「急いでいるのは私だけかもしれません」

店主は頷き、次の客へ向き直った。


ジュリアは手帳を胸に寄せた。

いつか再び会えたときに、本人の言葉で確かめられるならそれでよい。

再び会えない場合には、書いたことを誰にも見せないという選択もある。

自分が記録したからといって、その人の一生が自分の帳面へ属するわけではない。


エリゼーはジュリアの手帳を覗き込まず、

「書いたの」と言った。

ジュリアは少し胸が軽くなった。


見られたくないわけではない。

ただ、他人の文章を完成する前から正してほしいわけでもなかった。


夜、ジュリアは同じ頁の下に小さく書き足した。

「帳面にないことは、出来事がなかったことではない」

それは記録の結論ではなく、書く自分と、後から読むであろう者への注意だった。


彼女はその行を読み返し、消さずに残した。

明日になれば別のことを考えるかもしれない。


それでも、今日の自分がここで立ち止まった事実は、後で知る人に伝えてもよい気がした。

帳面に載らない働きは、存在しない働きではありません。

ただし見えない人を救うために、本人の望まない記録を増やしてよいとも限りません。

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