第五部「交易都市編」第一幕都市の人口と異なる価値観 122 数えられる住人
街の人の数を知りたいと思ったジュリアは、一人の係員に出会う。
正しい数字を残す仕事にも、書ききれない事情があった。
数字は人の背中を押さない、とジュリアは思っていた。
それは帳面の中で静かに並び、数えたい者の都合で列を作るだけだ。
けれど市住民簿室の前に続く列を見たとき、数字が人を待たせることもあるのだと知った。
石造りの小さな窓口には、名前のほかに居所や取引の身元を確かめる札が掲げられている。
四人は住民登録を申し出に来たのではなかった。
街のことを知りたいのなら、そこに行けば公開されている人口の概数を尋ねられると、宿の主人に道を教えられ窓口にやってきた。
「八万人ほどです」
エドガー・ハルツと名乗った係員は、数字を告げてから紙の端を指で押さえた。
「正確には、その時点で住む者として数えられる人の概数です」
「時点によって変わる、ということですか」
「船が入れば変わります。市外の商人が長く滞在することもある。住まいを持っても登録を直さない人もいる。逆に、名簿にあるまま帰ってこない人も」
彼は軽く笑った。
自分の仕事を弁護する笑いではなかった。
毎日誤差を見つけては埋めようとする者の、少し疲れた顔だった。
ジュリアは、教会で記録した人数の列を思い出した。
そこには死亡と出生の欄があり、祈りを行った者と行わなかった者の区別があった。
ある欄が空いていれば記録の不備を疑う。
欄そのものが人を受け止められないことまで考えたことがあっただろうか。
「では、八万人は間違っている?」
エドガーは首を振った。
「間違っていると言われたくはないですね。帳面の役には立つ数字です。
ただ、街全部の答えだと言われるのも困る」
窓口の外で、乳児を抱えた男が列を離れた。
待つ子をあやす女もいる。
誰かが呼ばれると数人が肩をずらし、そこに小さな空白ができた。
ジュリアはその空白を、人が一人いなくなったのだと思いかけた。
そうではなく、ひとりが前へ進んだだけだった。
「数字を尋ねてくる旅人は珍しいですか」
「税を聞く人、宿を聞く人、仕事を聞く人はいます。人口を聞く人は、たいてい商売の見込みを知りたい」
「私は、どんな人が住んでいるのか知りたかったんです」
「でしたら、私より市場の人に聞いたほうがいい」
答えは親切だった。
しかし自分が何のために来たかを見抜かれたようで、ジュリアは少し居心地が悪くなった。
自分は学びたいのだと言えば立派に聞こえる。
けれど見知らぬ人々の暮らしを知識として持ち帰ろうとすることに、相手は同意していない。
「ここには、名簿に載りたくない人もいますか」
質問が出た瞬間、エドガーの視線が窓口の列へ向いた。
彼は話せる範囲を測っているようだった。
「いるかもしれません。何の理由でそうするか、私は言えません」
ジュリアはそこで黙った。
追って尋ねれば、答えを引き出せるかもしれない。
でもそれは、この人が守ろうとした境界をこちらの好奇心で越えることになる。
窓口から離れると、エリゼーが「聞きたいことは聞けた?」と尋ねた。
「数は聞けました。けれど、どう書いていいのか分かりません」
「書かなければいいこともあるわ」
エリゼーの言い方は柔らかかったのに、ジュリアには少し刺さった。
相手が上から与える結論のように聞こえたからだ。
エドガーが帳面を閉じたあと、列の中から男が声をかけた。
「私は去年の人数に入っていますか」
冗談のような調子だったが、返事を待つ顔は真剣だった。
「以前の記載がどうなっているかは、本人確認をしてからお答えします」とエドガーは言った。
「去年はここに寝ていた。冬はよそで働いた。春に戻った。なら、どちらの数です?」
ジュリアは男の言葉を数え始めてしまった。
去年、冬、春。
それぞれに印を付けたくなる。
けれど人の暮らしが年の区切りに合わせてきれいに動くわけではない。
「あなたがどちらの数かより、今どんな手続きが必要かをお話ししましょう」とエドガーは答えた。
男は少し不満そうにしながらも、説明を聞くために身を寄せた。
ジュリアは、係員がうまく話を収めたと感じた。
だが、その感想を持った直後、男の問い自体は答えられていないことに気づいた。
数えられたかったのか、数から外されたかったのか、ただ自分がここへ戻ってきたと確認したかったのか。
彼の理由を知らないまま、話が片づいたと考えるのは早い。
外の小さな水溜まりに、窓口を出入りする足が次々映った。
姿が重なり、誰のものでもなくなる。
ジュリアは窓へ目をやりながら、帳面の数字はあの水面に似ていると思った。
映らなかった人の存在を否定できないのと同じで、そこに映った影からその人の歩いてきた道を知ることもできない。
「まだ書かないだけです」とジュリアは答えた。
「書かないことまで、今は決めたくありません」
エリゼーは返事をしなかった。
ジュリアは、その沈黙を許可と受け取らないことにした。
通りへ戻ると、見知らぬ人々の肩が続いている。
八万人という数が、その全員を説明してしまわないことだけは分かった。
ジュリアは手帳の隅に数字を書き、隣に短い余白を残した。
約八万人という数字は街の輪郭を示しますが、その人々を知ったことにはなりません。
ジュリアの記録係としての誠実さが、数字の外にいる人を想像する方向へ動き始めます。




