第四部 石片の向こう 118 交易路
故郷をあとにした四人は交易都市へ続く道を進む。
旅人を運ぶ道は、同時に品物と仕事の約束が行き交う道でもあった。
村を出る朝、ヘルマンは石柱の前で立ち止まらなかった。
一度だけ振り返り、水路へ続く家並みを見た。
そして、三人に追いついた。
道は次第に広くなり、車輪の跡が二筋、乾いた土へ深く刻まれている。
畑の区切りが減り、遠くには荷車が連なっていた。
「交易路に出たんだね」
ハインツが言った。
「ここから先は、通る人の目的がもっと違ってくる」
ヘルマンが答える。
「同じ方向へ歩いていても、行きたい場所は同じじゃないんだ」
エリゼーは荷車の列を見た。
塩を入れた樽。
織物の束。
削りかけの木材。
どれも、別の土地で誰かが働いた証拠だった。
* * *
昼前、四人は修理待ちの荷車に出会った。
車輪の金具が緩み、荷主と車大工が言い争っている。
「昨日のうちに直ると言っただろう」
「直すとは言った。でも、部品の寸法が違っていたんです」
荷主の声には焦りがあった。
約束した日に品物を届けなければ、買い手に迷惑をかけるのだろう。
車大工は、壊れた金具を握りしめていた。
ハインツが立ち止まった。
「何か手伝えることはありますか」
大工は顔を上げた。
「押さえる人が足りないんだ」
「右腕がまだ本調子ではないので、重いものは持てません」
ハインツは先に伝えた。
「では、道具を渡してくれればいい」
作業は始まった。
ジュリアは使う道具を並べ、エリゼーは荷車のそばに置かれた布が泥に触れないよう運んだ。
ヘルマンは通行人を迂回させた。
荷主は少し離れた場所で、そわそわと歩き回っている。
修理が終わるまでに、予定より時間がかかった。
大工は金具を取り付け、車輪をゆっくり回した。
「これで町まで行ける。ただし、次の整備場でもう一度締め直してください」
荷主はため息をついた。
「追加の代金は?」
「作業が増えた分だけ」
「最初の約束はどうなる」
「最初に分かった範囲でしか言えませんでした」
二人は再び話し合い始めた。
エリゼーは距離を取った。
事情を十分に知らない自分が、どちらかを正しいと決められない。
* * *
昼食の休憩所には、商人たちが大勢いた。
同じ卓を囲んでも、食べ物はそれぞれ違う。
乾いた魚を持つ人。
香草の入ったパンを食べる人。
何も食べずに、水だけ飲む人。
ジュリアは、荷車に付いた木札を見ていた。
「品物の数だけでなく、持ち主と届け先も書いてあるんですね」
隣の商人が頷いた。
「同じ品でも、誰に渡すかで値が違うことがあるからね」
「約束も書面に?」
「大きい取引なら。口で決めた方が早いときもあるけど、後で揉めることもある」
荷札を書けない運び手は、商人の言葉を黙って聞いていた。
「内容は、声に出して確かめるんですか」
ジュリアが訊くと、運び手は頷いた。
「読めないからって、何も分からないわけじゃない。重さと数なら私が一番知っている」
商人は笑った。
「だから、数字が違うとすぐ叱られる」
ジュリアも笑った。
書類に署名があるだけでは、その人がすべてに同意したことにはならない。
声で確かめ、相手が問い返せることが必要なのだろう。
ジュリアは教会の記録を思い出した。
何が起きたかだけでなく、誰がどんな権限で書いたのか。
同じ言葉でも、それが証明になる場合とならない場合がある。
「この道では、書くことが暮らしの一部なんですね」
「書けない人もいるよ」
商人は笑った。
「だから、読んで聞かせる人がいる」
ジュリアは頷いた。
仕事の形は違っても、相手が何を承知したのか確かめることが大切なのだろう。
* * *
午後、道は緩やかに下った。
遠くに交易都市の外壁らしいものが見えた。
まだ小さく、空の色と区別しにくい。
ヘルマンが言った。
「明日には着くはずだよ」
エリゼーは遠くを見た。
都へ近づくほど、人の声も増える。
土地ごとに祈りの音が違ったように、ここでは仕事の言葉も多くなるのだろう。
ハインツは荷袋の紐を直した。
「まず泊まるところを確かめないとね」
「それから、街の中の決まりも」
ジュリアが続ける。
ヘルマンは微笑んだ。
「僕が全部知っているわけじゃないから、着いたら人に聞こう」
四人は頷いた。
かつてなら、案内人が道を知っていることを当然と思ったかもしれない。
今は、知らないことを言える人がいるのを頼もしく思った。
夕方、四人は外壁の見える宿場に入った。
門はまだ遠い。
宿場には、故郷へ戻る荷車も停まっていた。
ひとりの年配の運び手が、都から持ち帰った小さな鍋を磨いている。
「これを頼んだ人が待っているんですか」
エリゼーが訊くと、運び手は笑った。
「頼んだ人は、もういない。でも、その人と暮らしていた者が使う」
鍋の取っ手には、何度も修理した痕があった。
都へ向かうものばかりを見ていたエリゼーは、同じ道を反対へ歩く人のことを思った。
流れには、必ず向こう岸がある。
窓からは、翌朝その道を進む荷車の灯りが、細く連なって見えた。
交易路では、品物だけでなく、修理の約束や契約が行き交っています。
四人は教会の記録とは別の形で、言葉が責任を持つ場面に触れます。




