↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/231

第四部 石片の向こう 118 交易路

故郷をあとにした四人は交易都市へ続く道を進む。

旅人を運ぶ道は、同時に品物と仕事の約束が行き交う道でもあった。


村を出る朝、ヘルマンは石柱の前で立ち止まらなかった。

一度だけ振り返り、水路へ続く家並みを見た。


そして、三人に追いついた。

道は次第に広くなり、車輪の跡が二筋、乾いた土へ深く刻まれている。

畑の区切りが減り、遠くには荷車が連なっていた。


「交易路に出たんだね」

ハインツが言った。


「ここから先は、通る人の目的がもっと違ってくる」

ヘルマンが答える。


「同じ方向へ歩いていても、行きたい場所は同じじゃないんだ」

エリゼーは荷車の列を見た。


塩を入れた樽。

織物の束。

削りかけの木材。

どれも、別の土地で誰かが働いた証拠だった。


* * *


昼前、四人は修理待ちの荷車に出会った。


車輪の金具が緩み、荷主と車大工が言い争っている。

「昨日のうちに直ると言っただろう」

「直すとは言った。でも、部品の寸法が違っていたんです」

荷主の声には焦りがあった。

約束した日に品物を届けなければ、買い手に迷惑をかけるのだろう。

車大工は、壊れた金具を握りしめていた。


ハインツが立ち止まった。

「何か手伝えることはありますか」

大工は顔を上げた。


「押さえる人が足りないんだ」

「右腕がまだ本調子ではないので、重いものは持てません」

ハインツは先に伝えた。


「では、道具を渡してくれればいい」

作業は始まった。


ジュリアは使う道具を並べ、エリゼーは荷車のそばに置かれた布が泥に触れないよう運んだ。

ヘルマンは通行人を迂回させた。


荷主は少し離れた場所で、そわそわと歩き回っている。


修理が終わるまでに、予定より時間がかかった。

大工は金具を取り付け、車輪をゆっくり回した。


「これで町まで行ける。ただし、次の整備場でもう一度締め直してください」

荷主はため息をついた。

「追加の代金は?」

「作業が増えた分だけ」


「最初の約束はどうなる」

「最初に分かった範囲でしか言えませんでした」

二人は再び話し合い始めた。


エリゼーは距離を取った。

事情を十分に知らない自分が、どちらかを正しいと決められない。


* * *


昼食の休憩所には、商人たちが大勢いた。

同じ卓を囲んでも、食べ物はそれぞれ違う。


乾いた魚を持つ人。

香草の入ったパンを食べる人。

何も食べずに、水だけ飲む人。

ジュリアは、荷車に付いた木札を見ていた。


「品物の数だけでなく、持ち主と届け先も書いてあるんですね」

隣の商人が頷いた。


「同じ品でも、誰に渡すかで値が違うことがあるからね」

「約束も書面に?」

「大きい取引なら。口で決めた方が早いときもあるけど、後で揉めることもある」

荷札を書けない運び手は、商人の言葉を黙って聞いていた。


「内容は、声に出して確かめるんですか」

ジュリアが訊くと、運び手は頷いた。


「読めないからって、何も分からないわけじゃない。重さと数なら私が一番知っている」

商人は笑った。


「だから、数字が違うとすぐ叱られる」

ジュリアも笑った。


書類に署名があるだけでは、その人がすべてに同意したことにはならない。

声で確かめ、相手が問い返せることが必要なのだろう。

ジュリアは教会の記録を思い出した。


何が起きたかだけでなく、誰がどんな権限で書いたのか。

同じ言葉でも、それが証明になる場合とならない場合がある。


「この道では、書くことが暮らしの一部なんですね」

「書けない人もいるよ」

商人は笑った。


「だから、読んで聞かせる人がいる」

ジュリアは頷いた。


仕事の形は違っても、相手が何を承知したのか確かめることが大切なのだろう。


* * *


午後、道は緩やかに下った。

遠くに交易都市の外壁らしいものが見えた。


まだ小さく、空の色と区別しにくい。

ヘルマンが言った。


「明日には着くはずだよ」

エリゼーは遠くを見た。


都へ近づくほど、人の声も増える。

土地ごとに祈りの音が違ったように、ここでは仕事の言葉も多くなるのだろう。


ハインツは荷袋の紐を直した。

「まず泊まるところを確かめないとね」

「それから、街の中の決まりも」

ジュリアが続ける。


ヘルマンは微笑んだ。

「僕が全部知っているわけじゃないから、着いたら人に聞こう」

四人は頷いた。


かつてなら、案内人が道を知っていることを当然と思ったかもしれない。

今は、知らないことを言える人がいるのを頼もしく思った。

夕方、四人は外壁の見える宿場に入った。

門はまだ遠い。


宿場には、故郷へ戻る荷車も停まっていた。

ひとりの年配の運び手が、都から持ち帰った小さな鍋を磨いている。


「これを頼んだ人が待っているんですか」

エリゼーが訊くと、運び手は笑った。


「頼んだ人は、もういない。でも、その人と暮らしていた者が使う」


鍋の取っ手には、何度も修理した痕があった。

都へ向かうものばかりを見ていたエリゼーは、同じ道を反対へ歩く人のことを思った。


流れには、必ず向こう岸がある。

窓からは、翌朝その道を進む荷車の灯りが、細く連なって見えた。

交易路では、品物だけでなく、修理の約束や契約が行き交っています。

四人は教会の記録とは別の形で、言葉が責任を持つ場面に触れます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。