第四部 石片の向こう 119 祈りの値段
交易都市を目前に、四人は魔法が仕事として取引される話を聞く。
同じ祈りでも、祈る人、頼む人、支払う人の立場は異なる。
都市の外壁が大きく見えるようになったころ、道沿いには小さな作業場が増えた。
馬の蹄を直す鍛冶屋。
荷の重さを量る秤場。
壊れた籠を編み直す職人。
その間に、祈りを仕事として請け負うという看板が掛かっていた。
エリゼーは足を止めた。
看板の端には、細かな文字が並んでいた。
「疲労した施術者には、続けて依頼しないこと」
そう読める一行があった。
誰かが休むことを契約に書かなければ守れない場所なのかもしれない。
あるいは、書いておくことで双方が安心して働けるのかもしれない。
彼女はどちらとも決めなかった。
「ここでは、祈りを頼むのね」
「街の中ではもっと多いらしい」
ヘルマンが答えた。
「でも、仕事を頼むことと、神に何かを願うことは、同じじゃない気がする」
ジュリアは看板に書かれた文字を読んだ。
短時間の荷重軽減。
狭い範囲の乾燥。
対象と時間について、条件付き。
「効かなかった場合のことも書いてあります」
彼女が言った。
ハインツは眉を上げた。
「祈りが届かない場合もあるから?」
「それだけではないでしょう。無理な仕事を頼まれないためかもしれません」
* * *
作業場の前には、年配の運び手がいた。
腕を組み、看板を見上げている。
「少しだけ荷を軽くしてもらいたいんだが、値が合わなくてね」
運び手は独り言のように言った。
ハインツが隣に立った。
「重い荷なんですか」
「荷車の坂道だけ。全部の道じゃない」
「では、その間だけ頼めば?」
「短い時間ほど安いとは限らないらしい」
運び手は苦笑した。
「人を呼んで来てもらうだけでも費用がかかるからな」
エリゼーはその話を聞いて、かつて商隊で見た実用魔法を思い出した。
短い時間、荷が軽くなった。
そのあと祈り手は疲れ、休んでいた。
目の前の看板には、その休息時間も条件として書かれている。
魔法は確かに働く。
しかし、その働きには人の身体と時間が伴っていた。
作業場から、若い祈り手が出てきた。
運び手へ料金を説明する。
「坂の手前まで行って、荷の状態を見ます。受けられなければ、その場でお伝えします」
「できるかどうか、ここでは決められないのか」
「荷の量も、道の幅も分からないままでは」
「なるほどね」
運び手はうなずいた。
若い祈り手は続けた。
「できると言ってから無理をする方が危ないですから」
その言葉に、エリゼーは胸の奥で何かが動くのを感じた。
奇跡と呼ばれる働きを、むやみに約束しない。
それは信仰が足りないからではなく、相手の安全を考えるためでもあるのだろう。
* * *
昼の休憩所で、四人は商人から別の話を聞いた。
「この辺りじゃ、祈りの契約に立ち会う人がいる」
「誰がですか」
ジュリアが訊く。
「仕事の種類による。商会が間に入る場合もあるし、職人同士で決める場合もある」
「料金を払うのは、効果を受ける人ですか」
「必ずしもそうじゃない。荷主が払うこともあるし、運び手が自分の安全のために頼むこともある」
商人は水を飲んだ。
「揉めるのは、どこまでを仕事とするか決めないときだな」
ジュリアは、記録保管室で読んできた照会文を思い出した。
『祈りは行われた』。
『働きは確認されなかった』。
短い記録の後ろには、誰かの失望や費用や疲労があったかもしれない。
けれど、今ここで見た仕事の仕組みを、古い記録へそのまま当てはめることはできない。
「書き方ひとつで、責任の意味が変わるんですね」
ジュリアが呟いた。
「そうだよ」
商人が答えた。
「だから、書く前に話し合っておくんだ」
* * *
午後、エリゼーは宿場の小さな礼拝所へ入った。
旅の無事を願う人が、床へ膝をついていた。
その人は魔法を頼む客ではなかった。
支払いの札もない。
ただ、祈りの言葉を低く口にしている。
エリゼーも少し離れて立った。
知っている音を、心の中でたどる。
この身体に安全を与えることを望む。
正しく唱えたからといって、彼女自身に魔法が起きることはない。
だが、祈ることの意味を、値段の有無だけで分けたくなかった。
礼拝所の外では、荷車の修理代をめぐって人々が話し合っている。
中では、名も知らない誰かが静かに手を合わせていた。
どちらも、人の暮らしだった。
夕方、四人は都市の門まであと少しの宿に泊まった。
食事の席で、ハインツが言った。
「祈りにも値段がある、と聞くと驚くね」
「祈る心に値段が付いているわけではないのでしょう」
エリゼーは答えた。
「その働きを引き受ける人の時間や、危険や、約束に対価があるのだと思う」
ジュリアは頷いた。
「でも、それがいつも公平とは限りません」
「そうね」
ヘルマンは窓の外を見た。
外壁の上に、灯りが一つずつ増えている。
「明日、あの中へ行けば、違う考え方にも会うだろう」
四人は黙って灯りを眺めた。
祈りが仕事になる場所。
そこで、人はどのように神を感じているのだろう。
実用魔法は働きとして契約され、疲労や条件を伴います。
一方、対価を求めない祈りも同じ道に存在します。都市へ入る前に、その両方を見せました。




