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第四部 石片の向こう 112 途切れた言葉

再会のあと、ヘルマンは同じ家をもう一度訪ねる。

今度は昔の話をするためではなく、相手が今日している仕事を見るために。


挿絵(By みてみん)

翌朝、水路の脇には三人の作業人が集まっていた。

ヘルマンは、昨日訪ねた家の前で立ち止まり、声を掛けた。

返事が来るまで、戸の外で待った。


「また来たのか」

その人は木の杭を抱えて現れた。


「来てもいいとは、言われなかったけど」

「来るかどうかは、お前が決めることだと言った」

「そうだった」

短い会話に、二人は少しだけ笑った。


しかし笑いは続かなかった。

杭を地面に置く音が、間を埋めた。

戸の前の土には幾つもの足跡が重なっていた。

そのどれにも、自分が村にいなかった年月がある。


ヘルマンは古い傷の跡を思い出しかけたが、記憶を確かめるために相手の手を見つめるのをやめた。

傷が残っているとしても、その意味を自分だけで語ってよいとは限らない。


「水門は、明日までに直る?」

「急がなければ、間に合う」

その人はそう答えた。


急がないことが仕事の条件になるのを、ヘルマンは初めて聞いたような気がした。

「水門の板を替える?」

「古い方が反っている。閉めても水が漏れる」

ヘルマンは板の木目を見た。


昔、同じ小屋で水門を直しているのを見たことがある。

そのときは、誰の手で水が流れているのか考えもしなかった。


「僕に分かる仕事があれば、言ってほしい」

「分からないなら、手を出すな」

相手は即座に答えた。


「まず、見ていろ」

ヘルマンは頷いた。


* * *


仕事はゆっくり進んだ。

杭の長さを揃え、湿った縄をほどき、新しい板の端を削る。


相手は一つの道具を使うたび、元の位置へ戻した。

ヘルマンは、子どものころ、その几帳面さを窮屈に感じていた。

いまは、道具を探す時間がないほど忙しい仕事なのだと分かった。


昼近く、二人は水路の陰で休んだ。

差し出された水をヘルマンが受け取ると、相手は遠い山を見た。


「お前は、旅をしてきたんだな」

「うん」

「どこまで」

ヘルマンは幾つかの土地の名を挙げた。


人々の祈りが違うこと、古い災厄について幾つもの話を聞いたこと。

石片を見た話もした。


ただ、持ち主が許していない細部までは話さなかった。

相手は黙って聞いていた。

「そこまで行ったなら、帰る道はいくつもあるだろう」

「帰る道?」

「戻ってくる理由も、いくつも作れる」

声は静かだった。


ヘルマンは水の器を膝に置いた。

「理由が欲しかったわけじゃない」

「じゃあ、どうして今なんだ」

彼は答えようとした。


何度もその言葉を考えてきた。

だが口にすると、どれも相手の時間を軽く扱うように聞こえた。

「遅かった、と思う」

ようやく、それだけ言った。


相手は器の縁を指でなぞった。

「遅いかどうかは、誰が決める」

「……分からない」

「そうか」

水路では、板の隙間から細い流れがこぼれていた。


* * *


午後、ヘルマンは村の広場でエリゼーたちと会った。


ハインツは片腕に負担を掛けずに持てる道具を選び、ジュリアは補修に使う材木の受け渡しを手伝っていた。


「行ってきたのね」

エリゼーが言った。


「ああ」

「話せた?」

ヘルマンは少し考えた。


「言葉は交わしたよ」

エリゼーは、それ以上は尋ねなかった。

彼は彼女の顔を見た。


「君なら、何か記録したくなる?」

「何について?」

「今朝のこと」


「あなたが残しておきたいなら、何かを書くかもしれない。でも、私の記録ではないわ」

ヘルマンは笑った。

「そうだね」


二人は、水路に沿って歩き始めた。

水は、石の継ぎ目ごとに小さな音を立てていた。


「昔、僕はその人の話を、最後まで聞かなかったことがある」

ヘルマンが言った。

「それが離れた理由なの?」

「それだけではない」

少しの間があった。


「そもそも、同じ話をしていたつもりで、違うことを話していたのかもしれない」

エリゼーは、自分の胸に残る痛みを感じた。


エランと向き合っていたころ、似たことがあった。

守りたいと思って口にした言葉が、相手にとっては、選ぶ余地を失わせる言葉になっていた。


「今なら、聞ける?」

彼女が訊いた。


ヘルマンはすぐに頷かなかった。

「分からない。でも、聞くつもりで行った」

それは以前の彼にはなかった答えなのだろう。


* * *


夕方、ヘルマンはもう一度家の前へ行った。


相手は戸口で木屑を掃いていた。

「明日は村の人たちが水路に集まる。僕の連れも手伝いたいと言っている」


「働けるなら、助かる」

「無理をさせないようにする」

その言葉に、相手は箒を止めた。


「誰が無理をしているかは、本人が言うことだろう」

ヘルマンは息を呑んだ。

そして、ゆっくり頷いた。


「そうだね。僕が決めることじゃない」

相手は再び掃き始めた。

「明日は、朝のうちに来てくれ」

「分かった」


ヘルマンは一歩下がった。

帰ろうとすると、背後から声がした。

「ヘルマン」


久しぶりに自分の名を呼ばれたような気がした。

「何?」

「古い杭の置き場を覚えているか」

「たぶん」

「覚えていないなら、聞け」

ヘルマンは笑った。


「そうするよ」

会話はそこで途切れた。

けれど昨日と違い、その先に明日の仕事があった。

途切れた関係が一度の会話で修復されるわけではありません。

二人は原因を言い切らないまま、翌日の共同作業に向けて話をつなぎます。


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