第一部 灰の記憶 11 慈悲の意味
助けられた子どもにとって、敵と教えられた人の言葉は、すぐには理解できないものでした。
エリゼーの名を呼んだのは、家の者だった。
駆け寄ってきた人の腕に抱きとめられると、膝の痛みを思い出したように涙が出た。
泣くつもりはなかった。
埃の中を歩いているあいだ、エリゼーは泣かなかったのだから、いま泣くのは何かに負けたような気がした。
「怪我は」
「膝だけ」
そう言った途端に咳が出た。
家の者は背をさすり、彼女の肩越しに、後ろに立つ人を見た。
手を引いてくれた、あの人だった。
衣の縁に見慣れない模様があることに気づいたのだろう。家の者の手が、一瞬だけ止まった。
それから深く頭を下げた。
「この子を、ありがとうございました」
あの人は何か答えた。
一度では通じず、言葉を選び直すような短い沈黙があった。
「生きていて、よかった」
それだけは、エリゼーにも分かった。
近くの建物では、怪我をした人々が運び込まれていた。
戸口には濡れた布が積まれ、土間の石は何度も水をかけられたせいで黒ずんでいる。
あの人は、その方角を見た。
エリゼーの手が離れても、すぐには立ち去らなかった。
「まだ、向こうに人がいる」
家の者がその言葉を聞き、うなずいた。
「私たちも行きます」
そこで初めて、エリゼーは自分が帰ってきたことと、ほかに帰れていない人がいることが、同じ日の出来事なのだと知った。
* * *
エリゼーは水を含ませた布で膝を拭いてもらった。
傷口の砂が落ちるたびに痛み、思わず声を上げる。
少し離れた場所では、あの人が誰かの荷を持ち上げ、寝かされた人の下へ毛布を差し入れていた。
どうして、まだここにいるのだろう。
助けてもらったのは自分なのに、相手は礼を求める様子もない。
それが落ち着かなかった。
「あの人、向こうの人だよね」
膝を手当てしていた大人は布を絞った。
「そう見えるね」
「助けちゃいけない人なんじゃないの」
大人は答えなかった。
自分が口にした言葉が、ひどく嫌な音に聞こえた。
向こうの人なら助けてはいけない。
そう教えられたわけではない。けれども、いくつもの会話の端から、いつの間にかそう思い込んでいた。
夕方、あの人が戸口のそばへ来た。
外では水を運ぶ足音がまだ続いていた。
エリゼーは膝に巻かれた布を押さえて尋ねた。
「どうして、わたしを助けたの」
相手はエリゼーを見下ろした。
返事に困っているようには見えなかった。ただ、聞き取れたかどうかを確かめるように、もう一度身をかがめた。
「わたしは、そちらの子じゃないでしょう」
しばらくして、相手は静かに言った。
「痛いのは、同じだ」
短い答えだった。
エリゼーは膝を見た。
布の下の傷は、確かに痛んでいる。
それが向こう側の子どもの膝にできたとしても、痛くないはずはない。
けれどもエリゼーが尋ねたかったのは、それよりずっと大きな何かだった。
その少し前、建物の奥で小さな騒ぎが起こっていた。
飲み水を渡された人が、器を受け取れずに落としてしまったのだ。
誰かが叱ろうとしたが、あの人がそちらへ行き、割れた欠片を拾った。
器を落とした人の指は、ひどく震えていた。
あの人は新しい器を受け取り、相手の掌が落ち着くまで、その縁を一緒に支えていた。
「ありがとう」
かすれた声が聞こえた。
何を言い返したのかは、エリゼーには分からない。
けれども、相手が水を飲み終えるまで待っていた姿は見えた。
あの日、自分に差し出された手も、急がなかった。
痛みを取り除く力があったわけではない。
待つということにも、力がいるのだとエリゼーは初めて思った。
相手は言葉を続けた。
「神の慈悲を、知っているか」
知っている、と言いかけた。
祈りの場で何度も聞いた言葉だったからだ。
けれども、自分が何を知っているのか、うまく説明できなかった。
「神が、助けてくれること?」
「そう願う人もいる」
「あなたは?」
相手は少し考えた。
「助けられる手があるなら、使う」
それは祈りの文句とは違った。
難しい名前も、長い言い回しもない。
「神さまに、言われたの?」
「声を聞いたわけじゃない」
そう答える声には、ためらいがなかった。
声を聞かなかったのに、神の慈悲を語る。
エリゼーには、それがどういうことなのか分からなかった。
しばらくして、あの人は別の怪我人に呼ばれた。
立ち上がった背中へ、彼女はもう一つ質問をしたかった。
向こうの人も、同じ神に祈るの。
けれども呼び止める前に、その人は戸の向こうへ出ていった。
後に何度思い返しても、彼女が確かに覚えているのは、あの短い二つの答えだった。
痛いのは、同じだ。
助けられる手があるなら、使う。
幼い彼女は、神の慈悲を理解したのではなかった。
ただ、その言葉を口にした人の手が、傷のある、温かな人間の手だったことを知った。
慈悲を説明する言葉よりも先に、その人が何をしたかを描きました。
エリゼーの理解はまだ始まったばかりです。




