第四部 石片の向こう 108 故郷への道
石片を守る谷を離れ、四人はヘルマンの故郷へ向かう。
旅の道案内を続けてきた彼にとって、その道は、ほかの道とは少し違っていた。
東へ向かう道は、朝のうち、川沿いから離れていかなかった。
細い水路が畑の脇を走り、その向こうには低い丘が続いている。
遠くの峰には雲が掛かっていた。
ヘルマンは先頭を歩いていた。
いつものように道の状態を確かめ、ときどき振り返って四人の間隔を見る。
けれど、その足取りは少しだけ遅かった。
「迷っているの?」
ジュリアが訊いた。
「いや」
ヘルマンは笑った。
「むしろ、覚えている道が多すぎるんだ」
「どういうことですか」
「昔の道と、今の道が頭の中で重なる」
彼は前方の分かれ道を示した。
「子どものころは、あの丘の南を通っていた。今は北側に新しい道があるらしい」
「どちらが近いのですか?」
ハインツが訊く。
「距離なら南だと思う。でも、通れるかどうか」
エリゼーは二本の道を眺めた。
草の間へ消えていく古い道。
人の足が踏み固めた、新しい道。
どちらも、そこを歩く人がいたから残っている。
「新しい方へ行きましょう」
彼女が言った。
ヘルマンは頷いた。
「そうしよう」
決断は簡単だった。
しかし彼の顔には、ほんの少し残念そうな色が浮かんでいた。
***
昼前、四人は小さな休憩所へ着いた。
屋根の下には木の長椅子があり、旅人が水を飲めるよう桶が置かれている。
水は冷たかった。
ジュリアは手を洗い、額に残った汗を拭った。
「故郷までは、あとどのくらいですか」
「今日中に、入口までは行けると思う」
ヘルマンが答えた。
「思う、ですか」
「僕が最後に歩いたころとは、ずいぶん変わっているから」
彼は水を飲んだあと、桶を元の位置へ戻した。
エリゼーは休憩所の柱に刻まれた文字を見た。
知らない土地の祈りの言葉だった。
文字の一部は削れている。
長い年月、ここを通った人々が触れてきたのだろう。
彼女は声に出して読もうとはしなかった。
意味を知らない言葉を、知っているものとして扱いたくなかった。
ヘルマンが隣へ来た。
「その言葉、祖母がよく言っていた」
「どんな意味なの?」
「旅の先に、帰る場所がありますように、という意味に近い」
「近い?」
「直すと少し違うんだ。帰る場所というより、迎える人のいるところ、かな」
エリゼーは文字を見つめた。
迎える人。
その言葉に、ヘルマンの声がわずかに揺れたような気がした。
「あなたを迎えてくれる人は、いるのね」
「いると思う」
彼は答えた。
その返事もまた、少し曖昧だった。
***
午後、道は丘の斜面へ上がっていった。
遠くに家々の屋根が見え始める。
屋根は低く、石の壁が多かった。
谷を横切るように一本の水路が走っている。
ハインツが立ち止まった。
「いい景色だね」
「昔は、もう少し木が多かった」
ヘルマンが言う。
「この辺りでよく遊んだんだ」
彼は足元の草を見た。
「ここに、大きな木があった。夏になると、子どもたちが集まっていた」
「なくなったんですね」
ジュリアが言った。
「そうみたいだね」
ヘルマンはしばらく黙っていた。
風が草を揺らす。
木がなくなっても、そこが子どもたちの遊び場だったことは、彼の中に残っている。
エリゼーはそう思った。
ただ、その記憶を聞き出そうとはしなかった。
***
夕方近く、道の先に石の門が見えた。
門と呼ぶには簡素で、低い石柱が二本立っているだけだった。
片方には古い刻みがあり、もう片方には新しい石が積み足されていた。
ヘルマンはそこで足を止めた。
「着いたよ」
「ここが?」
ハインツが訊いた。
「故郷の入口だ」
彼は石柱へ近づき、表面に手を当てた。
何かを確かめるような仕草だった。
エリゼーは、その背中を見た。
幼いころ、彼女も故郷を離れた。
再び戻れると思っていた時期もあった。
けれど、帰るということは、ただ同じ土地へ立つことではないのだろう。
そこにいる人々が、かつての自分をどう覚えているか。
自分が、その人々をどう覚えているか。
それを確かめることにもなる。
「ヘルマン」
彼女が呼ぶと、彼は振り返った。
「少し休む?」
「大丈夫」
彼は笑った。
「ここから先は、僕が案内しなきゃね」
しかし、その笑みには、旅の途中で見せていた気安さとは違うものがあった。
四人は石柱の間を抜けた。
その向こうには、夕暮れの村が広がっていた。
四人はヘルマンの故郷へ到着しました。
彼にとって見慣れたはずの景色は、年月によって変わっています。これから、人との再会が始まります。




