第四部 石片の向こう 106 変わった川
同じ川でも、流れは年月とともに変わる。
四人は上流の川原で見た景色を手がかりに、過去の位置を現在の地図へ重ねる難しさを知る。
翌朝、宿の主人は床に古い板を広げた。
板には、細い炭色の線で川が描かれている。
所々に村の名が書かれ、渡し場の印が付いていた。
「父が使っていた道案内です」
主人はそう言った。
「古いものですが、今でも使えるところはある」
ヘルマンは板の端にしゃがんだ。
「この曲がり方は、昨日見た川と違いますね」
「そうでしょう」
主人は頷いた。
「父のころから変わった場所もあります」
エリゼーは板を見た。
線はまっすぐではない。
大きく曲がったあと、幾つかの細い枝へ分かれている。
石片の溝を思い出した。
似ていると思った瞬間、彼女はその考えを手放した。
川は枝分かれする。
細い溝も枝分かれして見える。
ただそれだけで、両者を結びつけることはできない。
ジュリアが帳面を開いた。
「この板は、いつごろ作られたのでしょう」
「父が若かったころだと思います」
「その後、書き直したところは?」
「ありますよ。ほら、ここ」
主人は板の隅を指した。
以前の線の上へ、濃い炭が引き直されていた。
修正の跡は消されていない。
「古い線を削ってしまうと、前の道を知っている人が困るからね」
その言葉に、エリゼーは顔を上げた。
記録保管室で、自分が何度も考えてきたことだった。
古いものを残すのは、いつも正しいからではない。
間違っていた可能性も含め、後の人が確かめられるようにするためだ。
***
昼前、四人は水車小屋を訪ねた。
そこでは年配の職人が、回転軸へ油を差していた。
川が増水すると、水車の羽根を外して守るのだという。
「昔の流れを知りたいんですか」
職人が訊く。
「ええ。昨日、上流の川原へ行きました」
エリゼーが答えた。
「あそこなら、ずいぶん変わったよ」
彼は壁に掛けた古い木片を取った。
長い年月の水位を刻んだ目印だという。
線の高さは、年ごとに違っていた。
「大雨の年は、ここまで来た」
職人は上の印を指した。
「この印は、いつ付けられたのですか」
ジュリアが尋ねる。
「私の祖父のころと聞いている」
「ご自身が見た水位は?」
彼は別の線を指した。
「これは私が付けた」
ジュリアは二つを分けて書いた。
エリゼーは、その手元を見守った。
彼女も以前なら、こうした印を一つの一覧にして、並べることから始めただろう。
けれど、祖父の話と目の前の職人の観察には、それぞれ別の重さがある。
年表に置くだけでは消えてしまう違いがあった。
***
水車の外では、川沿いの土が崩れていた。
職人は小さな石を拾い、二人の足元へ置いた。
「こういう石が、雨のあとには上から流れてくる」
ハインツが一つ手に取った。
「ずいぶん丸いですね」
「長く水に洗われたんだろう」
「どこから来たかは分かりますか」
職人は笑った。
「一つ一つの石の故郷まで、私は知らんよ」
その答えに、ハインツも笑った。
ジュリアは水車の下を覗いた。
「では、石片が上流で見つかったとしても、そこにずっとあったとは限りませんね」
「そうだな。流れてきたのかもしれない」
職人は言った。
「ただ、流れない石もある。土の中から出ることもある。決めるには、もっと知らなきゃならん」
その言葉は、説明というより長年の仕事の感覚から出たものに聞こえた。
エリゼーは水車の羽根を見た。
水は勢いよく当たり、一定の速さで木を回している。
だが水量が変われば、速さも変わる。
止めるときには、人が羽根を外さなければならない。
大きな働きの中にも、人の手が必要だった。
***
宿へ戻ると、ヘルマンは板の地図をもう一度眺めた。
「この道が東へ曲がっているなら、故郷へ行く道も変わったんだろうな」
彼の指が、古い線の途中で止まる。
「どこまで覚えているの?」
エリゼーが訊いた。
「村の入口の木は覚えている。石段も、井戸の音も」
「人の顔は?」
ヘルマンは少し黙った。
「覚えているよ」
それから、板から手を離した。
「でも、皆が昔のままそこにいるわけじゃない」
エリゼーは何も言わなかった。
自分にも、戻れない場所がある。
かつて暮らした家。
エランと食事をした部屋。
あの場所へ再び立てたとしても、時間を戻すことはできない。
ヘルマンは板を宿の主人へ返した。
「明日は東へ向かおうと思います」
「道なら、今のものを描きますよ」
主人が答える。
「父の板だけでは、迷うところもありますから」
ヘルマンは深く頷いた。
その顔には、ほっとしたような、困ったような表情が浮かんでいた。
河道や道筋の変化は、石片の発見場所を考える手掛かりである一方、新たな不確実さも生みます。
過去を知ることと、昔の道へ戻ることの違いが、ヘルマン自身の問題にも重なります。




