第5話 本家の男の子
翌朝、母は自分で起き上がって、洗面所まで歩いていった。
戻ってきて、髪を手で押さえて、ベッドに腰かけた。血圧の数値を看護師さんに読み上げられて、うなずいて、私のほうは見ない。
看護師さんが出ていってから、口を開いた。
「健吾に謝りなさい」
昨日の続きではなく、一晩かけて選び直した言い方だった。
「叔父さんじゃなくて、健吾に。あの子の前で恥をかかせたでしょ。沙耶さんもいたのに」
「恥をかいたのは、住んでる家の名義が違った人たちだと思うけど」
「健吾は本家の男の子でしょ。智花が謝れば、それで済むの」
紙コップを持ち上げて、口をつけずに戻した。母は水を飲まない。
飲まない人のそばに水を置き続ける役を、私は20年以上やっている。
「あんたね、結婚するときに実家に後ろ盾がなかったら、向こうの家に見下されるのよ。弟のいない家の娘なんて、それだけで軽く見られるんだから」
「結婚の予定、ないよ」
「今はそうでも」
「沙耶さんは、荷物の行き先を聞いてたよ。娘さんの分もあるって」
「あの子はいいの。子どもがいるんだから」
母は同じところに戻ってくる。何を言っても、道は一本しかないような顔をして。
窓の外で、駐車場の車止めに座った人が缶を傾けていた。病室から見えるのは、そういうものばかりだ。
*
母の実家は、大槻という。母は結婚するまで、大槻民子だった。
正月に行くとき、母は必ず手土産を両手に提げていた。箱が二つ。
駅前の店の紙袋で、私にはひとつも持たせなかった。持たせると、渡すときの格好がつかないからだ。
居間にはこたつがあって、祖父と祖母と叔父夫婦と健吾が入っていた。テレビは駅伝をやっていた。
母と私の席は、台所だった。
折りたたみの小さなテーブルを出して、そこに二人分。祖母が「民子、こっちは狭いから」と言い、母は「うん、いいの」と答える。
その受け答えは、毎年ほとんど同じ文だった。
母は買い出しに行き、煮物を温め直し、食べ終わった皿を洗った。私も洗った。
洗っているあいだだけ、居間の笑い声がよく聞こえた。
お年玉は、祖母が配った。
「健吾はもう高校生だからね」
「智花ちゃんは、はい」
健吾の袋には1万円。私の袋には500円玉がひとつ入っていた。
母はそれを見ていた。見て、少し笑って、「ありがとうございます」と言った。
私に「お礼は」と促して、私も言った。
一度だけ、私は言おうとしたことがある。健吾のと、違いますよね、と。
言い終わる前に、テーブルの下で母の手が私の膝に置かれた。力は入っていなかった。
入っていなかったから、私は口を閉じた。
帰りの支度をしていると、祖母が母に紙袋を持たせた。中身は、母が持ってきた手土産の箱のひとつだった。
「うちは甘いもの食べないから」
母は礼を言って受け取り、家に帰ってから、その箱を開けて私に出した。
帰りのバスで、私は中学生の理屈で言った。
「お母さんも、こたつに入ればいいのに」
母は窓のほうを向いて、しばらくしてから答えた。
「台所のほうが、暖かいのよ」
その年から何年も、私は母の側に立っていた。祖父母が母に冷たいことを、父方の親戚が母を責めることを、私は自分のことのように腹を立てていた。
母が搾り取られているのだと思っていた。だから私が守るのだと。
守る相手を間違えていた、という言い方は、まだしたくない。ただ、台所のテーブルを出したのは祖母ではなく、毎年、母自身だった。
*
「謝りません」
2度目の返事は、1度目より短くなった。
母がシーツの上で指を組んだ。組んで、ほどいて、また組む。
「どうしてそんなに意地を張るの」
「意地じゃないよ」
「意地でしょ。たかが家じゃないの」
「たかが家に、私は35年かけてるの」
「あっという間よ、そんなの」
払う側が言う言葉ではなかった。
「じゃあ、お母さんはどうなるの。弟の家族を追い出した姉として、あそこに顔を出せなくなるのよ。智花はそれでいいの」
「いいよ」
言ってから、思ったより平らな声が出たことに自分で驚いた。
母の指が止まった。
「……会社に電話しようかしら」
顔を上げた。
「智花の会社。名刺、あるでしょ。部長さんのお名前も、前に聞いたし」
理沙の実家は、年に3回、段ボールを送ってくる。中身は干物だったり、みかんだったり、地元の菓子だったりする。
理沙の職場宛てに送ってきて、同僚に配れ、と手紙が入っている。
理沙は「余計なことしなくていいのに」と文句を言い、それでも次の便も受け取る。
私の母は、私の会社の名前と、上司の名前を覚えている。覚えて、こういう日のために取っておく。
母は、私のどこを押せばいいのか、一度も外したことがない。
「明日の朝までに考えなさい」
母がベッドの脇のリモコンを取って、背もたれの角度を上げた。
「電話するからね。本当にするからね、お母さんは」




